秘密1(sideレスリー)
2025年4月27日の改稿に伴い、旧作品の二章だったレスリーの話を一章に統合させています。この回は旧作品の二章で出していた回です。
護衛騎士のミアを連れ、馬車に揺られて白鳥の館に戻ると、玄関で彼が待ち構えていた。
「お帰りなさいませ、レスリー様」
そう慇懃に頭を下げる男の後頭部を見上げる。百九十センチの長身は頭を下げていても自分の目線より高い。それが気に食わないというわけではないが、どこか面白くない。
「……出迎えありがとう。今日の報告があるから、いつもの部屋に。ミアも一緒にお願い」
「かしこまりました。レスリー様」
赤い髪を短く刈り込んだミアが頷き、そのまま私の後についてくる。彼女は元々は母の護衛騎士として雇われた人だったが、十歳を過ぎた辺りから私専属になった。未婚の貴族令嬢のすぐ側に仕えるにはうってつけの女性騎士というわけだ。
ミアと彼とを引き連れて廊下を歩いていると、タイミングよくもうひとりの男性と出くわした。
「アダム先生、探す手間が省けました」
「おや、お帰りなさい、レスリー様。聖女様との練習は順調で?」
「……誰が聞いているかもわからない廊下で話す内容じゃありません」
「これは失礼しました」
たいして失礼とも思っていない表情でそう嘯くアダム先生は、住み込みの家庭教師だ。非常に優秀だがすこぶる口が悪い。思っても口に出さない方がいいことも積極的に口にするし、思ったことはさらに尖らせて撒き散らす。すでに慣れたものだが、癇に障ることはしょっちゅうだ。
総勢四名となった私たちは応接室に向かった。扉の近くにミアが立ち、私とアダム先生と彼とがテーブルにつくのはいつものこと。
今更優雅にお茶を嗜むような関係でもない。私は早々に切り出した。
「さて、今日の報告をしましょうか。今日もつつがなくヒマリ様との練習をした後、クロエ嬢も交えてお茶をして過ごしたわ」
「つつがなく、ということは、レスリー様が聖力の制御ができたことを未だ不思議に思われていないんですね。なんとまぁ、うまく騙したものですね」
「……人聞きの悪いこと言わないでもらえます? アダム先生」
「これは失礼しました、レスリー男爵令嬢」
「先生の失礼を数えて積み上げたら、魔塔より高くなるんじゃないかしら。ねぇ、フェリクス」
そう冗談を振れど、アダム先生の隣に座したフェリクス・ウェリントン副魔道士は顔色ひとつ変えなかった。大して出来のいい冗談でもなかったので私もそのまま流す。
「……聖女様のご様子は」
「聖力の制御は順調よ。ヒマリも実感があるようで、これで物を壊さなくなれるかもって喜んでいるわ」
「そうですか、それは良かったです」
召喚に成功した後、魔塔のアウリクス大魔道士はすべてをフェリクスに押し付けている。彼が聖女に関する取り決めの全権を任されていることもあり、ヒマリの処遇について最も気にかけている人物であることは間違いなかった。
つまらぬ冗談では顔色ひとつ変えなかった彼が、ヒマリの話を聞いた途端、目に見えて安堵したのもなぜか気に食わなくて、意地悪をしてみたくなった。
「クロエ・ヨーク公爵令嬢のことは聞かないの?」
「……恐れながら、私は関与申し上げる立場にございません」
硬い表情を貼り付け、慇懃に言葉を選ぶ彼の態度をやっぱり気に食わないと思いつつ、自分の趣味の悪さにもげんなりしてしまった。私はいったい何がしたいのだろう。
「レスリー様も存外趣味がお悪いですね」
フェリクスの隣で姿勢を崩したアダム先生が目を眇めてこちらを見ていた。過去においてこの二人の接点はなく、年齢も立場も性格も全然違うのに、なぜか馬が合うようだ。悪魔のように辛辣なアダム先生が、自分より年若い魔法騎士のことを気遣っているようにも見える。
自分の味方になってくれる人たちが仲良くしてくれるのはいいことだが、一癖も二癖もある者同士だからか、素直に喜べないのもまた事実。そんなふうに思うことすら子どもっぽい気がして、話題を変えた。
「聖女の聖力の制御がうまくいっている事実は、そろそろ王都に広まり出したかしら」
「おそらくは。聖力の制御に関しては王命でしたので、噂に戸は立てられないかと」
予想していたことではあったが、ため息をつかずにはいられない。そんな私とフェリクスを面白がるように、アダム先生は口角を上げた。
「忘れられた王女が聖力の制御ができると大々的に知られてしまうわけですから、いろんな意味で王都は大混乱でしょうねぇ。どう収集をつけるおつもりですかね」
「それは私への問いですよね、先生」
「えぇ、もちろんですよ。私とてそこまで不敬はしません」
問いの先が国王陛下であるとも取れる内容。きっと私と父王と、両方を掛けていたことは間違いないだろう。言い逃れたものを追ってまで突っ込む気にはならないが、やはりこの人は口が悪い。
父王から、聖女の聖力の制御の手伝いをするよう、玉璽が押された勅書がもたらされたのは二週間前。義兄であるハーラン王太子がやらかした後始末を、王族籍にすらない男爵令嬢に依頼するという、前代未聞の勅命。
