03. 推しキターーーーー!
「誰、この美少女……」
窓の前で呟いたら、窓硝子の中の美少女の口もぱくぱくと動く。
右手を上げたら左手が上がって、下ろしてみたら下がった。
頬をぺたぺたと触ってみると、窓硝子の中の美少女も自分の頬を触っている。
呆然としたまま窓の前で固まっていたら、背後からまた溜め息が聞こえて来た。
「気は済んだか?」
強面サンの、多分不機嫌なんだろうなって声。
気は済んだか、と言われても、済むわけがない。
泣きそうになりながら首を振る。
「ここは、どこで……私、は……誰、ですか……」
震える声で尋ねてみたら、強面サンはまた、今度は大きめの溜め息をついた。
「――ここはグレンダールで、お前はエミーリア・フィシェル……今日エミーリア・グレンダールになった」
「グレンダール……?」
その単語……ううん。国の名前には覚えがある。
窓硝子越しに強面サンを見つめて……そしてばっと振り返った。
「グレンダール……って、ルドヴィク・グレンダール!!?」
それまでの混乱をぽーんっとすっ飛ばして、タックルかます勢いで強面サンに飛びつくと、その勢いにか強面サンが驚いたような顔をした。
そんな事は気にしてられずに、私は強面サンの顔を覗き込――もうとしたけど無理だった。身長差ぁぁぁ!!!
暗くてきちんと判別出来ないけど、とりあえず髪は黒っぽい!
もしもこの強面サンが本当に私の知ってる「ルドヴィク・グレンダール」だとしたら、その瞳は多分紅だ。
「ようやく夫の名を思い出した、という事か?」
ふんっと鼻を鳴らして、強面サンはゆっくりと屈む様にして私に顔を近づける。
よく見ろ、とでも言うように。
「そうだ。俺はルドヴィク・グレンダール。――お前の夫だ」
「推しキターーーーー!!!!」
鼻息荒く叫んだ私を強面サン――ルドヴィクが珍妙な生物を見るような目で見てる気がするけど、そんな事はどうでも良い。
ルドヴィク・グレンダール。
大陸の北に位置する、実りも資源も乏しい小国だったグレンダールの国土を僅か数年でぐんぐんと拡げた『征服王』
若くして王位に就き、戦に併合した国々の――領地となった地の平定にと奔走していた彼は、母親を早くに亡くした事もあって女性と関わることが極端に少なかった。
あまり拡げ過ぎても上手く行かなくなると、豊かな農耕地や鉱山、大きな港を持つ土地を手中に収めたルドヴィクが侵略を止め、国内の統治に重きを置き始めた頃。
彼はグレンダールとは真逆に位置する、大陸の南端にある小さいながらも自然豊かな美しい国・フィシェルを訪れた。
そしてそこでフィシェルの王女・エミーリアの美しさに目を奪われ、たおやかさに心奪われる。
ルドヴィクはすぐさまエミーリアに求婚するが、しかし彼の辞書には女性の口説き方や愛の伝え方など欠片も載っていなかった。
ルドヴィクからの求婚を、フィシェル国王一家は「逆らえない命令」と受け取った。
今や大陸一の国土と軍事力を誇るグレンダールに逆らったとみなされて攻め込まれたりしたら、小さなフィシェルなどひとたまりもない。
この身一つで国と国民を守れるのであればと、エミーリアは悲壮な覚悟でルドヴィクに嫁いだ。
ほんの僅かな準備期間の後にグレンダールに連れて来られたエミーリアは、『征服王』の心の内など知る機会も与えられずに式を挙げ、
その晩には恐怖と不安だけを抱えて『征服王』に純潔を捧げる事になった。
夫となったルドヴィクとはろくな会話も出来ず、ただ毎晩抱かれるだけの日々に、元来気弱だったエミーリアは心身ともに弱ってしまう。
そうして挙式から僅か半年後、すっかり弱り切ったエミーリアは、あっさり儚くなってしまうのだ。
愛した女の死にルドヴィクは傷つき、後妻を娶る事はしなかった。
