第八話 『アールグレイ』CEO、動く
カレーの港は蜂の巣でもつついたかのような大騒ぎだった。
イギリス海軍の誇るミサイル特化型駆逐艦『ポーラ』と最新艦の正規空母『ダイアナ』が敵の工作により轟沈したからだ。
そんな混乱の極みにあるイギリス側において静寂を保っていたのは港に入らなかったおかげで被害を免れたイギリスの大手PMC『アールグレイ』所有の戦艦『シリウス』だけだった。
「背景による破壊工作で主力艦二隻を轟沈……。イギリス海軍は手痛い出費を払ったわね。」
「……」
隠密斥候による破壊工作により雇い主の軍艦二隻の轟沈により、『アールグレイ』の傭兵達も身動きが取れなくなった現在、『アールグレイ』所属の傭兵であるマリナ・クルーゼは、『シリウス』の艦長室に来ていた。
船舶というスペースに限りがある空間においてこの艦長室は、水兵達が寝泊まりする部屋の約三倍は広い。
たった一人の人間の為にそれだけのスペースの確保が許されているのは、偏にこの目の前にいる女の権力を物語っていた。
「(だんまりですか。こりゃ相当頭にきてるわね。)」
マリナは差し出された紅茶を啜りながら目の前に座る『アールグレイ』CEOのルキナ・ウィンストンの返答を待つ。
ルキナは英国貴族の血を受け継ぐ生粋の貴族。そして、その意識を持っている。
故に感情を表に出すことは少なく、彼女の身の回りを世話する者達はいつも恐る恐る顔色を窺いながら仕事をしている程という。
だが、それなりに付き合いの長いマリナには分かる。
今、ルキナの心中を渦巻いているのは、憤怒だ。
「(淹れるお茶の種類で今の心境を表現してる……なんて知らないと分からないわよね。)」
マリナが口に含んだ紅茶の茶葉はカモミール。
この茶葉には、ストレスの軽減等の効果のある茶葉である。
しばしの重たい沈黙が続くが、四杯目の紅茶を飲み終えた所でルキナは沈黙を破った。
「貴女が見たのは背景……朝日友也で間違い無いのね?」
「ええ。今は零細PMC『ユニコーン』の代表をやってるらしいわ。流石古参兵だけあって独立できるだけの貯金はしてたみたいよ。」
「……」
「討伐依頼でも出す?私、受けても良いわよ。普段の3倍の額でならだけど。」
「あら?3倍程度で討ち取ってくれるの?」
「え?」
マリナは『アールグレイ』内ではそれなりに高い立場にある傭兵である。
その雇用価格は木端の傭兵を遥かに凌ぐし、個別で依頼を出せばそれ相応の金銭が動く高級傭兵だ。
自分でもまあまあ金食い虫であるという意識を持つマリナは軽い冗談のつもりで言い放った言葉にルキナは薄い笑みを貼り付けて答えた。
「その様子だと、背景のことをあまり知らないのね?」
「仕事場が違うからね。」
「彼の討伐依頼は最低見積もって大隊長を運用するだけの金が動くわ。」
「へ?」
大隊長。それは、PMC『アールグレイ』における階級である。大隊長とは、一般企業でいえば本社の役員の末席にも匹敵し、現場においては確かで他を遥かに凌駕する実績を立てた者しか与えられない階級であり、その運用料は中規模自治体の予算に匹敵するという。
「彼が最後に本格的に潜った中東では今でも政府軍は彼を重要指名手配してるの。米ドルで凡そ10億。」
「うそ……。」
「そんな彼を討つのに中隊長程度のお金でやってくれるなんてかなり優良ね。」
「ちょちょっちょっと待って!?えっ!?背景ってアイツよね?数年前に日本支部に左遷されたっていう……。」
「左遷ではありません。栄転ですよ。」
「いや、本社から支社行きは普通左遷……」
「栄転です。」
頑なに否定するルキナにマリナもそれ以上の追求は避けることにした。
「アイツってそんな凄い傭兵なの?あまり話聞かないんだけど?」
「中東では『見えない悪魔』や『狙撃銃を担いだ天使』と呼ばれた傭兵よ。実際、彼のスコアは凄まじいものだったわ。反政府軍が11年前の大規模攻勢で聖地を確保したのも彼の働きによる所が大きいわね。」
「マジで……?」