女児には神力はほぼ受け継がれない。アダム先生が言う通り、自分が聖力を制御してみせれば大混乱が起きてしまうことは必至だ。
それでも父王は私にこの役割を課した。私にできると信じて。
出来て当然だ。私は本当は———男なのだから。忘れられた王女ならぬ、忘れられた王子というのが正しい。
男爵令嬢と名乗っていても、男性と同席する際には必ず女性の使用人を伴っていたとしても、この事実が十六年間秘されているものだとしても、真実は覆せない。
物心がつく前から、自分の置かれた状況になんとなく違和感を持っていた。
自分の周りには男と女という存在がいて、自分は男の子だけど、そう名乗ってはいけないと、常に言い含められていた。
「僕、男の子だよ」
そう主張すれば、乳母や騎士たちは悲しそうな顔をする。母だけは「そうね、でもそれは隠さなくちゃいけないの。ごめんなさいね」と、私の気持ちを肯定してはくれるも、認めてはくれない。外遊びを禁じられ、スカートやリボンを身に付けさせられ、自分のことを「わたくし」と名乗るよう躾けられ、なんとなく違和感を感じてはいたけれど、それを不思議とも思えなくなった。
離宮にはたくさんの騎士や使用人がいたが、子どもはひとりもいなかった。家族ぐるみで働く者も多いが、誰かが妊娠すると家族ごと辞めていく。母の実家アセドア侯爵家からの人員で構成されている使用人の層は、そうした理由から年配の者、または身寄りがほとんどいないという者が多かった。
子どもがいれば、私が男の子であることがその子に知られる可能性が高くなる。その子が悪気なくどこかでそれを吹聴すれば、屋敷ぐるみで守っている秘密が外に漏れる危険があった。また子どもは非常に無力で、人攫いに合う可能性も高い。攫われた身内を盾に、母や私を裏切るよう脅されるケースを考えて、この屋敷の人員は身元が確かな上に、脅しの材料になるか弱い身内がいないということも大切な要素だった。
おかげで長く働く者が多くなり、そうした者たちに可愛がられて、それなりに幸せな子ども時代を送ったのだとは思う。友達と呼べる者はひとりもいなかったが、騎士たちが全力で遊んでくれたし、母も屋敷の内にいる場合に限っては、私の行動をうるさく制限したりはしなかった。階段の踊り場から一階に飛び降りたときはさすがに怒られたけれど、男の子がやることとしては特別おかしい話ではないはずだ。
そうやって女の子の格好はすれども、好き勝手に振る舞う毎日。けれど子どもは成長する。私の周りから同年代の子どもを遠ざけても、そうした知識は書物や大人の話から入ってくる。
どうやら世間でいうところの男の子はスカートなんか履かないし、自分のことを「わたくし」とも言わないらしい。剣を持って冒険に出かけたり、馬に乗って戦場を駆け回ったりもするらしい。それは、部屋の中でお茶のマナーを勉強したりリボンを髪に編み込んだりするより、ずっと面白そうだ。
屋敷には騎士が溢れていたので、試しに剣術が学びたいと申し出てみた。母は少し困った顔をしたが、少しだけならと許可してくれた。ただし騎士たちが訓練をしている裏庭には出てはいけない、稽古をするのは一日一時間だけ、それも部屋の中で、大声を出したり派手に駆け回ったりしてはいけない等々……。制約が多すぎた。
それでも憧れていた騎士に自分もなれるかもしれないと、初めのうちは熱心に練習に取り組んだ。私が剣術を始めたと知った父が、離宮を守る私設騎士隊長への褒美と偽ってこっそり剣をプレゼントしてくれたことも、夢中になる要素のひとつとなった。
自分の戸籍上の父親はベローチェ男爵という人だが、その人に会ったことはない。だから私にとっての父は、数ヶ月に一度静かに訪れては一日だけ滞在して去っていく、その人だけだった。父が来たときは屋敷全体が浮き足だって、母の笑顔もずっと増える。
私のことを膝に乗せ、頭を撫でてくれる父の訪れがいつも楽しみだった。毎回大量に持ち込まれるお土産のほとんどが女の子向きすぎて、本当に好きになれるものが一つか二つしかないことは不満だったけれど。
今ならあれもカモフラージュの一環だったとわかる。父もまた、真実を知る数少ない人間のひとりだ。そして大人たちがなぜ自分の性別を偽ってきたのかも、長じた今は十分理解している。
仲睦まじい婚約者同士だった父と母を引き裂き、王妃の座に滑り込んだマテラ元皇女から私の命を守るため。国力が弱体化している我が国は、マテラ王妃の実の兄が治めるガンナ帝国を敵に回すだけの力がない。王妃の悋気から命の危険すらあった母は愛妾という立場に身を落とした。
その子どもが、たとえ男爵籍であったとしても、男であったならとっくに命はなかっただろう。女児であるとされたから、ぎりぎり見逃されてきたのだ。
命を守る、ただその目的のために、私は女児となり、貴族令嬢としての教育を施された。それはわかる。
そのまま刺繍だの編み物だの詩作だの、そんなことばかり教え続けられていたなら、自分はここまで人生に苛立ちを感じずに過ごせただろうにとも思う。