けれどエミーリアの死から三年程経った頃、ルドヴィクは視察で訪れた街でマリアという女性と出逢う。
修道院で子供たちの面倒を見ながら慎ましい生活を送るマリアは、元はグレンダールの隣国、現在は一領地となっている地域の貴族令嬢だった。
生家はグレンダールからの侵攻で――つまりはルドヴィクのせいで没落してしまったけれど、己の境遇に恨み言や不平不満を口にする事なく、明るく誰にでも等しく優しく、いつでも笑顔のマリアは修道院でも街でも人気者だった。
ルドヴィクの前でも物怖じせずに話をし、臆する事なく意見を言い、屈託なく笑うマリアに、ルドヴィクは次第に心惹かれていく。
マリアもまた実はとんでもなく不器用で、圧倒的に言葉が足りないルドヴィクを支えたいと思うようになる。
そうして心通わせるようになった二人はいつしか――
という、私が大好きな、好きすぎて何度も読み返した小説のヒーロー。それがルドヴィク・グレンダールだ。
マリアへの想いを自覚してからのルドヴィクの不器用ながらも想いを伝えようと奮闘する様や、時に見せる強引さ、だけどエミーリアの事があった為にちらりと見える弱さが堪らなく好きだった。
マリアと結ばれてからの、「愛を伝える」というアビリティを手に入れてからのルドヴィクの熱さと言ったらもうもうもう……!
ルドヴィクの名シーンを反芻しながらはあはあと荒い息を吐いていた私は、そこでふと気付いた。
――さっき彼は、私の事を何て呼んでた?
「エミーリア・フィシェル……?」
――エミーリア?
ルドヴィクの初恋にして初妻。そしてデカめのトラウマになってしまう、あのエミーリア?
「私が……?」
嘘でしょう?
何で?? どうして????
答えを求めて視線を巡らせても、そこは変わらず暗い部屋の中で、そして難しそうな顔をしてる推しと思しき男性が立っているだけ。
ふと鏡台が目に入って、私はふらりとその鏡台の前へ向かう。
覗き込んだ鏡には、やっぱり私とは似ても似つかない美少女が映ってる。
小説の冒頭での説明と、時折ルドヴィクの回想で名前が出てくる程度のエミーリアの事は、あまり詳細には書かれてない。
挿絵にも登場する事はなかったから、どんな容姿なのかもよく分からない。
でも「淡く輝くような金の髪に新緑を思わせる瞳の、春の精のような美しい少女」というような記述はあった。
確か年は――二十歳だったっけ。初めて小説を読んだ時の自分と同い年で、この年で死んじゃったのか、と思ったんだ。
下ろされている長い髪を手にとってみると、ふわふわと柔らかくて、確かに金色だ。
瞳の色は、鏡を覗き込んでみたけどやっぱり暗くてよく分からない。
呆然と鏡を見つめてた私は、背後にいるルドヴィクをのろのろと振り返る。
「あの……私……」
エミーリアではありませんと言おうとして、でもそんな事を言って信じて貰える気もしなくて、だけど言わなくてはルドヴィクにもエミーリアにも悪い気がして、でも、だけど……と口を開いて、閉じて、を繰り返す。
それまで私を観察していたらしいルドヴィクが、ゆっくりと腕を組んで、顎に手を添えた。
――小説の中で何度か登場する、ルドヴィクが考え事をする時の仕草だ。
「お前の姿形は、どこからどう見てもエミーリアだ。先ほどまで確かにこの腕の中にいたのだから、入れ替わる隙などありはしなかった」
ルドヴィクは添えた指でゆったりと自分の顎を撫でている。
しばらく無言でそうしていたルドヴィクが顎から手を離して、そして腕を組みなおす。
「だがお前の所作は、エミーリアではない。――さて、いつの間にやら俺の寝所に忍び込み、エミーリアに取って代わったお前は、一体誰だ?」
問われて、私は胸の前でぎゅっと手を組む。
「私……私、は……。えみり。天羽生えみり、と言います」
絞り出すように答えた瞬間、ばちんっと記憶がフラッシュバックした。