中東は今も昔も大小問わない戦地があちらこちらに転がっており、PMCからすればかなり大きな市場だ。
だが、その分傭兵の消耗も激しいことから『火薬庫』と有名であり、聖地メッカ付近はもはや完全武装された要塞となっており、11年前まではイスラエル政府軍の所有地だった。
「難攻不落と畏れられた武装要塞メッカをわずか7時間で潰した。現地のPMCが人員と資金、そして膨大な時間を文字通り湯水の如く垂れ流して尚、不落を貫いたあの鉄壁の牙城をよ。このエピソード1つで彼が如何なる傭兵かは推察してくれますか?」
「……そう。」
中東で一番の火薬庫と呼ばれたメッカ戦線は、PMCの損耗が激しい地域の1つ。
新人も古参兵も関係なく消し飛ぶかの戦線でそれだけ名前を売れたならルキナの評価も頷けるというものである。
「それだけに理解できないわね。彼、何でアールグレイから抜けたのかしら?」
ルキナの持つ茶器から紅茶の雫が僅かに跳ねる。
「討伐依頼出すなら最低で大隊長運用規格の傭兵が、態々ゼロスタートしたのかしら?」
マリナはルキナの肩が僅かに震えているのに気付いた。気付いた上で無視して続ける。
「『アールグレイ』は世界的大企業よ。そこらの分隊長クラスですら零細PMCなら役員としてスカウトする。にも関わらず、それをせずに一零細として再スタートしたのは何故?」
「……そのことで貴女に依頼しようと思ったのよ。」
ルキナはどこからか取り出した1枚の用紙をマリナに差し出す。
異動命令だった。
「今すぐ極東に飛んで。現地支店の内部状況を確認してきて欲しいの。」
「状況分かってんのよね?」
「主力艦隊が足止めを受けた今、私達はしばらく動けないわ。背景もこれ以上は動かない。」
「背景が動かない根拠あるわけ?たった一人で主力艦2隻沈めたのよ?戦果拡大の為にまた潜り込んできたら……」
「それこそ有り得ないわ。」
港の防衛部隊の主力を外に出す、という決断をルキナは確固たる意思で決定する。
「彼の価値をこの世界で1番分かっているのが私であるように、彼もまた私の価値をこの世界で1番分かっている。もし、戦果の獲得に欲をかいてこの艦を沈めれば彼は一生『アールグレイ』から追われる身となる。そうなれば傭兵としての彼は死ぬ。」
「競合してる連中は大枚はたいて匿うんじゃない?アールグレイは利益に比例して他のPMC社から恨みも妬みも買ってるじゃない。」
「その可能性はあるけど、著しく低いわね。他人が興した鉄火場に横から手を出せば火傷で済まないのは、この世界のルールよ。」
戦争に第三勢力以上の参戦は過去の歴史ではあったが、現代の戦争はそれは有り得ない。
水面下の暗闘ならまだしも、表面化した戦争中に横合いから殴りつけるような真似をすれば、最終的に損を被るのは、その第三勢力の方だ。
ライオンの縄張り争いと同じように既存の対立する勢力は第三勢力が消え去るまで共闘し、根こそぎ破壊する。
これは、利益の漁夫を防ぐ為に考えられたPMC達のルールであり、共闘は義務化されている。
このルールがある以上、この西欧に他勢力は現れることはない。
他勢力による混乱が期待出来ない以上、朝日がルキナを直接取りに来ることは無い。
「それに……」
ルキナは自身の座るソファーに立てかけられたアタッシュケースを開け、普段から愛用してるP90を取り出す。
「彼が単身或いは一個組ごときでこの艦に来たとして私が返り討ちにするだけですから。」
少女のように微笑ましくも魔女のように不敵にも見える笑みを浮かべ、ルキナはそう断言する。
上流階級の令嬢のような姿に似つかわしくない百戦錬磨の武人の気配を纏う彼女にマリナは諦めたように異動命令書を受理する。
「そうね。貴女に勝てる傭兵なんて片手に数える程度しかいなかったわね。」
仕事が忙しいを言い訳にしてる内に更新すらせずに何年も経ってしまった……。
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