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スコレイオ  作者: 地野
3/3

樹氷

確認せず勢いで書いてます

あの人はキールのことになるといつも以上に面倒臭くなるな。廊下を出て振り返ることもなく歩き進めれはすぐに食堂にたどり着いた。さっきまであんなに迷っていたというのに。迷ったり迷わなかったりつくづく自分はこの建物との相性が悪いようだ。しかしうるさいカノンの追跡は免れたようで今回は運が良かったと言える。昼に話していた白い幽霊についてまだヨハンに聞けていない。詳しく聞きたかったが、有耶無耶になったままヨハンと授業も被らず、結局こんな時間になってしまった。いつもなら怪談話なんてただの噂話なんだからと証拠のない話には深入りしないカイロスだったが今回の件は夢ではない。実際カイロス本人が体験した話だ。

「お礼も言えなかったしなぁ。」

食堂に入ればアンティークなシャンデリアが昼時より暖かな光を灯していた。混雑時は過ぎているようでいつも出来ている長蛇の行列は細く並ぶ層も上級生が多い。下級生は寮内に決められた門限がはやく食事を早々に済ませる必要がある。特にパーサルク寮に所属する生徒は妖精族の生徒が多く妖精族の子供は太陽の光を好み夜闇に弱い。大人になるにつれ暗闇に順応した身体が造られていくのだが若いうちは夜になると歩いていても突然眠り出してしまう。学園内は広い、それはそれは広く教師でさえも把握しきれない箇所もある。そんな場所で幼い子供が動けなくなったとしたら、セキュリティ万全で誘拐等の心配はあらずとも怪我やトラウマを与える可能性だってある。実際に入学したばかりの初等部生や中等部に上がりたての生徒が毎年何人か夜の学園内で迷子になる。その度に現れるのが件の『白い幽霊』である。


白い幽霊が現れるのは決まって迷子になった初等部・中等部の生徒の前。白い幽霊の噂はまちまちで全身毛むくじゃらの男。女神のように優しい微笑みを携えた女性。己と寸分違わずそっくりな顔をした子供。マントを目深く被り腰の曲がった老人。挙げればキリがないほどの姿形をしており、不思議なことに証言する子供は三日に渡って異なる容姿を話すのだ。そして四日目にはもうどんな見た目だったのか覚えておらずただ白かったと口を揃える。得体の知れないその白い人物は実在していない、よって生徒の間のみで『白い幽霊』となんとも安直な名前を賜った。


カイロスは正真正銘高等部の生徒、ピチピチの17歳だ。しかしこの学園の中では初等部生徒同様、下手をすると初等部生徒よりもこの学園内について知らないかもしれない。なんせ高等部から編入して入学したために高等部生徒が普段立ち入らないエリアはカイロスも立ち入らない。

優しく少し世話焼きな友人のおかげもあって普段生活するのになんら問題はなかった。なかったはずなのに突然学園内で迷子になった。おまけに白い幽霊に助けられた。

「もう迷子になるって歳でもねぇのに…。だめだそう考えると急に恥ずかしくなってきた。」

カイロスは片鼻を親指で擦りながらひとまず、夕飯をどれを取るか考えることにした。と言っても先程カノンの後輩が作ったというマフィンを思いの外食べてしまったようで空腹感はそこまで感じない。口内に残った珈琲の味が強く口の中をスッキリさせたくて紅茶を注ぐ。今日はハーブティらしい。

「揚げ物食いたいな。」




「カイロス君!ここにいた。ヨハンを知らないかってあれ、まだ夕食摂ってなかったの?」

「ああ、モルガン。ちょっと色々あってな、これから食べるつもりだ。ヨハンなら見てないけど、どうかしたのか?と言うかまだ前髪整えてなかったのか」

困ったような心配そうに眉を下げたモルガンがもう寝む前だったのだろう薄手の部屋着に手編みだろう暖かそうなノルディック柄のカーディガンを羽織っていた。前髪は焦げたっきりで手入れがされていない。モルガンは自分の容姿に頓着しないところがあるが、これであの後残りの授業を受けたのか。

「それが、今晩魔法学の課題に樹氷生成について取り入れたいから僕も手伝うことになってたはずなんだけど帰って来なくて!ま、前髪も!その時に整えてくれるって言ってくれてて。」

