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到来するその日の姿

終わりの時の凪

 プラージュ・サントラルの波しぶきが、マリ・チャムの姿勢をひっくり返した。今日はこれで何回目だろうか。


 波の荒さから言うと、今年の秋のシーズンはそろそろ終わりなのかもしれない。故郷のンゴール島であれば、一年中サーフィンができるのに......。彼女はそう言って空を仰いだ。

 上空を時々通過するミラージュ機の轟音が、集中する気持ちを邪魔するのだ。彼女は、あきらめて海岸に戻ってきた。

 陸上では、サーフィン仲間のケン・フラディとジャスミン・(テオ)が声をかけてきた。彼らはとうに車のところへ、先に引き上げていた。ケンの故郷ペルシアのラミン村でも、ジャスミンの故郷ハワイ島でも、サーフィンができる季節は限られているものだ。おそらくマリの故郷ンゴール島は特別な場所だ。


「そろそろ引き上げよう」

「そうね、そろそろ大学の寮へ戻らないと...」

 三人はソルボンヌ医科大学へ通う医者の卵たちだった。彼らは、この季節の週末はいつもレ・フージェルホテルに泊まり、近くの礼拝所で礼拝に出た後にサーフィンに来ていた。彼らにとっては、この海岸に来ることが、唯一の楽しみだった。

 

 今度は、哨戒機と護衛戦闘機が海岸上空を通過していった。最近は、軍用機が頻繁に出撃する姿がよく見られるようになった。これは大戦の始まった世界情勢に無関係ではなかった。


 ソルボンヌ大学の寮に戻ると、三人はそれぞれに残り少ない学園生活を見つめていた。緊迫した国際情勢を反映して、三人は卒業を待たずして医師資格が与えられ、国境なき医師団に就職することになっていた。行き先は異なっていたが、彼ら三人はそれぞれ自分の道へと進む門出のときだった。


「マリ、君はヨルダン川西岸占領地区へと派遣されるのか。戦場の真っただ中じゃないか」

「ケン、あなたもアフガンへ行くのね」

「私は、フィンランドとロシアとの戦闘地域よ」

 それぞれが行先に思いをはせ、そして未来に思いをはせた。

「つぎはいつ会えるかな」

「それは言わない約束でしょ」

 一度は一緒にアフリカ未開の地に派遣される約束をした三人だった。しかし、この時代、仲間同士で仲良く仕事をすることはかなわない夢であった。それどころか、三人それぞれの明日の自分の命さえ分からないのが実情だった。

______________________________________


 三年後、世界大戦は、大きな気温低下と世界規模の被害をもたらしつつあった。

 北米ではワシントン州からカリフォルニアに至る一帯が海に沈んだ。ヨーロッパでは、サンクトペテルブルグからモスクワに至る一帯がガラスの表面のような無人の大地にすっかり変わり果てていた。インド亜大陸では、ヒマラヤ山脈のすそ野までを含む一帯が焼けただれた溶岩地帯となっていた。東アジアでは、大陸の沿海州から朝鮮半島の北部、中国の東北部から深センへ続く海岸の都市部一帯が、すでに海の下へと消え、東海(東中国海)沖の東瀛では本州がほぼ壊滅していた。

 人々は逃げ惑った。北米から南米へ、東欧から西へ、中東からアフリカへと…。アジアでは、北海道や九州、韓国や台湾に難民が押し寄せていた。戦いの中心を担ったユーラシア側の勢力は壊滅して、各地の戦闘はほとんど下火になりつつあった。実際には、世界はあまりに傷を負い、覇権国家だった国々を含め、ほとんどすべての国々が再建できずに滅びつつあった。

 だが、それでも中東一帯、特にパレスチナと呼ばれた地域では、力を維持し続けたイスラエルと地域大国を維持したペルシアとの戦いが続いていた。兵士たちは互いに相手に恐怖を抱いたゆえに、彼らの戦い方は降伏する者さえ殺してしまうほど絶望的で凄惨だった。兵士だけでなく、市民たちさえもたがいに隣人のはずの、異なる民たちに容赦なく戦いを仕掛け合った。通常の住宅や様々な施設ばかりでなく、学校や病院までが攻撃の対象となり、無力な老人やけが人、子供たちが殺され続けていた。

