出会い
2025年4月27日、一章と二章を統合させる改稿を行いました。この回は旧作品の複数回分を統合させています。
これ以降で、旧作品と構成が大幅に異なることになります。旧作品の一章・二章を読書中だった方は、ここから読み直していただけると理解いただけるかと思います。
「初めてお目にかかります。聖女様におかれましてはご機嫌麗しく、ご尊顔を拝しますこと、歓喜に堪えません。わたくしはレスリー・ベローチェと申します。どうぞお見知り置きくださいませ」
修道院の客間で私に膝を折る少女。緩やかに波打つ金の髪が、はらりと肩口からこぼれる。きびきびと挨拶する、落ち着いた声色。さすがは王族の血を引く者と思わせる美しい所作。
トール国王陛下と愛妾ベローチェ男爵夫人の娘であるレスリー様が、フィラデルフィア女子修道院にやってきた。私の聖力の制御に協力してくれることになったのだ。
応接室で対応したのはカミーラ院長と私、クロエ、それにエマ先生も魔塔から駆けつけてくれた。フェリクスもわざわざ出向いてくれたらしいが、女子修道院のため中に入れず、敷地の外に控えている。
「ようこそお越しくださいました。院長を拝命しておりますカミーラにございます。こちらが当代の聖女様でいらっしゃいます。聖女様、よろしければお声をかけて差し上げてくださいませ」
「あの、初めまして。レスリー王女殿下」
「聖女様、わたくしは王女ではございません。どうぞレスリーとお呼びください。年もわたくしの方が二つ下と聞いております。聖女様は王族の皆様と同等の尊きご身分。本来でしたら男爵令嬢であるわたくしがご尊顔を拝する機会などなかったはずでございます」
「でも……」
「聖女様、どうぞレスリー様のお言葉のままに」
カミーラ院長には以前、クロエに対する言葉遣いについて注意された経緯がある。偉そうにするのも気が引けたが、私の方が年上とのことだし、今回も従うことにした。
「こちらこそ、わざわざ来てくださってありがとうございます、レスリー様。身体があまり丈夫ではないと聞いたのですけど、大丈夫ですか?」
「聖女様におかれましては、わたくしなどの健康にも気を遣っていただき、大変に恐れ入ります。おかげさまで歳を重ねるごとに少しずつ健康を取り戻して参りました。長くは難しいかもしれませんが、一時間程度でしたら外出可能と主治医の許可も出ております。とはいえ慣れない身ゆえ、このように護衛付きの大仰な姿で不調法ではございますが、どうか寛大なお心でお許しいただければ何よりです」
女子修道院ということもあって、護衛に女性騎士を選んだのだろう。背後に控える赤髪の騎士を振り返りつつ、ようやく顔を上げたレスリー様は、とても可愛らしい女の子だった。
やや長めの前髪の間から見える瞳は、クロエと同じ紫紺の色。視力が悪いのか分厚い眼鏡をかけているが、決してその美貌は損なわれていない。ただ、化粧をした上でもわかるくらいに顔色がよくなかった。頬も首も驚くほどに華奢というか、むしろ痩せ細っていて、私より身長は高そうなのに小さく見える。
「あの、顔色があまりよくないように見えます。無理をなさっているんじゃ……」
「いえ、これがいつもの様子なのです。どうぞお気になさらないでください」
とはいうものの、明らかな顔色の悪さにカミーラ院長が気を利かせた。
「聖女様、レスリー様に座っていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです! ごめんなさい、気がつかなくて」
院長にそう言われ私は慌てて許可を出した。この部屋の中では私が一番偉いとのことで、何事も私が許可をしなければ動かないのだと、事前にクロエからマナーの一環として教わっていたものの、慣れないことですっかり忘れていた。その上、レスリー様のやつれた様子を見て、さらに動転してしまった。
(とてもかわいい子だけど、顔色が悪いし、痩せすぎな気がする……。ご飯とかちゃんと食べてるのかな)