両手を忙しなく振っては涙目になってどうしようとまた慌てだすモルガン。

「あーっと、取り敢えず落ち着けほら紅茶。ヨハンが帰ってこないってのは課題の前にどっか行ってたのか?今日は二人とも最後の授業一緒だったよな。」

「う、うんごめんねありがとう。」

慌てふためくモルガンを近くの席に座らせまだ口をつけていない紅茶をモルガンに勧める。

「んで、ヨハンが帰ってこないんだっけ。」

モルガンの焦げた前髪を指先で弄りながら尋ねれば一口紅茶を飲んだにもかかわらず少しも落ち着かなかったらしいモルガンが、勢いよくカイロスを仰ぐ。

「そうなんだ!樹氷生成に必要な触媒を植物園に貰いに行ったはずなんだけどなかなか帰ってこなくて、近い場所だったし今日はヘウィンズ教授がいらっしゃるからきっと良い触媒が手に入るってウキウキで。」

ヨハンは純粋な人族でしかも良家の嫡男だが多種族に対する偏見や侮蔑をしないおおらかな性格で今までカイロスの認識していた人族とあまりにもかけ離れた人故に初めて彼から両手で手を握られ友人になることを請われた時はあまりの衝撃に愕然とした。初めこそ警戒したがヨハンは非常に面白い性格だった。喜怒哀楽が激しく些細なことで感情を露わにする。そして彼は国ではなく村出身の珍しい人族、悪い言い方をするが落ちた貴族だった。

「じゃあヨハンはまだ植物園にいるんじゃないのか?ヘウィンズ教授に捕まって手伝いをさせられてるとか。」

ヨハンが嬉々として植物園に赴き教授に良いように使われてげんなりしている様を想像して知らず口角が上がる。

「僕もそうなのかなって思ったたんだ。あんまりにも遅いし僕も待ってる間に眠たくなっちゃって。」

「モルガンはまだ夜苦手なんだったな。」

「えへへおはずがしながら…ってそうじゃないそうじゃない。それでね、カイロス君の言うように教授の手伝いをしてるのかなって思ってね、それなら僕も手伝おうと植物園に行ったんだ。そしたら…」

「そしたら?」

「モルガンが居なかったんだ!!教授に聞いてもヨハンは来てないって言われて、それどこか今日は月桃花が咲く日らしくて放課後以降は生徒を植物園に入れてないって言うんだ。」



詳しく聞けば植物園から部屋に戻ってもヨハンは依然戻ってきた様子はなく玄関につながる談話室に残った人に聞けば寮を出て行く姿は見かけたが帰ってきた姿は見ていないそうな。つまりヨハンは触媒を採取しに寮を出たきり目的の植物園にも向かっておらず行方が分からなくなってしまったらしい。


「やる気満々で出て行ったから触媒持って帰るまで戻るつもりないのかも…うわあどうしようカイロス君!」

すっかりパニックに陥ったモルガンはついに溜めていた涙を溢れさせた。それは勢いよく。勢い余って鼻水も盛大に流した。

「わわ、落ち着けってモルガン。ほらハンカチ、拭いて拭いて。」

幼児のように泣き出したモルガンの涙と鼻水をハンカチで適当に拭う。どうやらカイロスの次はヨハンが姿を消したらしい。しかしカイロスの時はたった1分だけで例の白い幽霊のおかげで工房にたどり着いた。しかし聞くところヨハンはもうかれこれ1時間近く姿を見せていない。他の友人たちはどうせどこかで道草食ってるだけだとか女子とイイコトしてるだとか取り持ってくれなかったそうな。この学園の生徒はよく言えば自立心が強く己の技術を高めることに秀でているが悪く言えば個人主義の考えが強すぎて協力的ではない。手を貸すときは見返りが確実な時だけ、社交的で落ちた貴族と呼ばれているとは言え優位な人族のヨハンからの頼みならともかく、一介の妖精族でしかないヨハンは相手にしてもらえなかったらしい。カイロスらの所属するキルフィール寮なら尚更だ。全寮の中でも一番問題児が多い。未だにモルガンがキルフィール寮なのかが分からない。どう見てもパーサルクだ。


寮分けは一羽の鳥が行う。創設から全ての生徒の寮分けを担っている鳥で生徒の肩にとまりその生徒に合った寮のシンボルカラーの羽を吐き出す。その様はなかなかに衝撃的で新入生はガチで引く者、泣く者、失神する者、失禁してしまう者もいる。堂々としている者は見込みがあると筋骨隆々の運動部からのスカウトの嵐に見舞われる。寮分けは乗り越えてもこちらが原因で泣く者も少なくないとか。カイロスも過激な勧誘は受けたが全て丁重にお断りした。



