人間とロボット
「おはよう。気分はどうかしら?」
聞き覚えのない声で目を覚まし、ゆっくり辺りを見渡すと、僕は手術台の様なものの上で寝ていた。
ここはどこだ?
そして……
僕はいったい誰だ。
「混乱するのも無理ないわ。今から私が、ちゃんと説明してあげるから心配しないで」
僕のすぐ横には、白衣を着て、メガネをかけた、妖艶な美女が立っていた。
この人は誰だ?
何で僕は、何も記憶がないんだ?
いったい僕の身に、何が起きてるっていうんだ?
「あなたには少しショッキングな話になると思うから、落ち着いて聞いてね。結論から言うとね、あなたはロボットなの」
「は?」
まだ寝ぼけているのだろうか。
今、あなたはロボットだと言われた気がしたが、何と聞き間違えたのだろう?
「もちろんすぐには受け入れられないと思うわ。そう思考するように、私が作ったんだから」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
私が作った?
ということは、やはりロボットという単語は、聞き間違えではなかったということか?
……そんなバカな。
僕は自分の胸に手を当ててみた。
その柔らかい感触は、確かに人間のものだし、ドクドクと心臓の鼓動も感じる。
やはり僕は人間だ。
何故か今は、記憶が一切なくなっているが、それ以外は、どこをどう見たって人間にしか見えない。
「……あなたの言いたいことはわかるわ。とても自分が、ロボットとは思えないって言いたいんでしょ?」
「……」
僕は無言で、肯定の意を示した。
「でも残念だけど、これは事実なの。確かにあなたの身体は筋肉の様なもので覆われているし、身体中には血液の様なものも流れている。食事もするし、排泄もする。傍から見たら、人間にしか見えないでしょう」
「……だったら」
「だけどそれは全部、私がそう見えるように作っただけなの」
「!」
「あなたの筋肉は筋肉に見えるただの機械だし、あなたの血液は血液に見えるただのオイルだし、あなたの思考回路は人間そっくりに私が設定した、ただのプログラムなのよ」
「そんな……」
この人の言っていることが頭の中で反響して、僕は軽いめまいを覚えた。
僕が人間そっくりに作られたロボット?
そんなの……信じられる訳がないだろう。
全部この人が言ってるデタラメに決まっている。
「今すぐ信じる必要はないわ。いずれにしても、あなたに記憶がないのは事実でしょ?もしも自分が人間だって言い張るなら、せめて記憶が戻るまでは、ここにいたらどうかしら?」
「……」
「ただ、この施設から外に出ることはできないけどね。外の世界はもう、人が暮らせるようなところではないから」
「え……それって」
「ありきたりな話だけどね、世界中で大きな戦争が起きて、世の中が有害な物質で溢れかえった結果、人類は絶滅してしまったの。……今や私だけが、この世で残った、たった一人の人類よ」
「!」
「たまたまこのシェルターで独り、研究に没頭していた私だけが助かった。そしてあなたを作った。……これが、事の顛末よ」
「……」
「噓だと思うなら、このシェルターから外に出てみるといいわ。ただ、外に出た瞬間、あなたは死ぬでしょうけれど。あなたが、人間だった場合はね」
……嘘だ。
この人は嘘を吐いている。
そんなことがあるはずはない。
ただ、何故そんな嘘を吐く必要があるのかという疑問は残る。
僕に記憶がないのは事実だ。
この人の言う通り、記憶が戻るまでは、下手なことはしない方がいいかもしれない。
「さあ、お腹が空いたでしょ?食事にしましょう。まあ、その空腹感さえも、作り物なんだけど」
「……」
「ちなみに私の名前はハルカよ。よろしくね」
「ハルカさん……」
「あなたの名前はミライよ」
「ミライ」
「これからよろしくね、ミライ君」
そう言って颯爽とこの部屋から出ていくハルカさんの背中を、僕はただボーっと見ていた。
「はい、召し上がれ。といっても、ただの缶詰料理だけどね」
「……いただきます」
出された料理は、確かに質素なものだった。
野菜スープと乾パンだけ。
それでも空腹の僕には、この上なく美味しく感じられた。
この、美味しいという感覚すらも、作り物だというのだろうか……?