痩せている点で言えば自分も同じだ。こちらの世界に召喚されてからは、起きているときは三食きちんと食べさせてもらっているからか、顔色が良くなり、ふっくらしてきたように思う。
目の前の少女は、少し前の自分によく似ている気がした。背が私より高い分、余計にその細さが目立つ。声は気丈に聞こえたが、どこか張りがない気もする。
気になって声をかけようとしたものの、先にカミーラ院長が話し始めてしまった。
「レスリー様、あとはこちらのクロエからご案内させていただきます。実はクロエは以前、聖女様の聖力の制御のお手伝いをさせていただいた経験がございます」
私とクロエが行った”お試し”のことを院長には報告してあった。カミーラ院長に説明され、クロエに目を向けたレスリー様が、ふと首を傾げた。
「クロエ様……。もしやヨーク公爵家のクロエ様でいらっしゃいますか?」
「その名は既に過去の物ではございますが、はい、おっしゃる通りでございます。初めてお目にかかります。クロエと申します。今は聖女様のお世話をさせていただいております」
名を呼ばれクロエが会釈する。
「あなた様が……。お噂はかねがね伺っておりました」
「どれもお耳汚しな物でございます。どうぞお忘れください」
「そんな……。ご存知かとは思いますが、わたくしとあなた様はいとこの関係にあたります。その……修道院に入られたとお聞きしておりましたが、まさかこのような形でお会いできるとは思ってもいませんでした」
会話を交わしながら目を合わせる二人の少女。
クロエの母親はトール国王陛下の姉だと聞いた。だとすれば確かにこの二人はいとこだ。生まれたときから離宮で暮らし、一切の社交をしてこなかったというレスリー様と、王都で暮らしていたクロエは、今まで顔を合わせずに来たのだろう。
シルバーブロンドのクロエと、ハチミツを溶かしたような金の髪のレスリー様は、同じ紫紺の瞳を持っていた。クロエの方が背が高く、ひとつ上ということもあってか大人びているが、レスリー様をもう少しふっくらさせて成長させれば、雰囲気は似てくる気がする。王族というのはさすがの美形揃いだ。カミーラ院長も、伯爵家だと名乗ったフェリクスも綺麗なタイプの人たちだから、この世界の貴族が皆そうなのかもしれない。
そんなふうに彼女たちのことを見ていると、レスリー様が改めてこちらを向いた。
「聖女様、ヨーク公爵令嬢、わたくしはどうすればいいのでしょうか」
「王女殿下、私のことはクロエとお呼びください。俗世の身分も名もここでは使っておりません」
「そうでした、お互い面倒な身ですね。私のこともどうかレスリーとお呼びください」
国王の娘ながら王族籍になく、戸籍上は男爵令嬢であるレスリー様と、修道女ではあるものの元公爵令嬢であるクロエと、ただの異世界人ながら王族と同等の身分を持つ聖女の私。判断に困る人間三つ巴の様相だ。
それならばと私は提案した。
「全員色々難しい立場ですから、どうせなら名前で呼び合いませんか。私も歳の近い友人ができたようで嬉しく思いますし」
この世界に来て久々に穏やかな暮らしが送れているが、皆に敬われる立場になってしまったことには慣れずにいる。生まれたときからずっとその立場ならともかく、庶民の、まぁまぁ底辺に近い暮らしをしてきた人間だ。簡単に割り切れないし、まずもって慣れない。
それに、前の世界では親しい友人と呼べる人はひとりもいなかった。レスリー様は国王陛下の娘で、クロエは姪だから、私が今もらっている立場とある意味近い女の子たちだ。できることなら仲良くなってみたい。
私の提案に、レスリー様は一瞬目を見張り、ぎこちなく笑った。
「聖女様がお望みでしたらそのように。それでは、聖女様のことはなんとお呼びすればよろしいのでしょう」
なんてことはない、ただ、私の名前を聞かれただけなのに、空気がしん、と張り詰めた。いつも落ち着いているカミーラ院長とクロエが、はっと息を呑んでいる。エマ先生も心なし青ざめて見えた。