涙と鼻水べちゃべちゃになったハンカチを無造作に丸めポッケに突っ込む。

「ひとまず寮に戻ろう、ずっと探し回って疲れただろ。」

「うぅでも…」

「もしかするともう寮に戻ってきてるかもしれない。また入れ違いになったらそれこそ大変だ。な?」

ひとしきり泣いてさらに疲れたらしいモルガンを連れて寮に戻る。談話室では掛け金ありの大富豪をしていたらしくそれなりの人と盛り上がりを見せていた。そしてその中心で声高らかに敗北を叫ぶ最早聴き馴染みのあると言える声。


「あーーー!!!なんでだよ!!絶対に勝ったと思ったのにぃ!!」

「はっはっはっはあ!!残念だったなぁ!俺の勝ちだぁ!!んじゃそゆことで賞金は全ていただくよ!」

「タンマ!もっかい!もっかいやろ!次は勝てる気がする!」

「やだね。俺は危ない橋は渡らない主義なんだ。このまま気分良く終わらさせてもらうよ。」

「ロシャのけち!!」

「なんとでも。」


友の身を案じて今にも寝落ちそうな目を押し開き己に寄りかかりながらだが健気にも立つモルガンの気持ちを考えてやれとカイロスは胡乱げな目で暴れる友人の後ろ姿を見つめた。



「まったく、モルガンがあんなにも心配してたというのにお前ってやつは…」

「いや悪い。思わず熱中してしまって…モルガンには本当に悪いことをしてしまった。すまないモルガンって寝てる…」


眠気の限界が来たのだろうモルガンはカイロスの背におぶさり適当に拭ったせいで少し赤らんでしまった目元と鼻頭をカイロスの背に押し付けるように顔を埋めて寝息を立てていた。時折鼻を啜る音がするのだが制服に鼻水を付けられていないだろうか。

彼を心配したらしい妖精が自分たちの周りを飛び交う。少し邪魔だ。夜ということもあって具現化できないらしくぼんやりした色彩の光がモルガンの寝顔を見たいのかカイロスの正面から背中に抜ける。地味に暖かくむず痒い心地。隣を歩くヨハンはすっかり寝入ってしまったモルガンの頬を突つきながら群がる妖精にも話しかける。


「反省してくれよヨハン、モルガン宥めるの大変だったんだぞ。というかどうして植物園にいなかったんだ?樹氷のための触媒採取に植物園に行ったんじゃなかったのかよ。」

「明日改めてきちんとモルガンに謝るよ。でもおかしいな、僕はちゃんと植物園に行ったし触媒になる木場瑠璃草をもらってきたはずなんだけど。帰ってきたらモルガンがいなかったんだ。」

「あーてことは入れ違いになったのか?ヘウィンズ教授に追い出されたんだろ?」

「いや?教授は採取を手助けしてくださったぞ?草だってすぐに採取したしモルガン夜に弱いだろ?そんなところを無理言って手伝って貰うわけだし急がなきゃと思って15分も時間は掛けてなかったはずなんだが。」

「ちょっと待ってくれモルガンから聞いた内容と違いすぎて整理できない。」

カイロスは凛々しい眉尻を下げ眉間に目一杯を寄せて目を瞬かせた。



怒涛の一日のせいでカイロスは疲れていた。今晩はもう予習も復習も課題もやらずに寝てやろうと考えていたがまた面倒が起きてしまったらしい。追い討ちをかけるようにマフィンのおかげで鳴りを潜めていたはずの空腹が今になって顔を覗かせる。

「はぁ唐揚げ食いたい。」

「君唐揚げが食べたいって言う割にいつも食べないよね。ちなみに僕はマッシュルームのリゾットを頂いだよ、とても美味しかったから君も一度食べてみて欲しいんだけれど?」

「悪いなヨハン、俺はキノコアレルギーなんだ。」

「君のはアレルギーじゃなくてただの好き嫌いだろう、知ってるんだからな。」

疑わしげなヨハンの眼差しには気付かないふりをした。


モルガンをベッドに横たわらせれば案の定鼻水が少し出ていた。これはきっと自分の背中にも付いた。目元を冷やした方がいいかと考えたが周りのポートルたちがモルガンの顔中に集まりやめた。モルガンなら彼らに無条件で癒して貰えるだろう。うんそうだ、そうに違いない。決して面倒になったからとかではない。

