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妄執メイドと偽りの英雄  作者: Nice to neet u
3/5

名前


 病室に機械化されたメカニカルな看護師が病状を記した診療記録のコピーとその説明をしにやってきたらしい。

 メイドは静かに病室の端に寄る。俺はベッドの上に座り話を聞く態勢になった。


 時代は進化しすぎている。創造的仕事やエンターテイメントは以外もうすべて機械が従事している。

 機械の看護師は、機械を感じさせない声で病状とこの病院の説明を始めた。


 まずここが海上に浮かぶ軍医大の脳専門の特殊病棟だということ。世間とは隔絶されており、この病院から抜け出すことは簡単ではないことが分かる。

 病院内では自由にに動き回って言いが、別に俺だってこんなところに興味はない。

 重要な病状は、脳の腫瘍を取り除いた手術をしたらしいがどうやら完全に切除するにはあまりにもリスクが高く現代医学では不可能のため。今後、1週間の経過をみて退院できるかどうか判断するとのことだ。これだけ科学が進んでいるのにまだ直せない病気がある。

 機械の看護師は、説明を終えるとすぐに出て行ってしまった。

 

 診療記録には腫瘍のことくらいしか詳しく書かれていない。つまり、俺が妄想に駆られていると診断されている訳でないし、記憶が消えているということさえもまだバレていない。これだけ科学が進んでいるのにこんなに曖昧な診断しかできないとはね。人が関わらなくなったことが原因なのか。

 診療記録から分かったことは他にもある。

 俺が誰なのかということ。

 

 名前はフー・ファイター。

 本当に俺の名前か?

 年齢は18。

 部屋の鏡で自分を見る。年齢相応だな、と思うがフー・ファイターという名前の割に西洋人っぽい見た目でもない気がする。 

 どちらかといえばアジア系っぽいが、容姿が良いのはハーフだったのか?

 診療記録には両親の情報は一切ない。

 軍事病院にいるということは、何かしらの理由があったと思うのだがそのあたりの説明を受けていない。不親切だ。

 

 すぐそばにメイドの美少女というハイな幻想がいる。腫瘍を取り除いたのいいが、どこか脳の一部が損傷し悪化させられたのではと疑ってしまう。

 いや、妄想の女の子がプレゼントされたと考えるべきか。


 自分が作り出した妄想、想像なのだけれど、脳はメイドを実際にいるものとして認識を下している。

 いないけど、彼女はそこに存在している。

 

 嫌、本当にいないのか?幽霊のように出てきた彼女のいうことを信頼してしまっていたが、嘘を言っている可能性だってあるのかもしれないじゃないか。

 彼女は看護師に気付かれている様子はなかったが、無視されていただけかもしれない。


「こっちに来てくれないかな」

 端で待っていたメイドを呼ぶ。


「はい」


「これを持ってくれないか」

 手に持っていた診療記録を彼女に手渡す。

 最も簡単に妄想か現実か区別をつける方法だ。


「あのご主人様、持ちたいという気持ちはあるのですが、残念ながらわたくしには持つことができないのです」


「いいから手だしてみて」


 彼女は従って手をだす。

 俺は一度その手を確かめるように握る。

 優しい温もりがそこにはあったし、感触さえも俺にとっては確かに存在する。

 手を放し、診療記録をメイドの手の平に乗せようと試みた。


 診療記録の紙は、ひらりひらりと舞い落ちベッドの下に滑り混んでしまう。

 彼女のいうように、彼女は俺の妄想でしかなかったのだ。


 他人が俺の状態を知ったら、妄執に憑りつかれた狂人としか思わないだろう。

 狂人の診断を下されるのは御免蒙る。

 すぐに退院したいのだ。何か忘れてしまった指名が胸の中で燻っている。焦燥感だけがあった。


 メイドとの会話で名前について聞いた際のことを思い出した。

 ご主人様が名付けるものだとメイドは言っていた。

 病室の窓から、景色を眺めているメイドにそのことが気になり聞いてみることにした。


「君にとって俺がご主人様って認識であっているんだよね」


 メイドはこちらを振り向き、はい、そうですと答える。


「その、君の名前を決めるべきだと思って、名付ける権利があるって言ってたろ?」


 メイドは今日はじめて嬉しそうな 笑顔を見せてくれた。彼女の笑顔に言葉を飲み込んで見とれてしまう。

 

