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3. 羊まもりのミティテル

 春がおとずれました。

 ミティテルはほら穴を出て体をのばし、山を下りました。

 ミティテルに話しかけてきた、あの熊に会うことはありませんでした。


 また丘がつづいていました。ミティテルは足の裏に若草を感じました。

 どこへ行こうと決めていたわけではありません。

 羊の王としていたように、ただいくつも丘をこえました。


 不意にミティテルはなつかしい声を聞きました。

 産まれた子羊のはしゃぎ声。おとな羊ののんびりした呼び声。

 羊の群れが、やわらかく甘い若草を食べにきていたのです。

 ミティテルは丘を見あげました。雲のような白い毛並みが散らばっています。

 しばらくながめていたミティテルは、牧羊犬がいないことに気づいて首をかしげました。

 

 母親羊が子どもをさがす声がしました。またべつの羊が、仲間を呼びました。

 ミティテルはゆっくりと見回しながら丘のまわりをめぐりました。


 丘をはずれた灰色の石の地面に立って、一頭の子羊がきょろきょろしていました。

 さらに、その先の小川のほとりに若い羊が、ぽつりと生えた木の下にもう一頭がいました。

 ミティテルは姿勢をひくくして羊のような足どりで子羊に近づきました。

「ほら、丘はこっちだよ」

 やさしく話しかけると、子羊はぴょんぴょんはねてついてきました。

「ねえ、あなたひつじ? くろいひつじ?」

「ううん。ぼくは熊だよ。でも、羊に育てられたんだ」

「そっかあ。あたし、ラレワ」

「ぼくはミティテル」

ミティテル(ちっぽけ)? でもあなた、うんとおおきいわ」

 丘につくと、ラレワは「おかあさん!」と元気よく駆けのぼっていきました。

 ミティテルは小川のほとりの若い羊と、木の下の羊もおなじように群れへ連れかえしました。


 喜びあう羊たちのようすを、ミティテルは離れてながめました。

「ミティテル! ミティテル!」

 ラレワがころがるように駆けてきました。そしてそのままのいきおいでミティテルのおなかに飛びこみました。

「どうしたの?」

 ミティテルはじぶんの爪がラレワに当たらないよう、両手をあげました。

「あそぼう!」

「なにをするの?」

「とびっこ!」

 ラレワとミティテルはどちらが高く跳べるか競争しました。ミティテルが跳ぶたびにどすん、と地面がふるえて、ラレワは大よろこびしました。


「ラレワ、どこにいるの?」

 母親羊が呼びながらやってきました。そしてミティテルを見て足を止めました。

「ラレワ、こっちへ来なさい!」

「おかあさん、あのね、ミティテルとあそんでたの!」

 ラレワが離れて、ミティテルは立ち去ろうとそっと後ずさりました。

「でも、あれは熊じゃないの!」

「うん。くまでね、でも、ひつじにそだてられたくまなの」

「羊に……? それはほんとう?」

 母親羊は、ミティテルを見てたずねました。ミティテルはこくりとうなずきました。


 母親羊はラレワをつれて丘をのぼっていきました。ミティテルはその場で待っていました。

 やがてあらわれたのは、りっぱな巻き角をもった羊でした。この群れの王でした。

「群れの者を送り届けていただき、感謝する。失礼だが、羊に育てられたというのは真実か、確かめさせてもらうぞ」

 巻き角の王はミティテルに近づいて鼻をうごかしました。

「羊を食う熊ならば、そのにおいがするはずだからな」

 ミティテルはなにも言わず、体をこわばらせてじっとしていました。

 母親羊やほかの羊の目がミティテルに注がれていました。


 巻き角の王はミティテルのまわりをぐるりと一周しました。右の掌のにおいをかいだときには、ひと呼吸、ふた呼吸ぶん動きを止めました。

 最後に巻き角の王はミティテルと顔をあわせてしっかりとうなずきました。

「皆のもの。この熊は確かに、羊の乳と草を食べて育っている。心配はいらない」

 羊たちはいっせいにほうっと息をつきました。

「あの、ぼく……」

 巻き角の王は「言わなくてよい」とミティテルにだけ聞こえるように告げました。


「ミティテル、あそぼう!」

 ラレワがミティテルの脚に飛びつきました。ほかの子羊もおずおずと近づいてきました。


 さて、この群れにも牧羊犬はいるのです。けれどもこの日はつい、いいお天気に誘われて、水を飲みにいったついでにのんびりとしてしまったのでした。

 丘にもどった牧羊犬は、熊が群れにまぎれこんでいるのを見て、いちもくさんに羊飼いを呼びにいきました。

 駆けてきた羊飼いは、熊を見て飛びあがりました。そして杖を握りしめて木の陰に身をひそめました。

 羊飼いはぶるぶるふるえて言いました。

「あらくれめ、おれの羊に手を出してみろ。この杖でぼかりとやってやるぞ」

 ようすをうかがっていた羊飼いは「これは妙だな」とつぶやきました。

 間近に熊がいるというのに、羊たちはちっとも怖がっていなかったからです。それどころか、子羊はまるできょうだいを相手にしているかのように、熊に親しく頭をこすりつけています。

