閑話休題 一木支隊投入までの状況について
第一章完了の区切りで、一度ここまでの状況の整理をしておきたいです。
まず、本編で何度も取りざたされたアメリカ軍の兵力についてです。
答えを言えば、ざっと二万人の兵力が投入されていました。基幹部隊はバンデクリフト中将率いる米海兵第一師団一万二千人。これに砲兵やら工兵などの付属部隊がついていました。
8月7日に第一師団は既にガダルカナルに上陸していましたが他の砲兵やら重火器はガダルカナル沖に停泊していた輸送船に積まれたままだったと思われます。
そう考えると、第一次ソロモン戦で第八艦隊が輸送船を攻撃しなかったのは確かに千載一遇の機会を逃したと言えます。
しかしです、確かにそう言えるのですが、それは様々な情報を知っている現代人が歴史を俯瞰して言っている空論、結果論でしかありません。当時の人々にそれを求めるのは酷というものでしょう。
まず、当時の日本の海軍にも陸軍にも『敵の補給路を断つ』という概念がありませんでした。皆無とは言いませんが一般的な考えではありませんでした。軍令部などは、輸送船は戦果の考慮外と明言しています。(海軍の潜水艦の戦果評価の仕方や運用方法を見れば明白です)
一方、連合艦隊は船の損失を極端に恐れていました。口では勇猛果敢、突っ込めと言う割に、船を沈めるなと言うことを平気で指示していました。この上からの二律背反指示、あるいは玉虫色指示は現場の中間管理者の意思決定に非常な負荷をかけ、ひいては判断ミスを誘発する原因になっています。(陸軍においてもその指示命令のメカニズムは同じようなものでした。本編の一木大佐も同様に、速攻と慎重自重の二律背反指令に苦しめられたと思っています)
故に、輸送船の破壊と自艦(自艦隊)の損失リスクを天秤に掛ければ、輸送船攻撃を断念するのは当然と言えます。(例えフレッシャー指揮の機動部隊が、当日昼間の日本海軍の空爆に恐れをなして一目散にソロモン海域を離脱していたのが事実だとしても、その情報を第八艦隊の誰が知り得たと言うのでしようか?)
とはいえ、陸軍も海軍も戦う相手の兵力がどの程度あるのか最後まで気にせずに戦ったのは間違いないように思えます。
実のところ海軍も最前線は既に一個師団いるかも知れないと思っていたようです。ただ、引き受けてもらったのに余計なことを言って取り止めるとか輸送をどうするのと揉めるのが嫌なので黙っていた、という雰囲気はあります。
一方、陸軍も現場の第十七軍は薄々大兵力なのではと疑っていたようです。しかし、これも中途半端なレベルで、積極的に自ら調べるということをしているようにはみえません。それならそれで大本営の参謀本部のようにいっそ強気一本で通せば良い結果が得られたかもしれません。
というのもこの時期、アメリカ軍も決して万全ではなかったからです。ガダルカナル攻略で日本が多用して有名な駆逐艦による物資輸送、通称ネズミ輸送、をアメリカもこの時期まで実施していたのです。
これは先述したフレッシャー機動部隊が戦域を離脱したためです。(制空権が確保出来ないので輸送船による輸送を中止していた)
これが改善されるのはガダルカナルの飛行場に飛行機が到着した8月20日です。(20日にワイルドキャット戦闘機19機とドーントレス急降下爆撃機12機)
十分とは言えなくても飛行機が使えるようになったため、ガダルカナル戦域の制空権はアメリカ軍に渡ります。第二次世界大戦以降において制空権を持つものが制海権を持ちます。そして、制海権を持つとはすなわち補給を確保できるということを意味します。
補給状態が改善されたので兵士は食事を1日2回から3回に改善されることを希望している、とバンデクリフト中将が司令部に連絡していることからもその効果の絶大さが伺えます。
そして、まさにこの日の夜に一木支隊はガダルカナルの守備隊と戦火を交えています。
本当にタッチの差だったのです。
一木支隊の上陸は18日なので、神通や駆逐艦の支援を受けてルンガ岬へ強襲上陸を仕掛けていれば士気の下がっていたアメリカ軍の背後をついて案外あっさり飛行場を奪還していたかもしれません。
あくまでIfの領域を出ませんが……
ついでなのでIfの話をもう一つ。
一木支隊は輸送船の足が遅いため第一梯団、第二梯団に別れました。実はこの第二梯団に海軍の第五特別陸戦隊(約600人)が輸送途中で合流しました。陸戦隊は一木支隊から1日遅れの17日にトラック島を出発しています。1日遅れで何で第二梯団に合流できたかというと、第五陸戦隊を輸送した金竜丸が最高速力20ノットの優秀輸送船だったからです。
ちょっと待ってくださいと言いたくなります。だったら、金竜丸に第二梯団を乗せて駆逐艦と一緒に運んでしまえば良かったのではないかと思ってしまいます。
そうすれば一木支隊の戦力は3倍。これで一気に攻めていたら、被害は甚大だったかもしれませんが飽和攻撃でアメリカ軍の防衛戦を突破できていたかもしれません。一度、拠点を取り返して攻守が逆転したらその後のガダルカナル戦もまるで違ったものになっていたかもしれません。(拠点防御における当時の日本兵の強靭さは驚異的でした。それはその後のガダルカナルでのオースチン山防衛で何度も証明されています)
しかし、史実は僅か900人で20倍近くの敵に挑むことになってしまいます。(実際のところはアメリカ軍は三方を守っていました。予備兵力も確保してますので二万人と戦うことはありません。それでも単純計算で正面兵力五千人と真っ向衝突することになります。戦力比実に5倍です)
果たして一木支隊第一梯団がどのような運命を辿るか?
それは第二部で明らかになります。
(ざっくり、冒頭書いてますけれどね)
019/08/17 初稿