「はい、私も名前を決めていただきたいです。ご主人様」


「リン」


 とっさに呟く。

 野中りんという名前が、記憶が俺に語り掛ける。だから彼女にはメイドにはリンと名づけよう。


「君の名前はリン。どうかな?」


「ありがとうございます」

 リンは嬉しそうな顔を引き締め仰々しく頭を下げる。


「リン、散歩にでも行こうか。ここは退屈だから」


 病室を出た。

 入院棟のため、個別の病室が並ぶ廊下を歩くことになる。

 大部屋の病室は、違う階にあるようだ。

 そもそも、脳に問題がある患者を大部屋に詰め込むのだろうか?うん、そんな事考えても仕方ないな。

 興味本位で変わった名前の人が入院していないか、病室のネームプレートに目を向けるもキラキラネームはなくごく普通の名前ばかりだ。

 ドアが少し開いている部屋を通り過ぎようとしたとき、ある個室のネームプレートに目が留まる。


 アクア・マーモット・シュルトリス


 すごい名前だな……度肝が抜かれる。

 横にいるリンにも、凄くないか?と 表情で訴えかける。


「そうですね。アクアとマーモットは水と齧歯目リス科のマーモットですかね。シュルトリスは聞いたことがありません」

 と冷静に分析をするリン。


 ドアが少し開いているのをいいことに、チラリと隙間から中の様子を窺ってみる。

 すると中にいた女の子と目が合った。

 ぱっと目を逸らし逃げかえる準備に入ろうとした時に、「入ってきて」と病室のベッドから聴こえてきた。


「どうしますか?ご主人様」


「そうだな、逃げるのも男らしくない。入ろう」

 俺は普通の会話をするように声を出して、リンに答えた。

 病室のドアをゆっくりと開け、入室をした。


 病室は俺の所と違ったところはなかった。

 ベッドとその横に置かれた小さな収納デスク。冷蔵庫、トイレ、テレビ。

 あえて違いを見つけるなら窓の位置が少し違うくらいだろうか。

 あえて言えば、遮光カーテンで光を入らないようにしているので雰囲気が暗い部分が違う。

 いや、いや、こんなのどうでもいい。

 ベッドに座っている少女が奇想天外すぎて、部屋の特徴とか雰囲気とか些細なことにすぎない。


 アクア・マーモット・シュルトリス……変わっているのは名前だけではなかった。

 綺麗な大人びた雰囲気の女の子。

 真っ青な色の髪の毛に、瑠璃色の目。

 瑞々しい肌、今まで紫外線に浴びたことがないんじゃないかというくらいに綺麗な色をしている。

 病弱な身体つきではなく、肉がつくべきところはしっかりと肉付いていてちゃんとした女性の体をしている。胸も大きい……髪と同じブルーカラーのシルクパジャマがはだけて谷間が見えた。


 リンがこちらをジト目でしっかり抗議の意を示していた。

 すまない、胸がそこにあれば視線をそこに合わせる生き物なのだ。登山家が山を登るのと同じ、そこに胸があるから。


「待っていたわ」


「え?」

 別に胸に夢中で聞き逃したわけではない、はっきり彼女の言葉を聞いていた。

 ただ、意味が分からなかったんだ。彼女の事を知らないし、会ったこともないのに待っていたなんて。


「意味が分からないのは仕方がないこと。あなたが未来予言者のように未来を知らないと理解をすることは不可能」


 まるで心を読み、自分は未来を予言できるとでも言うような物言いだ。


「これをあなたに渡さなくちゃいけないの」


 彼女は引き出しから一冊の分厚い本を取り出した。その本を差し出してくる彼女。

 差し出されるがまま受けとる。題名は『概念融合と創造の道筋』

 俺なら絶対に選んで読まない一冊だ。著者は小末 滋。誰?


