昭和17年8月21日 中川 午前3時
昭和17年8月21日 中川 午前3時
ルンガ飛行場の東 約1キロ
「蔵本が死んだ」
一木大佐は沢田中隊長の報告に呆然となった。
「はい。渡河地点を自ら探られている時に銃撃を受けました」
一瞬、《敵情により飛行場の奪還困難な場合は拠点を確保し、後続の到着を待つこと》、という命令が一木大佐の頭をよぎった。
いや、まだだ
一木大佐は頭を振り、弱気を振り払う。一度や二度の失敗で諦めては駄目だ。まだ、やれることはある。
「大隊の指揮は私が執る。
沢田中隊長は大隊をまとめて再度の突撃に備えよ」
「鉄条網があります。電気の流れている強烈なやつです。少なくとも電気を何とかしないと突撃はおぼつきません」
「うむ。富樫大尉。後藤中尉に連絡して工兵中隊で鉄条網の排除をさせろ」
一木大佐は左手にそそりたつく丘に目を向ける。
「機関銃中隊、砲兵中隊を丘へ配置させて、高所から攻撃させるのだ」
□□□
「了解。砲兵中隊は直ちに丘の上に砲を設置。突撃の支援をします」
伝令を受け、砲兵中隊の花海少尉はすぐにでも命令を実施しようとしたが、それに富田分隊長が異論を唱えた。
「しかし、まだ第一分隊が到着しておりません」
支隊は各分隊毎に一門ずつ山砲を運んでいた。そのうちの第二分隊はようやく川を越えたばかりであった。すなわち支隊が使える山砲をは富田分隊長率いる第一分隊のただ一門だった。
「仕方あるまい。砲、一門でも攻撃を敢行するんだ」
□□□
後藤中尉が率いる工兵中隊は激しい銃撃と砲火をくぐり、河口の砂浜までようやくの思いでたどり着いていた。
後藤中尉の目の前には軍服を脱ぎ捨て褌一丁の格好の男たちが何人もしゃがんでいた。分厚い絶縁手袋をはめた手にはペンチが握られていた。
鉄条網に仕掛けられた電線を切断するために募られた決死隊だった。
裸なのは鉄条網に触れたり、引っ掛かったりする危険を少しでも減らすためだった。
「頼むぞ。俺たちが道を切り開かなければ支隊の攻撃は頓挫する。
なにがなんでも成功させるんだ。
工兵魂を見せる時だぞ」
後藤中尉の訓示に一堂は黙って頷く。
「そして、お前たち」
後藤中尉は今度は後ろに控えている者たちへ目を向ける。手に手に筒を抱いていた。擲弾筒と呼ばれる、爆薬を射出する武器だ。支隊のもつ擲弾筒のほぼ全てをかき集めてきていた。
「お前たちは、合図と共に敵陣地に擲弾筒を撃ち込め。
じゃんじゃん撃ち込んで、相手に銃を撃たせる暇を与えるな!
弾を全部使っても構わん。いいな!」
中尉の言葉に擲弾筒を抱いた隊員たちも力強く頷く。それを満足そうに確認すると、後藤中尉は鋭い視線を川の向こうの敵陣へと向けた。
「いいか、行くぞ――」
□□□
「行け、行け、行け」
小松中隊長の掛け声に促され、機関銃中隊の面々は急斜面をかけ上って行く。小松中隊長も同じ勢いで坂を上る。丘の頂きに到達すると素早く地勢を読む。
「良し! そことここに簡易陣地を作る。
ぐずぐずするな!
重機関銃を一列に並べるんだ。
急げ、急げ」
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花海少尉は機関銃中隊の面々が続々と丘を上って行くのをじりじりした思いでみまもっていた。
「準備完了しました」
富田分隊長の声が花海少尉の耳に届く。
「おお、できたか!」
四一式山砲が一門、敵の照明弾の光を鈍く反射していた。
花海少尉は何度も頷くと、後ろを見る。目指すは丘の上。けっして平坦な道ではない。
「よお~し、丘まで引き上げる」
花海少尉の号令に何人もの兵隊が山砲に群がる。
「押せ、押せ。押し上げろ!」
花海少尉の掛け声の元、総重量500キロを越える山砲がゆっくりと土手を上って行く。
それは小さな蟻が巨大なバッタを力を合わせて巣に運んでいるのに似ていた。
「行け。運べ」
花海中尉は大声で叫び続けた。
□□□
「良し、今だ。渡河開始!走れ、走れ!」
後藤中尉の命令に裸の一団が一斉に川に走り出した。
「撃て!」
と、同時に擲弾筒の攻撃命令も出す。
シュポン シュポン
空気の抜けるような独特の音と共に擲弾筒から榴弾が打ち出される。
三拍ほどの間を置いて、対岸で幾つもの土柱と爆音が起こった。
敵の陣地からの銃声が沈黙した。
「よおーし!どんどん撃て!!」
川を必死に渡る決死隊の様子を見守りながら後藤中尉は続けて射撃命令を発する。
ヒュルルルル
ヒュルル ヒュルル
後藤中尉の耳に砲弾の落下音が聞こえた。
「伏せ――」
スガーン ズドーン
スガガーン
伏せろ、と言う間もなく爆音が響き渡り、地面が揺れる。バサバサと土が降り注いだ。
敵砲兵の反撃だった。何人もの兵隊がその砲撃になぎ倒された。
「移動しろ。位置を変えるんだ!」
後藤中尉は砂まみれなりながら怒鳴った。敵陣の銃撃が再開される。火線は川を渡る工兵たちに集中していた。
「射撃をやめるな。決死隊を援護しろ!」
兵隊たちは場所を変えて擲弾筒を敵陣に撃ち込んだ。榴弾を敵陣に一発撃ち込むと、一瞬銃撃は止むが、次の瞬間には何十発もの反撃の砲弾が擲弾筒の兵隊たちに降り注いだ。
擲弾筒隊は激しい砲撃の前にあっという間に数を減らしていく。決死隊が川を渡りきった頃にはほとんど全滅していた。
支援を失った決死隊は激しい銃火にさらされ砂丘の蔭から頭すら出せない状態に追い込まれた。
後藤中尉は歯噛みする。このままでは決死隊も全滅してしまう。
中尉は地面に転がっている擲弾筒と弾薬をかき集めると自ら敵陣に向かって榴弾を撃ち込むんだ。
ヒュルル ヒュルル ヒュルル
たちまち反撃の砲弾が雨のように中尉に周囲に降り注いだ。それでも後藤中尉は榴弾を撃つのを止めなかった。
砂丘の出口付近。一人の兵隊が地面に這いつくばったまま懸命に手を伸ばす。
太股には大きな穴が開き、心臓が脈打つ度にどくりどくりと血が吹き出ていた。出血多量で意識がもうろうとするなか、その兵隊は鉄条網の隙間に腕を差しむ。ペンチを持つ手がブルブル震え、今にも取り落としそうになる。それでも必死に腕を伸ばす。ペンチの先端が電線に触れた。兵隊は全ての気力を指先に込める。
ブチン
鉄条網も電線の切断に成功した。兵隊は満面の笑みを浮かべ意識を手放した。
ひっきりなしに銃声が轟き、砲弾が爆発していた。
鉄条網の片隅でひっそりと絶命した兵隊を見守る者はいない。対岸に後藤中尉の姿はなかった。あるのは擲弾筒とそれを握りしめた千切れた腕だけだった。
2019/08/21 初稿
2019/11/08 誤字訂正 & 文章を見直し