それにモルガンの顔が発光しまくってよく見えない。昔国に忍んで入った時夜になるととある妖精がこぞって群がるポーマイの神樹ののことを思い出した。遠目から見ると木に集まった光る妖精たちが幻想的で目も心も奪われたが近づいて見ると妖精が激しく交尾しあってして空いた口が塞がらなかった。後になって先生が教えてくれたが妖精というのは大昔神の護衛を賜った家臣で戦時には最前線で戦っていたそうな。彼らは短命で子孫を絶やさないことに躍起になっていたらしい。種を残さず散ったとある魂は光となって拠り所を探した。飛びつかれて休んだ木がポーマイという木、そこにはたまたま同種の魂がいたとか。そこで彼らは恋に落ち結ばれた。それを見ていた神は魂の彼らを妖精に転生させた、ポートルという妖精に。ポートルは妖精の中でも非常に凶暴な性格と有名だが、夜になれば淡く美しい光を携え生涯を共にする相手を探し普段の凶暴性は鳴りを潜め穏やかな性格になる。カイロスたちが訪れた国に伝わる御伽噺らしかった。先生曰くポーマイの神樹は彼らポートルのお見合い会場兼ラブホテルだそう。多文化を知ることはとても興味深く面白いのだと嬉しそうに教えてくれた先生はポートルの交尾の仕方まで事細かに教えてくれ想像より遥かに生々しくまだ10歳になったばかりのカイロスは気分を害した。参考にと渡された数冊の児童書は勿論そんな肉感的な内容などではく生態を無駄に丁寧に詳しく教えられたカイロスはとても純粋な心持ちでその話を読めなかった。


妖精族の友人に群がるポートルに心の中で頼むからそこで乳繰り合うなよと念じつつ布団を被せ部屋を後にした。

「モルガンは本当に妖精に好かれるよな。ジニックは妖精族の直系血族なのにこないだの妖精語学で落第してたんだ。」

ヨハンは両の掌を上げて肩をすくめた。さも不思議ですと言わんばかりに。

「血があったって暮らしは人間と変わらないだろ。妖精に好かれる好かれないと妖精語学の成績が振るわないのは関係ない。それにジニックの使う妖精語はマイナーなんだって本人が言ってた、サルモン教授は現代的な標準語がお好みだ。村出身の妖精族はみんなサルモン教授の教える言葉は機械的であんな話し方をされたら攻撃を仕掛けようとしてるように勘違いされるとぼやいてるじゃないか。」

「あぁ、あれじゃすぐさま戦争勃発だってコルンが笑ってたな。でも実際妖精族は種族関係なく仲間意識が僕らよりよっぽど強いじゃないか。悪戯妖精のケイズーラなんて試験中だってお構いなしに妖精族の生徒に答えを耳打ちしに来るんだぜ?そんなつもりなくてもカンニングし放題さ。それだってのにジニックは落第。きっとサルモン教授の不興を買ったに違いないよ。知ってるかい?あの教授自分の気に食わない生徒にはわざと厳しく採点するらしいんだ。ジニックてば初日の授業で教授の発音に対する指摘に 反論してたろ?きっとあれのせいで目を付けられたんだ、気の毒に。」


招かれるままヨハンの部屋に入れば同室のビリーは外出しているらしくベッドのカーテンは開かれたまま、制服や教材、課題用の所々破れた羊皮紙が上手く巻かれないまま散乱している。そのくせ大切なのだろうレコードや雑誌は几帳面に本棚に収納されている。なんでも整理整頓する癖のあるヨハンだが自分のテリトリーに侵食さえしなければそんな同室者の性質は気にならないらしい。しかしいつのかも分からないベットの下に入ったままのサンクルエッグを見つけた時は顔を真っ赤に染めて怒っていたが。