「これをどうしたらいいんだ?」


「読まなくていいわ。ただ始めから奥付まで一度は目を通して欲しいの」


「奥付?ってのはそのなんだろうか」


「細かいことはどうでもいいの。とりあえず最後まできっちり隙間なく視認してもらいたいの」

 

「ああ。分かった」

 

 役目を果たしたといった感じで彼女は蒼い髪を耳にかける。


「出て行っていいわ、また明日ここに来なさいね」


「え?また明日ここに来るのか」


「そうよ。その本に目を通して、明日ここに来なさいと言っているの……これくらい一度で理解してくれないかしら」


 色々聞きたいことを頭の中で整理していると彼女はトドメをさすように言う。


「ほら、帰っていいのよ」


 何を聞くべきか咄嗟に判断できないので彼女の言う通りに病室を素直にでた。

 哀しい男だ。ずっと彼女の一方的なターン。


 リンが待ってましたと言わんばかりに嬉々として言う。

「奥付というのはですね。簡単にいうなら巻末に設けられているその本に関する発行者や発行所(出版社)、印刷所、etcなどが記述されているページの所です」


 リンに視線をやり、なるほどねと呟く。もう少し散歩をして病院の中を把握しておきたいところだが、足は自分の病室へと向かっていた。自分でもはっきりとは分からないが、これ以上もう変なことが起こさせてはいけないと思ったからなのかもしれない。


 病室に戻ると、分厚い本、たぶん学術書をベッドの上に放り投げた。

 ベッドに腰かけ、手に取りもう一度題名を確認する。『概念融合と創造の道筋』


「はい。隣に座っていいよ」


「ありがとうございます」

 リンも隣に腰掛け、同じように興味深そうに覗き見ている。


「この本どうする?」


「目を通しておけと仰っていましたから、読んでおくのが筋なのではないかと思うますが」


「いや、彼女は読まなくてもいいと言っていたよ。目を通しておけとだけ注文してきたんだ。それにたぶん不可能だよ、読み切るのは」


 顎に手を当て、思考する。

 目的はなんだ?

 この本に目を通す必要がある意味は?

 明らかに一日で読破できる代物ではない。ページ数は650を超えている。しかも学術書だ、内容を読み解きながら読まなくては何の意味もない。


 目次を見てみることにする。


 第一章 概念融合から見る真理

 第二章 概念融合と創造の基礎原理

 第三章 過去・現在・未来の時間歪曲

 第四章 崩壊のカタルシス

 

 大きく分けてこの四章で構成されている。その間の節はあまりにも多い。

 序章を読めば、この本が書かれている目的が分かると考え、ページをめくる。


‘‘おそらく本書は、類似した概念、思想、体験をすでに持った人間でなければ理解することは不可能だろう。’’


 1行目で俺の思惑を否定されたようだった。この本を理解するための要素を俺は何一つとして持っていないだろう。読まなくとも判然と分かる。パタンと本を閉じた。

 読書好きなら意味が理解できなくとも、活字を眺めるだけでも満足するのかもしれないが、俺は違う。さすがに1行目で読むのを諦めたのは初めてかもしれない。


 そうだ。俺がどこに入院しているのか思い出せ。脳専門の病院じゃないか……そしてあの子は患者だ。きっとあの子も俺と同じで狂人なのではないか?

 妄想か何かに巻き込まれたに違いない。


「読まないのですか?」


「そうだな。理解できそうにないしな」


「目を通しておく約束くらいは果たしておくべきなのではないかと」


「それくらいは果たしておくか。約束をしたというより命令に近かった気もするけど、してしまったものは仕方がない」


 ペラリ、ペラリと一ページずつ目を通していく。

 2、3分で作業が終わった。

 最後、彼女の言っていた奥付はこの本にはなかった。

 発行された年、出版社、など情報が一切なかった。


「奥付まで確認したかどうか、明日試される予定だったのかもしれませんね」


「俺もそう思ったよ」

 彼女の意図を読み切ったといった気分で鼻で笑いながらそう答える。


 その真相は、明日の病室で分かった。

 ただ、それは本当に些細なことだったのだ。

 少女が変な名前だとか、蒼い髪をしていることさえも些細なこととして片づけられるくらいに。


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