【江戸時代小説/仇討ち編】必死の一刺し
ある男が復讐のため立ち上がった。男は、名を権三といった。しがない武士である。
その念兄である奥村兼康が、あるとき道で、武士に身に覚えのない因縁をつけられて斬り殺された。
奥村には妹はるがおり、権三ははるのことを陰で特別好いていた。
*
ある土砂降りの夜、権三が一人休んでいるとはるが訪ねてきた。
「はる殿、いかがした」
「おなかを空かせておられると思い、食事をお持ちしました」
大層に拵えた膳を両手に抱え、びしょ濡れの姿で土間に立つはる。
はるは小柄で、年の割に女らしく胸の膨らんだ女子であった。
権三は急ぎ囲炉裏に火をくべると、近くであたるよう勧める。
着物が白い肌に吸いつき、艶めかしい姿の彼女にどうしても目がいった。
このまま己の腕の中に閉じ込めてしまいたい衝動に駆られる。
「いやはや、かたじけない。独り身なのを気遣ってくれたか」
どうにか話を振って、気を紛らわそうとするが長い間、女と寝ることのなかった権三にはきつい一時である。
「雨は……まだ降り止まぬ、か……」
窓の外の景色を見る。未だ止む気配なく、それどころか先ほどより雨は一層激しくなっていた。
権三ははるがわざわざ豪雨の中持ってきてくれた食事を無駄にするわけにもいくまいと、膳を手前に引き寄せようとした。
するとそれを察したのか、はるも膳に手を伸ばし、互いに自然と手が当たり、なんだか気まずい雰囲気が流れる。
はるは食事を運び終えたので、すぐ家に帰るとばかり思っていた権三だった。
いや、そうでなければ権三の理性がぷつりと切れそうであった。
さりとて、この雨で返すのも忍びない。
「むさいところで申し訳ない」
「いえ。押しかけてきたのはわたくしのほうですから」
はるは権三が食べ追えるのをそれとなく待っていた。
膳を取りに来るとなれば二度手間かもしれない、ゆえに彼女は自分の食事が終わるのを待っているのだと、権三はひとり納得する。
食事を終え、茶の一杯を口にしたそのときである。
その薄い唇からある名前が飛び出した。
「岡部長政……」
憂いを帯びた瞳が語り出す。
「兄を殺した男の名です」
震える声で言うその姿には悲しみが伺える。
「兄の敵を、いかがしても討ちとうございます。それができるのは義弟の貴方様だけ……」
すると、はるがすっくと立ち上がって、着物の帯を弛め始めた。
このときになってやっと権三にもわかった。
自分が食事をしている間、空気が張り詰めていたのはこのためか。
「おぬし……」
言おうとして、はるの言葉が遮った。
「どうかお助けくださいまし」
若い女子の体躯が背を覆う。
「……後悔はせぬのか」
責任を持ってやれぬと、脇に回された腕を取り、権三は断りを入れた。
しかし、はるは臆することなく言うのだ。
「どうぞこの体躯お好きなように」
耳元で甘く囁かれ、理性の箍が外れる。
権三ははるをながば強引に床に組み敷いた。
娘ははっとしたような顔で権三を見てくる。
「驚かせてしまったか、すまない」
気を取り直して、首元に顔を近づける。
すると、はるが上擦ったかすれた声を発した。
「ゃ」
そう、音をあげれば、今ならまだ離してやれる。今ならまだこの怒張を抑えることも。
「やさしくしてくださいまし……」
頬を薄らと赤らめて言うのだから仕方ない。
「心得た」
どれくらいのときが経っただろうか。
愛撫を十二分にし終えた権三は、いよいよ愛しいはるの中に入ろうと試みる。
「痛くせぬとは申せぬ。だがそのぶん女子に生まれてよかったと思わせてやるからな」
権三ははるの肉壺にずぶずぶと己を挿れ込み、ゆっくりと腰を動かしてゆく。
その間、はるは奥歯をぐっと噛みしめ、声を漏らさぬよう口に指をくわえ、必死に耐えている様子だった。
すると半分ほど抜いた陰茎に破瓜の血がついていることに気づく。
「おぬし、やはり初めてであったか……」
この瞳を見ればわかる。これは、まだ情を知らない眼だ。まこと生娘が己が身体をなげうってまで兼康殿のことを……。
身体を小刻みに震わせながら痛みと戦うその姿は、どこまでも純真に権三の目には映った。
苦しそうな表情は、やがて甘い吐息と共に和らいでゆく。
はるに、己の内の熱を逃がしたくて仕方ないという顔を向けられた権三は、暴発しそうになるのをぐっと堪え、腰を振るのをわずかに止めた。
「はる殿、声を聴かせてくれまいか」
はるはひとに聞かれるのは恥ずかしいと顔を背ける。
しかし権三は、汗で額に張り付く髪をかき分けてやりながら、その耳元で優しく言ってやるのだ。
「こんな雨ゆえ、聴いているのはそれがしのみぞ」
それをかわきりに、はるの口からは男に突かれる悦びの声が漏れ出す。
雨の中、居間に響き続ける嬌声に、権三は抑えきれない男としての衝動を愛しいはるの身体に刻み続けた。願わくば、時よ進んでくれるなと思いながら。
*
ある朝方、市(市場)からの帰りのことだった。
権三とはる、ふたり並んで歩く道中、突如として、はるが血相を変え、ある武士を指さした。
「あッ! あれは……岡部長政っ!」
偶然にも、仇・岡部とかち合わせたのだ。
「間違いございませぬ。あれは確かに——」
はるにそう示された権三は、すかさず刀を抜いたが、とうの岡部は素知らぬ顔で通り過ぎようとする。
「奥村兼康の敵! 岡部長政ッ、覚悟致せ!」
響く大声に道行く人が皆、立ち止まる。
はるを泣かせる輩を放っておくわけにはいかない。
刺し違えてでも義兄の無念を晴らさなくてはと刃を握る。
しかし権三より剣の腕を遥かに上回る兼康を斬殺した相手。下手に出れば権三の身は一瞬で三枚におろされかねない。
権三は奮い立って叫んだ。
「岡部長政ッ、どうあっても赦せぬ!」
同時に、権三は己の腹に匕首を突き立てる。
これをさし腹といって、さし腹を迫られたほうは己の命を差し出さなければ、武士として不名誉にあたる。
そばには数人の野次馬。
ここまでされれば武士として、知らぬ存ぜぬではもはや通せない。
それをわかっていた権三。
血反吐をはきながら、したり顔で岡部を睨みつける。
岡部の鬼の面に悔し涙が滲み、権三に続くようにしてそのままその場で割腹した。
それを見届けた権三は腹の底から笑って言い放つ。
「武士の意地、ここに見せたりッ……!」
権三は最期の言葉を残し、地面に突っ伏したきり動かなくなった。
それを見ていたはるは権三に駆け寄った。
「貴方様を頼ったこと、悔いはありませぬ」
実は、あの雨の夜権三の元を訪れたのも、その日のうちに好いてもいない男に身をさしだしたのも、果ては、岡部の居所を突き止めていながら自らは手を出さず権三に任せたのも、すべては自分の手を汚さず生き残るため、計算尽くしてのことだった。
本懐を成し遂げたはるは、目に涙を浮かべて、今にも雨が降りそうな真っ黒な天を仰いだのだった。
おわり