 羊飼いは首をひねりました。

「いいや、まだ油断はできないぞ。よっぽどずる賢い熊なのかもわからない」


 羊飼いが木の陰で迷っているうちに、夕方になりました。

 この群れの羊たちも、あつまって王の話を聞き、ならわしの言葉を唱える習慣がありました。

「頭に角を。胸に誇りを。この毛や肉は与えるために。われら羊の喜びのために」


 羊たちは寝床へかえり、ミティテルは晩ごはんをさがすために丘を立ち去りました。

 羊飼いは「やれやれ」と額の汗をふいて自分の小屋へはいりました。


 その晩、羊飼いはけものが吠える声で目を覚ましました。狼です。

 羊飼いは鉄砲とランタンを手に、外へ飛びだしました。

 ぎらっ、ぎらっ、といくつもの黄色い目がひかります。羊たちはどこへ逃げればよいのかもわからず、右へ左へ走りまわります。

 羊飼いは暗がりに目をこらして鉄砲をかまえました。

 そのとき、地面をふるわせるほどの低くおそろしい声がとどろきました。

 狼はしっぽを垂らしました。

 羊飼いのランタンが大きな二本足の生きものを照らしました。

「あいつだ」

 と羊飼いは声をもらしました。昼間に羊とあそんでいた熊、そう、ミティテルです。


 ミティテルは両手を高くあげ、またうなり声をあげました。

 そのまま狼へ一歩、また一歩と近づいていきます。

 狼はいくらかあとずさりました。

 ミティテルは息を吸って、ひときわおおきくほえました。

 狼はちりぢりになって逃げていきました。

 羊飼いは鉄砲を下ろしました。


 狼の最後の一頭がしっぽの先の先まで見えなくなると、ミティテルはどしんと座りこみました。

 羊を狩る獣を見たのも、あれほどおおきな声を出したのもはじめてでした。

 ミティテルは背中をまるめました。心臓はまだどきどきとはちきれそうです。

 羊たちがミティテルのまわりに集まりました。

 ラレワはミティテルの足にとびのり、体をよじ登ってほおをなめました。

「ありがと、ミティテル」

「うん。ぼく、熊でよかった。羊をまもれる熊でよかった」


 翌朝、羊の群れがならわしの言葉を唱えるとき、ミティテルはこう唱えました。

「二本足も、四本足も。角もつ者も、爪もつ者も。じぶんとちがう、だれかのために。ぼくとみんなの喜びのために」


 昼すぎになると羊飼いが丘へ来ました。

 ひとかかえもあるおおきな袋をかついでいます。

 羊飼いはミティテルからはなれたところで袋をおろしました。それからおおきな声で呼びかけました。

「おおい、熊やい! うたがったりして悪かったな。ゆうべはうちの羊を守ってくれてありがとうよ! こいつはちょっとしたお礼だ。食べてくれ!」

 羊飼いはまたそそくさと小屋へ帰ってしまいました。

 ミティテルはさっそく袋をのぞいてみました。中からはまっかなりんごがいくつも転がり出てきて、丘を甘い香りでいっぱいにしました。

 

 夕方の集まりの時間。ラレワはミティテルのとなりで、ミティテルとおなじことばを唱えました。


 ミティテルはそれからずっと、その丘で羊とともに暮らしました。

 羊たちは狼におそわれる心配もなくのびのびと過ごしました。

 子羊はやがておとな羊になり、また子羊を産みました。ラレワはじぶんの子どもたちにミティテルのことばを教えました。


 いくつもの冬を越え、いくつもの夏が過ぎました。

 ある穏やかな秋の日に、ミティテルはしずかに息を引き取りました。

 羊たちはミティテルに寄り添って体をあたためてやりました。


 羊飼いは丘でいちばん見晴らしのよいところにミティテルのお墓をたてました。

 もみの木でつくった十字架をきれいな青色に塗りました。

 その表には羊と熊の絵をかきました。裏には時間をかけてことばを彫りました。

——ひつじをあいした よにもすてきなくま ここにねむる——


 次の次の春になると、ミティテルのお墓のまわりにはかすみ草がいっぱいに咲きました。

 かすみ草はミティテルを慕う羊のように、十字架にやさしく寄り添っていました。

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