それに気づいたのかレスリー様がおずおずと付け加えた。
「あの、何か不調法を申し上げましたでしょうか。もしや、聖女様の御名はお聞きしてはならないような規律がありましたでしょうか」
「いいえ! そんなことありません。私の名前は———ヒマリと言います」
その名を私自身、本当に久々に口にした。レスリー様が緩やかに微笑む。
「ヒマリ様でいらっしゃいますね。我が国ではあまり聞かない発音ですが、とても美しい響きのお名前ですね。どうぞよろしくお願いいたします」
軽く目を伏せたレスリー様。だが再び顔を上げた瞬間、驚きの声をあげた。
「ヒマリ様……どうなさったのですか!?」
「え……、別に、何も」
「でも、泣いていらっしゃいます!」
「え?」
思わず頬に手を寄せると、生暖かい感触があった。それは彼女が指摘した通り、私の涙だった。
「ヒマリ様……っ!」
机の向こうでレスリー様が腰を浮かせた。
「ヒマリ様、大丈夫ですか!? どこかお加減が……」
「ち、違うんです! これは、ちょっと、たぶん、懐かしかったんだと思います」
「懐かしい……?」
「はい。久々に名前を呼ばれたなって思って。こちらに来てから、誰も、その名前を呼んでくれなかったから」
「———!!」
呼んでもらえないのは当たり前だ。私は初めから”聖女様”と呼ばれ、誰からも元の名前を尋ねられなかった。私自身も混乱したり意識をなくしたりしていたこともあって、名乗る機会を失っていた。
そのままなし崩しに聖女様と崇められ、その通り名でこの世界は回ってしまっていた。
「聖女様! 申し訳ありません……! 私どもが気づかずっ」
「いいえ、魔塔にいるときから失念していた私どもの責任です!」
息を呑んで固まっていたカミーラ院長とクロエが途端に頭を下げれば、エマ先生もまた、今にも倒れそうな表情で腰を浮かせた。
「いえ、大丈夫です。私も名乗らなかったから……誰も知るはずないのだから、呼ばれないのも当たり前ですよね。全然、問題ないです。名前くらい、大したことじゃないのに、大袈裟にしちゃって、ごめんなさ……」
「大したことです、ヒマリ様!」
「レスリー様……」
尖った声にはっと顔をあげれば、机越しにレスリー様が真剣な表情で目を見張っていた。
「きっとヒマリ様のご両親が授けてくださった、大切なものなのですよね? それが、忘れられていいはずありません。ただでさえヒマリ様は異世界から召喚されたことでたくさんのものを失っておられるはず……名前くらい、なんておっしゃらないでください。そんな簡単に、諦めなくていいんです。仕方ないって思わなくていいんです」
「レスリー様……」
「恐れながら、これからわたくしがたくさん呼ばせていただきます。この国の全員がヒマリ様のお名前をおぼえ、絶対に忘れないように……いえ、わたくしが呼びたいのです。だから何度も呼ばせていただきます」
そう強く宣言したレスリー様の顔色は、心なし紅潮して見えた。差し出された手につられるように私も手を返す。彼女のあまりの身体の線の細さに驚いたが、私の手を握る力は痛いほどだった。
痛くて……でも逞しいと、なぜか思ってしまった。私の方が年上なのに、こうして私のために怒ってくれる彼女がとても大きく見える。
「……ありがとうございます、レスリー様」
「わたくしの名前は両親が相談してつけてくれたそうです。ヒマリ様のお名前はどうなのですか?」
「私の名前は、母がつけてくれました。私、夏生まれで。向日葵の花のように強く輝いて咲いてほしいと願ったそうです。あ、この世界にも向日葵の花ってあるのかな」
「ありますよ。夏になればわたくしが暮らす離宮の庭にも咲きますので、ぜひヒマリ様を招待させてください」
「本当ですか? 楽しみです」
そう微笑み返すと、レスリー様が強く頷いてくれた。私の涙はいつの間にかすっかり乾いていた。




