5話 令嬢としての義務と葛藤
「え? この国を出る?」
翌朝。目が冷めたルルーファスは神妙な顔をしたララから朝食中に話を聞いて、素っ頓狂な声で理由を尋ねた。
「一体どうして」
「お嬢様の安全と、将来の選択肢を狭めないためです。いま現在は身を隠している状態ですので事態を打破するという理由もございます」
真剣そのものの顔をして、ララは決意を固めた険しい顔をする。
「お嬢様を生涯国に、城に縛り付けようとする汚い大人共の策略にハマってやることはありません」
「……でも、でもねララ」
確かに彼女の言い分も分かる、と言いたげな顔で、しかし否定の言葉を紡ぐルルーファス。
「私は生まれたときからクラフタル家の、侯爵家の娘よ。チェンジリングで違うところの子じゃない限り、そうなのよ。私には領地に住むものたちを守り養う義務があるわ」
「お嬢様。貴族の義務を尊ぶお嬢様のご意思は立派なものでございます。しかし、お嬢様ご自身を犠牲になさった上で果たす義務などないと思っています。見える苦労を強いてしまうのも心苦しいのですがお嬢様を苦しめる連中を見過ごすことも出来ません。どうぞご理解下さい」
胸を張ったルルーファスを諌めるようにララが静かに告げる。苦しげに、眉をしかめて。信頼する侍女にそこまで言われて二の句を告げなくなってしまったルルーファスは押し黙った。
重苦しい空気の中向かった冒険者ギルドでは、ギルドマスターの部屋に通される。ローランドが着席して出迎えてくれた。
「待ってたぜララ。お嬢さんもおはようさん」
「おはようございますローランドさん」
「頼んでいたものは出来た?」
「ああ。超特急で仕上げたぜ。総本部のケツぶっ叩いてやったよ」
立ち上がって机の中を漁ったローランドは1枚のカードを机に放った。銅色の、光沢のないカード。裏は記名箇所があり、まだ無記名のままだった。
「ララのはこっちな。こっちのブロンズカードはお嬢さんの。Gランクからスタートだからな」
「ララは……とてもキラキラした白いカードね」
「Sランクのものなんです。ローランド、これすぐ使えるのか?」
「ああ」
エス? と首を傾げるルルーファス。
ララが噛み砕いて教えてくれた。
冒険者には強さに応じてランク分けされており、初心者は最下ランクからスタートする。最高ランクがSで、世界でも十数人しかいないそうだ。全員がSランクというパーティもいるらしい。
ギルドカードは強さを証明する他にも、本人確認証としても使用可能だ。ギルドに登録されてある本人の血と照合して確認するらしい。
ランク分けの内情としては最下のG、光沢のない銅色のカード。次のF、光沢のある銅色のカード――といった風にアルファベットが若くなっていき、最上ランクのSはSpecialの頭文字を取って付けられたそう。カードの色はプラチナを表している。
「冒険者に新規登録したやつはGランクからだ。クエストをこなして100ポイント稼げばFランクに上がれる。Gランクのままだとひと月ごとの更新が必要になって、更新しなけりゃ登録抹消。再登録にもカネがかかるからな」
「どうしてFランクに上がるまでは更新しなければならないのですか?」
「まあ馬鹿な男は、人生一度は冒険者に憧れるもんなんだよ。でもなったところで命を何度も捨てるような覚悟を持てねえ弱腰はすぐに辞めちまう。そういうやつをいつまでも登録しておくと、次の世代で登録限界が来て冒険者にはなれねえ連中が溢れてきちまう。経営面でも困るしな」
Gランクでも、薬草採取やスライム退治など軽いものから、ゴブリン討伐などまで幅広いクエストを受けることが出来る。慣れたGランクは3匹程度のゴブリン討伐を引き受けてその報酬を得、さらにそこまで美味しくはないがゴブリンを解体して調理することで食費を浮かす者もいるらしい。Fランクに上がれば豚兵や牛兵の討伐なども増えてきてゴブリンが受けられなくなるらしい。