 彼らを止める者は、もはやいなかった。ヨルダン川西岸一帯だけは、いまだに勢力を維持する二つの国や様々な勢力が最後の死闘を続けていた。

______________________________________


 戦闘が事実上終結していたフィンランド戦線では、NATO軍の兵士たちばかりでなく、壊滅したばかりのロシア軍兵士たちまでが、前線近くの病院に運び込まれていた。ジャスミンは、寝る間も惜しんで患者たちを診察し、手術する毎日だった。そんなところに、白髪と白い豊かな髭の老人が運び込まれた。


 運び込まれた老人の服は、赤く染まっていた。朱色ではなく鮮血の赤だった。診察用の個室にその老人を迎え、ジャスミンは手際よく彼に局部麻酔をかけたうえで衣服を切り裂いて、大けがの処置をし終えた。


「おじいさん、あなたも戦っていたのですか?」

 ジャスミンは不思議な姿の老人に興味を持ち、話しかけた。老人は赤いほほを緩ませながら低い声で答えた。

「いや、違うね。配達の途中でトナカイたちが撃たれてびっくりした拍子に、そりが墜落してしまったんだよ」

「こんな戦争地域で飛行していたのですか? なぜ?」

「戦いがやむように働きかけるために、ね。だからここでは戦いがやみつつあるだろう? わしは、メロヴィングの以前から今までずっと、各地で戦いを止めさせようと働いてきたんだよ」

「メロヴィング以前?」

 ジャスミンは、欧州の歴史に疎いせいか、メロヴィング朝の名前を知らなかった。ただ、目の前の老人はどうやら、普通の人間とは異なり、長く生きて来たように感じられた。そんなジャスミンの反応を楽しむように、老人は話をつづけた。

わしのこの怪我は大したことはないだろう? もう治りかけじゃろうて」

「え? でも大けがですよ......」

 ジャスミンはそう言いつつ、手元の大けががもう治りかけになっていることに驚いた。

「そうじゃよ、私はあんたに会いに、ここに来たんじゃよ。そう、知らせと頼みを持って来たんじゃ」

「知らせ? 頼み? なんでしょう、まず、頼みについては私にできることなら何でもしますよ」

「そう言ってくれると思ったよ。あなた達にしかできないことなんじゃ。パレスチナの子供たちを助けてやってくれないか。ニクラウスの名をもってあんたに頼みに来たんだ」

「私達が? パレスチナの子供を?」

「そう、あんたたち三人だ。ケンとマリとあんたとで。本当はもう一つのほう、つまり知らせも大切なことなんじゃ。子供のような心の持ち主たちに、あのお方の臨在をお示しになる時が来たのじゃ。が、肝心のベツレヘムの周辺では戦いがひどくなっている。もう、わしたちには止められんのだ」

「ケンとマリの名前を知っているなんて………それで、私たちは何をすればいいのですか? それからご依頼の際に言及された、あなたのニクラウスというお名前は?」

 ジャスミンは質問しながら、改めて老人を見つめた。既にこの時には、老人の姿が薄くなっていった。

「待ってください。まだ治療が......」

「いや、もう大丈夫だ。それよりもわしたちの願いをよろしく。とくとお願いするよ」

 白いひげと白髪の老人は、目の前から消えてしまった。個室で呆然とするジャスミンの手許には、老人の肌のぬくもりと白い髪だけが残されていた。

______________________________________


 アフガンの地は、今日も静かだった。外国からの侵略の後に続いた内戦のゆえに、内戦終結後のアフガンの地には医療が不足していた。それゆえ、ケンはここに派遣されていたのだった。

 乾燥しきった峠を越えたこの村に、ケン達先遣チームは派遣されていた。後続の看護師たちも、今朝来ることになっていた。その前夜であったためか、ケンはいささか喜びと興奮を覚えて眠れぬ一夜を過ごした。それもあって、どうせ眠れぬから、と、彼は一人で先に未明から峠道で彼らを待つことにした。


 未明の予定よりも早く、さらに夜明けにも未だ早い時刻だった。峠を越えてやってきたのは、予定とは違い、青年一人だけだった。彼は、ここでは珍しくきれいに洗い上げられた白い服を着ていた。彼の背中越しに明けの明星が煌めいていた。

