昭和17年8月21日 中川 午後1時
昭和17年8月21日 中川 午後1時
ルンガ飛行場の東 約1キロ
中川河口周辺。砂浜のいたるところに日本兵の死体が散乱していた。
真っ青な空を背景に爆音を轟かせて戦闘機が飛び交っていた。時折、低空飛行に移り、砂浜に機銃掃射をすると、再び上空に舞い戻るを繰り返す。
河口の海岸線を越え、戦車が金属のひきつれた甲高い音を立てつつ砂浜に突入し、横たわり事切れた兵隊たちを引き潰しながら進んでいく。
海岸線だけではない。島の内陸部の密林からも複数の戦車が一木支隊を包囲殲滅しようと前進してきた。機銃を撃ち、メキメキと死者を踏み潰していく。血と肉片が白い砂浜を赤く染め上げていった。
一両を肉弾戦で破壊したももの、支隊の抵抗力はそれが最後であった。司令部を失い組織的な戦闘力を支隊は既に失っていた。
富樫大尉は、極秘資料と共に一木大佐の遺体を天幕にくるむと一本のヤシの木の根本に埋葬した。
手を合わせ、一心に祈る。
キュルル、キュルルと戦車のキャタピラーの音が迫っていた。
富樫大尉はゆっくりと顔を上げる。
そのどこか虚ろな瞳には、青い海と青い空が映っていた。空には白い雲がゆったりと流れていく。
視線を落とすと白い砂浜が続いている。だが、自分の足元の回りの砂浜だけは自分や仲間の血で真っ赤だった。
大尉は腰の拳銃に手を伸ばす。
ぱーん
一発の銃声が砂浜を越え、海を越え、空へ、高く高く登っていった。
上陸時の拠点防衛の任に就き戦闘に参加していない人員も含めおよそ80人。戦闘での捕虜15人。それが一木支隊第一梯団の生存者の全てであった。
800人の将兵が壮烈な戦死をとげて、一木支隊第一梯団は事実上、壊滅した。
2019/08/21 初稿