更新料自体は必要ないため、忘れなければずーっとGランクのまま過ごす冒険者も中にはいるそうだ。家族を養うため、という名目で。
さて、と居住まいを正すローランドは机に置いてある銅色のカードを手に取った。裏返して記名するところを指差す。
「こいつは完全記名制でな。名前もしくは通名を記入することで効力を最大限発揮する。どこかの神殿で洗礼名を授かったやつはそれでもいい」
「へえ……」
「お嬢さんは読み書き習ってんだろ? 庶民とかは農村の出とかも多いからな、受付嬢が代筆するときもあるが」
「あ、はい。書けます」
羽ペンで書けるからと渡され、ルルーファスはいつものように名前を書こうとして停止する。
本名は身バレする確率が十二分にある。しかし、急に名前を考えろと言われても思いつかない。これから名乗っていく名前は何からとろう、意味をどう込めようとうんうん唸る。
そんな彼女の横で、ララは自分のカードを眺めた。
「この色を見るのもずいぶんと久しぶりな気がする」
「10年は確実に経ってるだろ。元最高ランクが戻ってくるってなって、総本部は浮足立ってるよ。他に引退してる連中を引き戻すチャンスでもあるからな。――そうだ、覚えてるか? 俺らのパーティにいたマクミラン」
「ああ……懐かしいな。覚えてるさ。「泣き虫のマック」だろ。タンクの。そういえばあいつ今どうしてるんだ?」
ララとローランドは以前、他のメンバーも加えたパーティを組んで世界中を飛び回っていた。
前衛にララとローランド。後衛のザガン。回復のミルレージュ。そして最前線のマクミランである。
「そう! 最前線希望だったのにビビリで泣き虫だった「泣き虫マック」だ。あいつなァ、今総本部に行ってバリバリ活躍してるぜ。お前が冒険者に戻るって聞いて、大号泣しながら感激してた」
「あのマクミランが総本部勤め!? 務まるのか……ってことはクレセント帝国に移住したのか。あいつ、夢を叶えたんだな」
「ああ。そういやそんな夢語ってたっけな。パーティに入った頃はまだ成り立ての新参でよぅ。妙に敵さんに好かれるから最前線が天職だって囃し立てたっけか」
2人の昔話は終わりが見えない。会話を背景音楽にしながら、ルルーファスはいまだ名前で悩んでいた。
ルルーファス・アルテミシア・クラフタルなんていう貴族感丸出しの名前をバカ正直に書けば、この国内はもちろんのこと他国でも貴族の出だということが知られてしまう。他国の人に侯爵位だとは分からないだろうが、それでも無知な貴族がお遊びで冒険者になったと思われれば金銭どころか身ぐるみすべて奪われてしまうかもしれない。
悩みに悩んで、脳内がオーバーヒートしそうになりながらもチラリとララを見る。――うん。と頷く。
「お、決めたのか」
「はい」
羽ペンを動かして記入した名前は「ルル」という短い二文字のそれ。
「ララみたいに、短いのが呼びやすいかなって。色々と考えましたがこれなら耳馴染みも良いですし」
「さすが、深いお考えですお嬢様」
「ホォー。まあ確かに名前なんて耳馴染みのあるやつが一番だよ。似合ってる」
コーティングされたツルツルのカードに羽ペンなんて書けるのかと心配したが、ペン先がよく馴染んだ。ツルツルしているから羊皮紙にある引っ掛かりもなくて、インクが書いた先からどんどん染み込んでもう乾いていた。速乾性があるインクかと思えばカードにそういう魔法がかかっているのだという。
「このコーティングの魔法は雨にも耐えるし、酸の海に落としても溶けやしない。半永久的に存在する代物だが、製造元では溶かすことが出来るらしいな」
「凄いですね……どこの技術ですか?」
ローランドの説明に感嘆するルルーファス――ルル。そんな凄い技術が詰め込まれてるカードには思えない素朴さがあった。
「クレセント帝国だよ。あそこは魔法の真髄を常に追い求めてるし、魔法の研究や開発に力を入れてる国だ。魔法魔術学院もあそこが名門だしな。あそこの研究結果から生まれた代物だが製造方法は一切漏らさねえ」