「あんたが新しい看護師か?」

「私か? いや、私はあなたたちが待ち続けている知らせを持ってきたんだ」

「知らせ? どういうことだよ? いや、早速手伝ってくれるとありがたいんだが......」

「私には、まだ知らせをもっていかなければならない別の場所もあるから、立ち止まるわけにはいかない」

「別の場所? どこへ行くつもりだ?」

「私はこの後、ベツレヘムに行くことになっている?」

「遠いなぁ。なんでそんなところへ?」

「そこでは、子供たちが毎日殺され続けている。私のしゅには耐えられない凄惨な殺戮が続いている。それゆえに、私はそこへ行ってしゅの臨在を再び示さなければならない。合わせて、あんたにも来てもらいたいのだ」

「私には、此処での任務がある......」

「ごまかしてはいけない。既にここの地でのあなたの働きは十分になっているではないか。おのれを偽ってはいけない」

 そういうと、白い衣の青年は、消え去っていた。

 ______________________________________


 街中で生活する市民たち。彼らには食料に事欠く生活をしていた。だがそれ以上に、彼らには平安がなかった。それは、すぐに理由が分かる。

 遠くで轟音がすると、ヒューという風切り音とともに必ず近くに爆発音がする。すると今度は対空砲火が加わる。これが絶えることなく続く。轟音がしても、もし風切り音が聞こえないときは至近で爆発が起きる。この時、あなたは命を失うかもしれない。これは戦場にいる兵士たちの身の上に起きる出来事ではない。これこそがパレスチナに生きる市民たちの毎日だった。

 昨日まで生きて来た隣人が、今日は引き裂かれて息をしなくなる。体が残っていればまだ葬ってもらえるだろう。一瞬にして体が無くなる者たちも少なくなかった。

 マリは、こんな町の一角の病院で、治療を続けていた。運よく怪我だけで生き延びた者たちがここにきている。だが、致命傷を受けて運び込まれる者たちも居る。こんな時、マリは祈りを口にしながらせめてもの治療を施す。たとえ無駄に見えることでも、彼女は分け隔てなく治療を施した。

 この日は、いつもよりひどい戦いだった。兵士たち、さらに市民まで巻き込んだ戦いは、激しければ激しい程、容赦がなかった。人々が吹き飛び、あるいは射殺される横で、病人や子供たちも巻き込まれ、吹き飛び、押しつぶされ、撃ち抜かれる。そのせいか、運び込まれる者たちは、手の施しようのない者たちばかりだった。


 もはや息をしない人間たちが多く寝かせられた病院テント前の広場で、疲れ切った彼女は一人で空を見上げていた。

 むかし、彼女は自らこの地を志願したのだった。以前、マリはケンとの恋に敗れ、ケンとジャスミンの前から逃げるようにしてこの地に来た。そんな平和な頃の記憶は、この惨状の中ではまるで夢のような光景だった。


「食料が無いのか? それならば目の前の瓦礫をパンにしてもらえるように祈ったらどうだ」

 背後から突然の問いかけがあった。マリには、それが誰だかわかっているように思えた。

「人はパンだけで生きるものでぇあない。むしろ、啓典の主の口から出る一つ一つの言葉で生きる」

「ほお、啓典の主の言葉で生きるのかね。それでは、あんたはこの戦いの地で彼等の戦いをやめさせるために、自らの身体を投げ出してみたらどうか。そうすれば、啓典の主が守ってくれるだろう。これ以上の死者は増えまい」

「神である啓典の主を試すつもりはない!」

 マリはそう答え、黒い影を振り返り睨みつけた。

「そうか、では死者たちは増え続けるわけだ。守られることなく市民は死んでいく。どうだ、この惨状にお前は耐えられるのか。この目の前のむくろたちは、なぜ生きないのかね。なぜ助からなかったのかね」