購入後一週間以内に食べるか三週間以内に羽化させるかしなければ洗っても落ちないほどの悪臭を充満させるサンクルエッグを購入後すっかり忘れていたらしいビリーのベットはそれはひどい悪臭を放ちその匂いに釣られたゴブムが大量発生した。部屋どころか寮全体にゴブムが湧いて阿鼻叫喚、なかなかの地獄絵図だった。ビリーは反省文を長い長い羊皮紙に10万字と寮点の減点、コントッチル街への外出を向こう三ヶ月の禁止を言い渡された。ついでに寮内のトイレ掃除とアリボイット寮の女生徒に愛の告白を大声ですることで我々ギルフィール寮は許した。ビリーは最低な口説き文句で見事な紅葉を頬に頂戴しており、箔がついたと涙目でしかしキメ顔で語った。その勇猛さとあまりの不恰好さに爆笑しながら褒め称えた。ビリー、君は我らギルフィール寮の英雄だと。

彼のどうも憎めないひょうきんな人柄がヨハンが気を許す一つの要因だろう。


そんなビリーとは違ってヨハンのベッドは綺麗にメイキングが施されている。そんなベッドに断りも入れず腰を下ろす。高等部生に充てがわれる部屋は二人部屋で備え付けのベッドと勉強机に本棚。来客をもてなすソファを置くすベースはないため自然とベッドの上に邪魔する形になる。ヨハンの勉強机の上には行儀良く教材が鎮座していた。どうやら樹氷生成の話は本当らしくフラスコと冷気を放つ魔法石が3つずつ並べられている。サイドテーブルにはモルガンにお茶でも振舞ったんだろうモダンなマグカップが一つ所在無さそうに置かれていた。


「ヨハン。」

「ん?なんだい?あ、そうだホットミルクでもいかが?実家から蜂蜜が届いてね、これがとても美味しいんだ、温かくて落ち着く。」

「ああ、いただくよありがとう。」

「うん。すぐに用意するよ。」

「ヨハン、君何か焦ってないか?」

「えっ?あぁ課題かい?心配には及ばないよ提出は来週だし大体の生成方式も考えてあるんだ、まだなんとか間に合うさ。」

「そうかそれならいいんだが。」

レポート用紙にはヨハンの言うようにもうほとんどが完成していた。あとは樹氷生成を行い結果を書くだけ。流石ヨハン、理論も工程も素人目からでもわかるほどの完成度。これは学園一厳しい採点をつけることで有名なピーター教授も花丸のS +を与えるだろう。

「ヨハン、君すごいな。ここまで完璧なレポートなら然しもの金切ピッティも太鼓判を押すぞ。」

「はは、そうかな。そうだといいな。」

「ああそうだろうよ、ここまで素晴らしい内容なんだ。他人の手を借りる必要なんてなかったんじゃないか?」

「買いかぶりだよ、魔法石の発動には妖精の力があった方が良く効く。僕は妖精との会話がまだ苦手だろ?だからちょっとせこいけどモルガンに手を借りたかったんだ。はいどうぞ、ちょっと熱しすぎたからかなり熱い、気をつけて。」

「ありがとう。」

ヨハンに渡されたマグカップは以前一緒にコントッチル街に出かけた際に購入していたとても古そうなマグカップだった。広場で催されていたマーケットに立ち寄ったところ遠所から来ていた骨董店が出していた店だ。陶芸家が作成した数少ない作品らしく所謂一点物と店主は話していたが名も刻まれていないし尋ねても聞いたことのあるようなないよな名前を幾つか挙げ結局ははぐらかされた。値は張るが一目惚れしたらしいヨハンは一も二もなく会計を済ませてしまった。買い物に関しては慎重派な彼が迷うことなく衝動買いをするのを見るのは初めてで自分の知らない彼の一面を見た気がしたがモルガンはそんなことよりいつかヨハンが怪しい宗教団体に掴まって高額の壺を買わされ破産し路頭に迷うのではないかと心配しだし夢にでも見たのか知恵熱を出していた。ヨハンは大袈裟だと笑っていたがカイロスよりも長くヨハンと過ごし彼の人と成りを知っているモルガンには衝撃が強すぎたらしい。それでも大袈裟すぎる。