中央大陸アースガルズ。その大陸全土を支配する一大帝国、クレセント。
各地に属国を持ち、テレバ王国も表向きは同盟国だが実態は属国のような扱いを受けているのだ。まだ王家にいた頃聞き及んだ範囲では、現在、次期皇帝が国を不在にしているという。
クレセント皇家は特有の長い銀髪に「宝石眼」という、宝石をはめ込んだようなキラキラした目を持っているらしい。
元々、テレバの属国扱いが始まったのは第二皇女が現在の国王に嫁いできた頃からだそうだ。いわゆる政略結婚で、テレバ側にしか明確なメリットがないにも関わらず恩を売るという形で嫁がせてきたらしい。その輿が城に入るとき宝石眼を見た住民が多いらしい。
その第二皇女は皇家の特徴がよく出た王子と姫を産み、亡くなった。理由は明かされていないが、当時は側妃で愛妾だった現王妃が男児を産んだ直後のことらしい。その男児は現在の王太子だ。
まことしやかに囁かれる風のうわさでは、自らの子を王太子にしようと企んだ現王妃が当時王妃だった第二皇女を暗殺してその子どもたちをも殺そうとしたため城から逃げ出してきたのではないかというのだ。というのも、王妃暗殺の現場にいたはずの子どもたちがいつの間にか国から姿を消していたというからだ。
もしかしたら母のあとを追わされたのではと噂する者もいるのだが、真偽のほどをルルーファスは知らない。
そんな経緯もあってクレセント帝国はテレバ王国に「恩を仇で返された」と憤慨し、第二皇女がいた頃には控えめだった口出しも積極的に行われるようになり実質的な属国扱いを受けるようになったという。
攻め込まれるかもと思われたこともあったがそのあたりに関しては帝国側の不気味な沈黙で終わっているらしい。
王家はそのような経緯を忘れて今の属国扱いに納得がいっておらず、帝国側に内緒で異世界人を召喚して反乱を企んでいるようだ。
王太子も父王と母王妃の不満を聞き育ったせいか初めからクレセント帝国に対して敵対視しており、ルルーファスに対してもそれを強いてきた。
彼女自身は帝国の持つ素晴らしい技術たちに尊敬の念を抱いていた、ということも忌み嫌われていた理由の1つかもしれない。
「帝国は独自の方法を確率しているところが多くてな……門外不出のやつがいっぱいあるんだ。皇帝直々に取り締まってるとかって技術もあるらしいし。こういうのは国益になるから厳しくするのも当然だが。流出させた技術者は以前死罪だったらしい」
テレバ王国には国外に益として出せる特産品がない。国を挙げてプッシュできるような特別な農産品がなければ海産品もない。鉱山がないので鉱石類もないし、フォルト国のような「紙」というものもない。
農村が飼っているお蚕から糸を紡いで作る織物は地方品としてそこだけ名高いが他国に吹っかけてしまったので、売ろうにも悪評がついて回ってしまい「テレバ王国品」として売れなくなってしまったのだ。
今でも作られているその織物は、行商人や商人が仕入れにくるくらい。「テレバ」ではなく「職人」の作成品として、だ。
「まあ今じゃ殺しちまえば技術も失われるってんで、永久幽閉だけで済ましてるみてえだが。――さァて長っ尻は損の素だ。名前も書いたし、入町税はこれでかからんくなるし、国境の手続きも一発よ。見せるだけで顔パスできらァ」
「お嬢様。これですぐに国境へ向かうことが出来ます」
ララの手にもギルドカードが握られている。わざと見せているのか、部屋の隅には2人分の荷物が置かれてもいた。
真剣そのものの目に気圧されてゴクリと喉が鳴る。
「トゥルテヌート海沿いの港町ハルピンがテレバの向かいにあってな。フォルトの国境付近にあるトルゥーガから直通便が出てるから、そこまで行け」
「歩きで1年はかかるから、まずは乗合キトカを使ってテレバ側の国境まで行かないとな」
「あぁそれならいいのがある。昔のよしみだ、復帰祝も兼ねてやるよ」