 マリは悔しさを覚え、唇をかみしめた。それをさげすむように黒い影はつづけた。

「そうだ、私が生き返らせてやろう、生かしてやろう」

 そう言った黒い影に、マリは思わず振り返った。

「どういうこと?」

「彼らを生きかえらせる力をあなたに与えようというのだ」

 マリは耳を疑った。もし、自らにそんな力があるのなら、全ての市民たちを救うことができる......そう思った彼女は思わず口にした。

「それなら、その力を私に......」

「そうだ、もしひれ伏して私を拝するならば、全ての力をあなたにあげよう」

 黒い影は翼を広げて大声を上げた。

「そうだ、さらには私の力の下に、全ての戦いを止めさせ、平和を与えてやろう」

 マリの目の前から、ためらいが消え、独り言を言った。

「そうだ、この力さえあれば......」

 この独り言を聞いた黒い影は、すっと身体を拡大させ、半分以上破壊されてしまったエルサレムのモスク・神殿の上に立った。

「さあ、私を拝め」

 この時、マリは思い出した。

「これは、荒らす憎むべきものが立ってはならないところに立った時......」

 彼女はつづけて小さく言葉を発した。

「退け!」

 そう叫んだ時、マリは目が覚め、ふたたび病院テントの前で座り込んでいた。


 病院の中から、看護師が声をかけてきた。

「ドクター・チャム! 援軍が来るということです」

「え?」

「本部から、ドクター・フラディとドクター(テオ)が看護師たちとともに来ることになりました」

 ケン・フラディとジャスミン・(テオ)。懐かしい名前だった。

______________________________________


 ベツレヘム。かつては静けさの中にあった街だった。今は爆撃やミサイル攻撃、自爆テロなどが繰り返される戦いの中にある街となっていた。

 今はエルサレムに本拠を置くマリたち医師団が、多くのけが人たちをひたすら治療していた。この日、不思議に戦場が遠ざかったことで、三人は少しばかり安心しながら活動を強化することができた。ただし、この辺りが比較的安全になったということを聞いて、周辺から多くの避難民たちがベツレヘムへと殺到する状態になった。ベツレヘム周辺の病院はすでに満杯となってしまった。


 そんなある日、ある男が、ベツレヘムの病院に産気づいた女を運んできた。車両ではなくロバに引かれた荷車に彼女を乗せて、何とか此処にたどり着いたということだった。だが、すでに場所はなかった。マリは、仕方なく彼らを入り口に設けた仮テントの隅に休ませた。

 その夜、冷たいテントの脇で子供が生まれた。いつまでも目を瞑ったまま、一切泣かない不思議な赤ん坊だった。

 一家のところへ、最初に来たのはあのロバだった。ロバの立て髪には、近くの教会で飾り付けに使ったらしい栞が引っかかっていた。

 いと高きところには栄光、神にあれ

 地には平和、御心にかなう人にあれ


 子供が生まれたと言う父親の知らせに、マリたち三人がだいぶ遅れてやってきた。彼等にとって密かな楽しみにして来たことだった。



 次の日、三人の家族は消えていた


 おそいきたのは、シリアから遠征して来たロシア軍残党だった。彼等がなだれ込んできた時、パレスチナの住民達が反発し、大騒ぎとなった。爆風で三人が倒れこんだ時、彼らの上を銃撃がまき散らされ、中にいた者たちが動かなくなった。

 嵐のように彼らは過ぎ去った。立ち上がったのは三人と一人の看護師だけだった。周囲の惨状に、ジャスミンは手を伸ばして何かをしようとした。ケンは去っていくロシア兵の背中を見つめた。そんなジャスミンとケンに近づいて、マリは彼らの背中を抱きながら立ち尽くした。

 彼らには驚きがあった。怒りもあった。悲しみもあった。そのすべてが迫ってきた。ただ、彼らはあまりに疲れ切っていた。もう、彼らには祈りの言葉さえでなかった。



 この時、がれきの向こうから、三人めがけて走り寄ってくるのが見えた。三頭はそれぞれ首を大きく振った。三人は倒れこむようにしてロバの背中に覆いかぶさった。

「どこへいくの?」

 看護師が三頭に問いかけると、三頭は答えた。

「主がご入用らしいです」

 ロバたちは走り去って行った。三人は、急に彼らの身体が軽くなったのを覚え、気を失った。


 彼らは夢を見た。とても現実感のある具体的な夢だった。

 彼らが居たのは海岸だった。白い頂と荒野をのぞむ海岸で、朝日の中、海は凪いでいた。そこは、戦争とは無縁の村だった。

 周囲には村の人々が集まっていた。彼らは無言のままに祈り続けていた。三人もまた黙って祈り続けた。

 人々が囲む丘の中心には、あの三人家族がいた。彼らの祈りは幼子の下に集められ、その幼子は指で啓典のある部分を指した。

「みよ、その日が来る」

「そのとき、あなたたちはもう一度

 正しい人と神に逆らう人

 神に仕える者と仕えない者との

 区別を見るであろう」


 この日、確かにエルサレムも、中東の各地も、全ての大陸でも、戦争で荒らされた大地は、一挙に訪れた災害と地震により滅んでしまった。残ったのはこの村のように、小さく無言の祈りを捧げていた各地の小さな村だけだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 終末期といった雰囲気を感じさせられるお話でした。 争いは悲しいです。
2023/12/30 09:29 退会済み
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