名刀夢
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
つぶらやくんの実家は、床の間とかあるのかい?
いや、うちは実家に久方ぶりに帰ったら、床の間にあるものが変わっていてちょっと驚いたんだよ。
今は花を置いているんだけど、昔は干支の置物だったんだよね。ひょっとしたら僕が家を出ている間に、お客さんとか通すようになったのかなあ?
床の間は、家の顔になると聞く。そこに置くものは、家の主人の性格を表すとされて、象徴になるんだけど、いまはお客さんに向けたものを考えるのも大事らしい。
時代劇ものだと、刀や鎧などの武具が飾られるシーンをよく見るな。
さすがにもののふの象徴。たとえ中身が見栄だったとしても、そこでなめられちゃ家の格にもかかわるだろう。
伝家の宝刀は実際に抜くものじゃなくて、そこにあることが大切と聞いたことがあるな。
それが床の間に置かれることは、他にも特別な意味合いを持つらしいのさ。
僕が少し前に聞いた、床の間と刀にまつわる話、聞いてみない?
僕の地元の武家に、名の知れた大名に仕えた家があったらしい。
家にはかつて源平合戦の時代より伝わる名刀が存在しており、書院造が広まっていくにつれて、その刀は床の間へ飾られるようになったとか。
当時の床の間は、寝る場所としての意味合いも色濃く出ている。家の当主と、その後継は決まってそこへ横になり、睡眠をとるようにしていたらしい。
かの名刀も、そのそばにあり続けて永く長を守り続けているのだとか。
優れた武器は使い手を選ぶという話は、古今東西に様々な形で存在するのは知っていよう。
かの名刀にも自ら主を見定めるかのような、不思議な力を帯びていたんだ。
当主の息子たちは、武術の鍛錬をはじめる歳になると、交代で例の床の間に寝かされるようになる。
将来、自分が味わい続けることになるやもしれない、床の間の眺めや心地になじませる意味もあった。が、その本懐は名刀に器をはかってもらうことだったのさ。
床の間で眠るようになってから10日以内に、その主は決まってある夢を見るという。
その夢は、月明かりの差す蔵の中にて自分が覚醒するもの。そこは人ひとりがまっすぐ歩ける空間をのぞいて壁に、床に、鞘へ入った無数の刀が立てかけてあるんだ。
それらのこしらえは、いずれも名刀とよく似たものばかり。
しかし、柄やつば、鞘に至るまでよくよく観察したならば、いずれかが違う刀ばかりということに気づく。
夢を見ている間に、無数の刀の中から一振りを選んで抜き放つ。自分の寝る前に脇へ寄り添っていた名刀と同じものをだ。
正しく抜いたならば、刀身はまばゆい光を放ち、そのまま夢から現実へ引き戻される。
その握った手と頬に、ノの字に走る切り傷が浮かび上がっていて、それでもって当主になる資格を得たとみなされるんだ。
しかし、それがなかなかできない者も、往々にして存在する。
夢に出てくる刀のこしらえは、ひと目で違うと判断ができるものから、まじまじと観察をして見つかる小さな違い以外は、本物そのものといった段階まであるとか。
もし名刀とたがう一本を抜き放つと、その瞬間は淡く光を放つ。まるで、蔵に差す月明かりを照らし返すように、緩やかにな。
だが、間違いであったその光はたちまち勢いを失っていく。ほどなく刀身そのものも、茶色く変わっていき、幾年の時を放置されたようなさび付きを見せて、崩れ落ちていってしまうのだとか。
ぽろぽろと、細かい破片になって鍔元まで完全に落ちきったとき、寝入っていた者は目を覚ます。
その布団の中には、いつの間にかき抱いたのか、くだんの名刀が胸の上にまで入り込んでいる。そして、服につく鮮やかな赤色に目を見張るだろう。
刀の柄頭より、その赤は漏れていることを、寝入った者は知る。本来、この手のものがつくべき刃部からは遠く離れており、その違和感のまままさぐると、自分の肌から血が出ているのを確認してしまうんだ。
己のみぞおち。そこに小さく空いた穴から、にじむ血の広がり。されども、そこに痛みは伴わず。
それはまるで警告のよう。
「今度こそ、俺の姿をちゃんと見ておけよ」と言わんばかりの、鮮やかな通達。
歴史上、この刀を夢の中で最初に手にとれた者はほとんどいない。たいていが、この身体をうがつ穴を幾度か見やってよりの、成功となった。
いかに文武両道に優れようとも、この刀を抜く夢の役を果たせぬ者は、当主となることはかなわない徹底ぶり。挑むにも、十度以内で成功せねばもはや候補から外されたという。
なにせ、しくじるたびに胸へ開く穴の深さ、大きさはじわじわと増していくのだから。
実際、中身の肉が見えて、命にかかわる事態となったこともあるらしくてな。そうして命を落とすよりも、お家のために尽くす存在を守る方が価値がある、というわけさ。
戦国時代が終わるまでの間、その名刀は家に飾られ続けていたのだけど、江戸時代に入ってしばらくしてから、わけあってお家を取り潰される羽目になってしまったようでね。
刀はその後、転々として別の名家のもとへたどり着いた。以前の家がそうだったように、かの家も刀を床の間に飾ったのだけど、それは長くは続かなかったらしい。
飾られてひと月ほど経ったとき、その家の者や使用人で怪死する者がいっぺんに出てきたんだ。
医者が見たところ、いずれも体の血がひどく不足したがために、機能を保てなくなったという判断だ。失血死だった。
そして一同のみぞおちには、個人差こそあれ、血のしたたる穴が開いていたんだ。
例の刀のいわくを知る者は、飾られた刀に疑いをかけたが、それを鞘から抜き放つや「ごぼり」と水音がたった。
鞘からどばっと赤黒い液体があふれるのと、そこに埋もれた刀身が抜き放たれるのはほぼ同時だった。
光り輝くと称されたその刀身は、いまや一分の地肌も見せぬほど、鞘の中の液体と同じ色に浸ってしまっている。
そのうえ、状態を満足に確かめられないまま、刀身はその切っ先からぽきんぽきんと、子気味よい音を鳴らしながら、無数の鉄片となってこぼれ落ちてしまう。
いや、鉄と呼んでいいものか。
落ちたかけらは、まるで紙か布かと思うほど、たやすくくしゃくしゃに丸まってしまう手ごたえのなさだったとか。
ほとんど玩具のような姿と相成った刀は、今度こそ跡形もなく砕かれて、いずこかへ処分されてしまったという。
刀は血を吸うともうわさされるが、その吸い方の穏便さたるや名人の技、いや名刀の技だったのかな。