こっちゃ来い、と手招かれた先は冒険者ギルドが併設している獣舎だった。魔物隷属士や魔物売買士など、亜空間に収納しない人が利用するときだけ繋いでおく場所だ。
2体のダチョウに似た生き物がジッと黒目をルルーファスに向けてくる。獣舎の中で大人しくしていて、頭部は大きめのボウリング玉よりももう少しだけ大きそうだ。
「ウチの速歩キトカだ。こいつは早いぞ。荷運びキトカとのハイブリッド種だからな」
キトカ、という種類の鳥は何種類かいて、大まかに4種類に分かれる。
第一に茶色い体をした荷運び用のちから持ちなキトカ。足腰が発達しており、持ち上げることは出来ないが自身より10倍以上あるものさえ遠くへと運べるのだとか。
第二に海キトカ。海辺のみに生息する青い体のキトカで、本来は苦手とする潜水を得意としている種になる。その特性を生かした漁をする町もあると聞く。
第三の飛翔キトカは淡い水色をしている。この種だけ翼が発達しているため海もらくらく超えることができるくらいには飛んでいられるらしい。昔の郵便は飛翔キトカを使って配達していたらしく、今でも農村部や地方では飛翔キトカを使っているところもあるそうだ。
第四が速歩キトカ。この種は様々な色をしていて、この速歩キトカが原種だとも言われているそうだ。荷運び用のキトカと違う脚の発達をしており、大陸横断も苦ではないという。
本来貴族以外でも馬車は使える。しかし賃金の安い庶民や貧民街の住民は馬車で移動するほどのお金はない。という理由から「乗合キトカ」という速歩キトカを利用した馬車の代替品が生まれたそうだ。
「こっちの白頭がカイン。黒いのはアベルって名前だ。こいつらは特に賢くて、よく言うことを聞くぜ。母親が速歩で、父親が荷運びのハイブリットでな。足腰がすげえからゴツゴツした岩山だって平地と同じように走ってくれる」
獣舎から連れ出したローランドのもさもさした髪をつっついて遊ぶアベルと、どうして出されたのかと不安げなカイン。ルルとララを見てそろそろ近付いては離れていく。
「クェエ……」
「クェウ」
逆にアベルはルルに興味津々で、首を傾げながら堂々と近付いてきた。どうやら同じ母親から生まれた子でも性格が違いすぎるようだ。
「はは。アベルはルルを気に入ったみたいだなァ。ララはカインに乗んな。ここから国境の町キールまではおよそひと月でいけるから食料はこんくらいを目安にしてくれ。持ち金はあるか?」
「いまのところだいたい5万円分は持ってる。大きな街でも簡易宿泊所に泊まるか木賃宿で何とか凌げるだろう」
「これ追加しといてくれ」
そうぶっきらぼうなローランドが投げてよこした革袋には10万円が入っていた。
「これは……もらいすぎだローランド! お前だって総本部からそうもらってるわけじゃないだろう!」
「それはパーティのときに溜め込んでたカネだよ。今の生活じゃ、総本部でもらう分だけで事足りんだ。他に養うやつもいねえし。祝いだ、祝い。とっとけ」
困ったと零すララだったがそれを聞いて仕方なさそうにお金をしまい込む。
「大事に使わせてもらう」
「パーッと使え。どうせ道すがら魔物がいたらそれをメシにするつもりだろ。たまの町でくらい良いメシ食えよ。じゃな」
これ以上は気恥ずかしくなったのかそそくさと去っていくローランドの背中を見つめるルル。
鞍をつけた2体にまたがると、それだけで理解したのか軽やかに走り出した。行き先が国境の町キールだと聞いていたのかもしれない。道は分かっているとばかりに迷いがない。
ストゥリヌの町には寄らないでくれと伝えると、是を伝えるように短く鳴いて魔獣の森を突き進んでいく。
カインとアベルはローランドがレベル高く育てていたのか思ったより魔物が寄ってこず、揺れも心地いいくらいで快適だ。
領民を裏切ってしまうという罪悪感で胸がいっぱいだったルルは、その心地いい揺れとまだ見ぬ景色の土地を踏める高揚感で今だけは強く前を向いていた。