マリアの憂鬱
「ジャン、明日仕事が終わったら、今帰仁城跡の麓の『強欲ババアの宿』まで来て。飛べるわよね?」
マリアから、ショートメールがきた。
「ワワン(なぜ、今時LINEじゃない?)」
「マリアは、LINEが良くわからないんだ」
一部の人にわかっていただける? と、思うが最近の文明の利器の発展は目覚ましすぎる。「私は、常に機械に置いていかれている」と、誰かが言ってました。
ジャンも、はっきり言って、機械は苦手である。機械相手に魔眼でキレたのも一度や二度ではないのは、ここだけの話。
最近は、ランゲルハンス子爵の家に住み込みで働いている。
「家に帰るのが面倒」
と、ジャンがぼやくと、優しい子爵は、
「では、空いてる部屋とかいかがですか?」
と、即オッケーしてくれたのだ。あの人こそ、「現人神」だと、確信しているジャンである。
「クゥン(でも、ジャンの荷物が多すぎて、引っ越しがまだ完了してないよね)」
「…」
お洒落が好きな俺は、家にある服や化粧品やアクセサリー類をメルカリで売ったり、断捨離してる途中である。挫けそうな量。笑
俺が案内された部屋は、使用人部屋だったため、ベッドと小さい収納しかないワンルーム。家賃がただなので、文句は言えない。泣
★★
約束の日の夜。
「パトラッシュ、行くぞ」
「ワン(うん)」
俺は、頬を染めて俺を見上げるパトラッシュを見る。モフモフの身体がさらに巨大化したような…。
「パトラッシュ、横になって」
「クゥン(なんで?)」
文句を言いつつ、パトラッシュがごろんと横になる。樽のようなお腹は、洋ナシのようにぽこっと出てしまっている。
「…」
俺は無言で、パトラッシュの首輪を掴み、持ってみようとした。明らかに前より目方が増えている。
「パトラッシュ、体重計乗ってる?」
「クゥン(この前、針が振り切れちゃって)」
…100キロを優に超えてきたか。120キロはありそうだ。最近は、ランゲルハンス子爵でうまい飯を食らってるせいか。
俺は、魔眼でパトラッシュに命令した。
「パトラッシュ! 『強欲ババアの宿』まで、飛んでいけぇ!」
バビューン!
「ワワン(なんか、今回扱い雑!)」
…パトラッシュは、星になった。
「パトラッシュ、いい奴だった…」
「じゃなくて、俺も追いかけるべきだ」
俺は、バサバサと翼をはためかせながら、子爵家を後にした。
★★
「強欲ババアの宿」に着いた。ここは、客によって値段を変える。なので、ババアとのファーストコンタクトが肝心だ。
「足元を見る」という慣用句がある。本来の意味とは違うが、接客業に於いては、客の「裕福度を見るバロメーター」であり、本当に「足元」の靴を見ているのだ。
ジャンは、ケチなので、ボロボロの靴を履いていく。笑
雑巾のように店の前で蹲るパトラッシュがいた。
「クゥン(ジャンがひどい…)」
「ごめんて」
パトラッシュを宥めながら、マリアを待つこと30分。
「ごめーん、待ったぁ?」
「あ、今来たとこだから」
「クゥン(この場面デジャヴ)」
マリアは、お風呂上がりの上気した頬で、やってきた。
ババアの店でチェックインする。
「あんた、どこかで見たことあるね。…モデルと、子爵家で働いて金は持ってるだろう? そんなボロボロの靴で私をごまかすなんて、100年早いよ」
…強欲ババアは、予約した者の下調べを念入りにしてる。「今帰仁の富岳」と呼ばれるババアの頭の良さと抜け目の無さは、「実はアンドロイドではないか」と言われている。
★★
「こんなボロクソ宿で、一泊二万とかあるか」
「まぁまぁ、明日は花見だから。パアッといこうよ」
…強欲ババアの宿では飯も出てこない。マリアにその辺で買ってきてもらった食事でつかの間の休息。
「この餃子旨い。ニンニク効いてる」
「ワウワウ(肉美味しい)」
★★
翌朝、今帰仁城跡にやってきた。今帰仁城跡は、14世紀後半に三山時代の北山王統の居城となった。今でもその跡をとどめており、2000年から世界遺産だ。
毎年「今帰仁グスク 桜まつり」が開かれており、整備された道が歩きやすい。桜も密集しているため、親子連れが多い。
「パッキンの子どもは、なぜあんなにかわいいのか?」
「パッキンって…」
色が抜けるように白い、金髪の子ども達が溢れている。薔薇色に染めた頬の笑顔で走り回る子ども達は、「天使もかくや」と思われる程だ。本当に天使かもしれないが。天使は、金髪青目が多い。
「ジャンも、半分天使じゃない」
「そういえば、そうでした」
「ワウワウ(ジャン、あの焼き鳥買ってぇ)」
桜はピークをすぎ、葉桜も交じっていた。寒緋桜は、ソメイヨシノとは違い、ハラハラと舞い散らず、椿のようにボトッと花ごと落ちる
寒緋桜は、木によって花の色合いが違う。群生していると、ピンクのグラデーションが非常に美しい。
「マリア、そっちは危ないから」
幼い子どものように、崩れそうな石垣に足を掛けようとするマリア。普段から、注意力がある方ではないが、この日はいつもより周りの景色に貪欲に反応した。まるで、それはこの世に別れを惜しむようでもあった。
「パトラッシュ、マリアを捕まえてくれ」
「クゥン(今アイス食べてるのぉ)」
城なので、小高い丘になっている。低い柵からは海が見える。吸い込まれそうな青のグラデーションが、ふと「向こうに行ってみたい」という気持ちにさせられる。海が見える崖では自殺が多い。それは、ちょっと「向こうに行ってみたい」と思っただけの人もいるかもしれない。
柵にぴったりと身を寄せたマリア。
「マリア、危ないって」
振り返ったマリアのキャラメルブラウンの瞳から、一筋の涙が光る。静かに泣くマリアが美しく、俺は息を呑んだ。
「私、お父さんの病気がうつったかもしれないの」
今世界中で疫病がはやっている。致死率はそこまででもないが、確実な治療法がない。俺は、目の前が真っ暗になった。