白い湯気を立てるマグカップはヨハンの言った通りカップの側面が熱石のように熱くなっており取手すら熱を帯びていた。

サイドテーブルに美味しいと紹介された蜂蜜の入った瓶を置かれお好みで入れていいらしい。お言葉頂いていないが好意に甘えて蜂蜜をたっぷりといただく。

「それで?君はモルガンを騙して何をしてたんだい?」

ホットミルクに蜂蜜を垂らしながらモルガンに尋ねる。きっと何か面白いことを企んでいるんだ、ヨハンは優等生のくせして悪戯好きだから。

蜂蜜は特有の甘い香りと仄かな塩の香りがした。ゆっくり弧を描くように混ぜれば乳白色が薄いアイボリー色に変わった。

「なんのことさカイロス。騙すなんて人聞きの悪いことを言ってくれるなよ。」

「君植物園に行ってないだろう。教材は揃えてるけどモルガンの前髪を整えてやるのに鋏も櫛も鏡もない、君下準備に手を抜かないタチじゃないか。」

「だから植物園には行ったさ、その証拠にほら木場瑠璃草。モルガンの前髪の件は確かに準備してなかったけど、彼が自分で整えて失敗しちゃいけないと思ったのさ。だいぶ前にだけど彼、伸びた前髪をクラフトハサミで切ろうとして額を切ったことあるんだよ。幸い傷は深くなかったけどあの時は慌てたよ。」

「モルガンてたまに突拍子もないことするよな…」

「あはは本当にね。さ、これで信じて貰えた?」

「待て待て、モルガンが教授は今日の放課後は生徒を立ち入らせてないって話してたぞ。待ちに待った月桃花が今日咲くからって。」

「そんなはずない、月桃花は先月咲いたばかりじゃないか。あまりに綺麗に咲いたからってへウィンズ教授ってば先月の校内新聞乗っ取って月桃花の内容で埋め尽くしちまったじゃないか。おかげでコントッチル街に来るロバのパン屋の情報が得られなくてジャムパンが買えなかった!またしばらく遠くに行くかもしれなくて次はいつ買えるかわからないのに。」

ヨハンの話はカイロスにとっては寝耳に水、知らないことばかりだった。怪訝に思ったがそれをおくびにも出さず会話を続ける。こういう時動揺を見せたらそこに付け込まれるのだ。

「先月?そんな話知らないぞ。先月は森のメロンパン屋が2号店出すって大騒ぎだったじゃないか。」

「…カイロス、2号店が出たのは確か三ヶ月前だろう?一緒に2時間も列に並んだじゃないか。」

「おいおいヨハン冗談はよしてくれよ。どうせ何か企んでるんだろう?ドッキリを仕掛けるにはちょっと計画がお粗末なんじゃないか?」

ホットミルクをゆっくり口に含めば蜂蜜の香りが口内に充満し熱くて甘やかな吐息が鼻腔を湿らせる。ヨハンは時々こういった恍けたドッキリを仕掛ける。一緒に悪巧みをすことはあるがカイロスが仕掛けられるのは初めてかもしれない。しかしカイロスの方が上手だと自負している、なんせ悪戯の総監督はカイロスだ。白状しろという意味も込めニヒルな笑みをヨハンに向ける。しかしどうした、ヨハンはキョトンとした顔でカイロスを見ていた。

「ヨハン?ドッキリなんだろう?」

内心はざわついていたがこれもヨハンの手口だろうと考え再度尋ねるが当の本人ヨハンはというと呆けた顔から疑わしげな表情に変わった。

「カイロスまさか君、記憶喪失にでもなったのかい?頭ぶつけた?何か拾い食いをしたとかじゃないだろうね?」

「へ?」

「君今日…というかここのところ様子が変だったし、なんだか上の空っていうか。」

「本気で騙そうとしてるんじゃないのか?じゃあ教授は本当に植物園に?じゃあモルガンが言ってたのは?」

「そんな険しい顔しないでくれよ。僕は嘘ついていないし、教授に確認…はもうこんな時間だし明日にでもするかい?」

「うーんそうだな、モルガンも寝たし君も嘘をついてないって言い張るし。」

「だから本当に嘘はついてないんだってば!冤罪!僕は無実だ!」

「はいはい。」

戯けたように無実を叫ぶヨハンにカイロスは思わず笑った。



「そうだヨハン、君に聞きたいことがあるんだけれどまだ時間いいかい?」

「聞きたいこと?ビリーもまだ帰ってこなさそうだしいいよ、その代わりって言うんじゃないけど僕も君に聞きたいことがあるんだ。」

「そうなのか?先に答えちゃおうか?」

「いいや君の後で構わないよ、急ぐことでもないし。」

「そうか、じゃあ遠慮なく。今日の昼に君が話してた白い幽霊について教えて欲しいんだ。」

「白い幽霊?」

「ああ、錬金術の授業前に俺少しだけど急にいなくなっただろ?君があんまりに慌ててたから逆に冷静になってたけど改めて思い返したら気になってきて。呪いとか聞きづてならないワードも聞こえたし…」

