暗闇
「ここはどこでしょうか?」
リンが心配そうに尋ねてきた。
唯一この場に残った発せられる少々の光のおかげでリンを視認することができた。
心配そうではあるが、俺よりもよほど冷静に見える。
「ここがどこかが問題なのだろうか」
俺も冷静を装ってリンに返答する。こんな時、どこから思考しどこへ向かえばいいのか分からない。論理の外の問題について、論理的に答えを導くすべを知らない。出来ないといったほうが正しいのかもしれない。
語りえぬものについては、沈黙しなくてはならない。
どこかの哲学者もそういっていた。しかし、理解を超える場面に直面してしまっている。ここは形而上学的な世界ではなく現実だ。
本当に現実?
「俺の頭がおかしくなって現実から乖離している可能性が最も現実的なんじゃないか」
「ご主人様の言う通りその可能性は否めないとは思います。けれど、その何と言いましょうか……感覚的に現実的だと感じませんか」
リンの言う通りだった。夢の中の違和感というものが一切なかった。抽象的ではなく具体的な感覚というべきだろうか。
軽く内腿をつねってみるも、そこに立派な痛みを感じる。
非現実的な現象の中にいるはずなのに、直観で現実的な世界にいるという感覚。
第六感が現実だと告げている。気味が悪いことに俺は絶対の確信を持っていた。
前髪がさらさらと揺れる、ヒューとどこからともなく風が吹いていることに気付く。いやに生ぬるい風。
「ご主人様、風が吹いているということは入り口があるかもしれません」
「どうして、そう思う?」
「洞窟は、いくつかの洞口がある場合、標高の高い洞口と低い洞口の間に気流が生じます。そして風が吹いてくるところたどれば洞口に辿りつけるのです」
それらしいことを言ってみせる、メイドの生き字引リン。
「しかし、ここが洞窟とは思えないけど……何か動かなくてはならないのもまた事実。そうだね、風が吹いてきた方向に向かって歩いてみよう」
すり足で足元を確認しながら慎重に行く。
生ぬるい風は、止むことなく吹き続けている。
ある程度、歩くと扉の光が消えてしまい完全な闇の中に立たされることになった。
「目は暗闇になれるというが、一切の光がないこの状態では慣れても何も見えないだろうな」
「暗闇に目が慣れるのは、暗順応という現象ですね」
そんな名前だったのか。
しかし、なぜリンは俺の知らないことさえ知っているのだろうか。もしくは俺が忘れているのか。
今こんなことを考えている場合ではないか……
「風が止まったな」
「そうですね。ご主人様どうしましょうか」
悠長に会話をしていると、カーンという鐘の轟音が響いた。
「っ!」
反射的に慌てて耳を抑える。
鐘も気になったが、ほかにも問題が生じていた。
風上にいるはずだと思っていたが、風が後ろから吹き始めたのだ。
しかも先ほどの髪がなびく程度ではなく、台風の吹き荒れるような激しさ。
「複数の洞穴があるのでしょうか」
リンはそう問うが、暗闇の中の風に悪戦苦闘している俺は何も答えられる余裕はなかった。現実の影響をリンは受けないようだ。
そもそもどこから鐘が響いたのか。音の位置感覚がまるで分からない。
とりあえずは座り込んで、風に飛ばされないようにしなくては。
だが、屈もうとした途端にまたしても後ろからの吹く風は一段と強くなった。
強烈な突風。何も見えない状況で、風に行く場所を決められるように歩きを制限されてしまう。
「大丈夫ですか、ご主人様」
リンは先ほどまでとは違い、本当に心配そうに言う。
俺の状況に余裕がないのを感じたのだろう。
「ああっ、幸い、どうやら平坦な地で構成されている場所らしい」
身体能力の自信がある。このまま風にうまく体を運ばせよう。
しかしまだ、体には気を付けたい。入院していた人間なんだ、心拍数は上がりすぎないように気を付けたい、こんなところで気絶してしまえばゲームオーバーだ。
ピシィ、ピシィと何かが軋む音がし始めた。
今度は何だ?一体、ここは何がどうなってる?視界も取れず、突風は吹き、意味も分からない鐘はなり、さらには奇妙な音が聞こえはじめた……
「どうしましょう、何が正解なのでしょう」
「この状況で正解も何もないだろう……ただ決められ」
なんだ?
ピシィピシィとした軋んだ音は加速しはじめる。風は相対的に弱まりはじめる。
次の瞬間。
閃光が弾ける。目に痛みを感じるほどの光。
目を閉じて、反射的に跪いてしまう。
ふいに、場の空気が変わり、ざわざわと声が聞こえるのを感じた。
それから盛大な拍手が響き渡る。その拍手は室内にいるかのように反響する。
先ほどの閃光にやられた目をおそるおそる開ける。
光から受けた刺激の影響で少々視界はぼやけるが、ぱっと見たところかなり古ぼけた教会の祭壇の上で跪いていた。
足元には禍々しい朱色に発光した魔法陣が描かれている。
気持ちの悪い白い装束を身にまとった集団が俺たちを取り囲んでいるやばそうな状況。
「クー・クラックス・クランの装束に似ていますね」
KKKと呼ばれる白人至上主義の秘密結社だっけ?
三角白頭巾の額の部分には、目玉に矢が刺さっているようなマークが描かれていて悪趣味だ。
「これは、やばいな……」
何が起こっているのか、意味も理解も分からない。
ただ暗闇から解放されたほうが安心できて謎の安心もしている。いや、安心はしていないな。状況にあきれ返ってしまってるんだ。