実は今日一日ずっと気にしていた、まさか自分から怪談話を振る日が来ようとは。しかし体験してしまったのだからしょうがない『白い幽霊』は確かに存在する、眉唾ものではないのだと。


「カイロス、すまないが『白い幽霊』ってなんだい?」

ヨハンは先程までの快活さが嘘のように訝しんだ声音と神妙な面持ちでカイロスを見ていた。



「カイロス、すまないが『白い幽霊』ってなんだい?」


「はぁ?…っいやいやヨハン!君が言ったんだろ白い幽霊を見たのかって、それもすごい勢いで。」

ヨハンの思いがけない言動についにカイロスは一瞬開いた口が塞がらなかった。そして狼狽した。それに呼応するようにヨハンも慌て出す。

「いやいや!知らないぞ白い幽霊なんて!」

「えっ!?あの白い幽霊だぞ!?この学園じゃ有名な怪談話じゃないか!大体君がこの話教えてくれたんじゃないか。わざわざモルガンを全身白粉まみれにして。」

カイロスが編入したばかりの頃怪談話に夢中になっていたヨハンはカイロスにロジアース学園に語り継がれてきたらしいありとあらゆる怪談や噂を過去の先人たちに倣ってカイロスに語った。モルガンはその噺をより面白くするための演出役として使われれいたが珍妙な姿はなかなかに笑えた。

カイロスが見た幽霊はもっと違った、上手く言い表せないことにもどかしさと歯痒さを隠せない。

「ほらあのー迷子の前によく出るっていう」

「え、迷子?君迷子になったのかい?」

ヨハンは困ったようなそれで呆れたように笑った。

「君の突発的な迷子癖はどうしようもないな。それで今日の不可思議な言動にも合点がいったよ。」

ヨハンはやれやれと言ったように片手を顔の横で振った。その様子ではまるでカイロスがこれまで何度も迷子になっているようではないか。

「迷子癖って…言っておくが迷子になったのなんて今日が初めてだ。それに不可思議な言動ってなんだよ。大好きな怪談話のしかも君が一度会って見たかったって嘆いてた白い幽霊だぞ。」

迷子になったことは正直恥ずかしいが白い幽霊について話そうとすれば避けては通れない。食って掛かればしょうがないなとでも言いたげな表情でカイロスを宥める。

「確かに僕は怪談話が大好きさ、でも残念。君のその質問に満足のいく答えを導いてあげられないようだ。なんせ僕はその迷子を助けてくれるらしい白い幽霊のこと、初耳なんだ。と言うか随分親切な幽霊なんだな。会えるのなら是非一度お目にかかりたいね。」

カイロスはヨハンの言葉に愕然とした。あれだけしつこく、いや熱く語っていたヨハンが知らないなんて。

ヨハンはカイロスの座る隣に腰を下ろし目を背けさせないよう頬を両手でやんわりと包んだ。

「ねえカイロス、僕の聞きたいことなんだけどさ。」

カイロスは頬を包む手の柔らかさと少し低い彼自身の体温を感じながら彼の青い瞳を見つめる。体が石になったように動かず手を振り解くことも目を逸らすこともできない。

「君、記憶を無くしてないかい?」

聞き馴染みのある友人の声が紡ぐ思いがけない言葉はカイロスの混乱した思考に留めを刺すには十分だった。

言葉を発しようと薄く開いた唇は音のない空気だけが漏れ、声帯は震わなかった。


知れず視界に霞が掛かる。焦点を定められずヨハンの姿がぐにゃりと歪みシンクロするようにカイロスの身体から力が抜けていく。ぼやけた視界はやがて狭まり上瞼と下瞼がもうくっ付くという時初めて自分は目を開けてはいられなくなっているのだと気づいた。操り糸が切れてしまったかのように上がらなくなった腕は飲み干して空になったマグカップを持ち続けることは出来ずあっという間に滑り絨毯の上にこもった音を立てて落ちた。

体の背面全体に柔らかな感触、瞼の裏は暗いはずなのに部屋の照明のせいだろうまだ朧げな明かりを感じる。

「あぁ疲れてしまったんだろうね、いいよカイロス今日はおやすみ。」

もうすっかり聞き慣れた声は誰のものか。


「また明日、僕におはようを言っておくれよ。」



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