「ごめんなさいね。如何せん外にはもう、食材はなくなってしまっているから」
「いえ、美味しいです」
「そう?よかった。非常食はたっぷりあるから心配しないで。ミライ君と私だけじゃ、一生かかっても食べきれないくらいは」
「……あの、一ついいですか?」
「?何かしら」
ハルカさんは、食事の手を止めて、僕に優しく微笑みかけた。
「……仮に、僕があなたの作ったロボットだったとして、何であなたは、僕を作ったんですか?」
「……何でだと思う?」
「え」
質問に質問で返された。
いや、それがわからないから、聞いたんだけど……。
「それを考えてもらうのも、私がミライ君を作った理由の一つよ」
「はあ」
結局、いいようにはぐらかされただけな気もするが、ここで深く追求する必要も感じなかったので、僕は食事を再開した。
「お腹いっぱいになった?」
「はい、ご馳走様でした」
僕は野菜スープと乾パンを、キレイに平らげた。
「そう、この隣の部屋をミライ君の部屋にしてあるから、好きに使ってね。眠たかったらお昼寝しててもいいし。電子端末も置いてあるから、そこには過去の漫画や映画やゲームなんかが、ほとんど保存されてるから、よかったら見て」
「……ありがとうございます」
至れり尽くせりで、逆に怖いくらいだな。
「……ところで、エッチなことに興味はあるかしら?」
「え」
ハルカさんが、豊満な胸を強調させながら、艶っぽい笑みを浮かべて言った。
僕の中から、じわっと熱い何かが溢れ出てくるような感覚がした。
「いや!それは、その…………大丈夫です」
「ふふふ、そういうこともしたくなったら、いつでも言ってね」
「……」
ハルカさんが何を考えているのか、僕にはサッパリわからない。
今僕の中に芽生えた、確かな劣情さえも、ハルカさんが作ったものだというのだろうか……?
まあ、それも今は深く考えないようにしよう。
こうして、僕とハルカさんの、奇妙な共同生活が始まった。
ここでの生活は、思いの外快適だった。
漫画も読み放題だし、勉強も仕事もしなくていい。
それにハルカさんは優しいし、とっても美人だ。
最近、僕の中でハルカさんに対して、日に日に特別な感情が芽生えつつあるのを自覚していた。
この気持ちも、作り物なのだとしたらと思うと、複雑ではあったが……。
このシェルターには、窓は一切ついていないので、外の様子はわからなかったが、特に見たいとも思わなかった。
まして、荒廃した世界など、見ても憂鬱になるだけだ。
ハルカさんが嘘を吐いていないという保証は、どこにもないのだけど……。
ただ、僕は、本当に世界が滅んでいようがいまいが、どちらでもいいという気持ちになっていた。
いずれにせよ、今の僕には他に寄る辺はない。
だったらこのまま、ハルカさんと二人で、ここで暮していくのも悪くないと思っている。
「ミライ君、いる?お昼できたわよ」
ハルカさんが、部屋の外から声を掛けてきた。
「あ、はい。今行きます」
僕は電子端末をスリープモードにし、ダイニングに向かった。
今日のランチは、缶詰のシチューだった。
シチューは僕の好物だ。
「わあ、美味しそう。いただきます」
「……ミライ君」
「え?」
ハルカさんが、いつになく神妙な顔で、話し掛けてきた。
その瞬間、僕は何故か、言いようのない不安を感じた。
「大事な話があるの」
「……何でしょうか」
僕の背筋にスッと、冷や汗が走った。
「実は――」
ドカンッ
「「!?」」
突然シェルターの出入口の方から、爆発音の様なものがした。
その直後、ドカドカと大人数がこちらに走ってくる音が聞こえた。
「マズい!もうやつらが来たんだわ!」
「え!?ハルカさん、やつらって……?」
「いいからミライ君は隠れて!」
「ちょ、ちょっと、ハルカさん」
ハルカさんの余りの剣幕に、僕がたじろいでいると、ドンッとダイニングのドアを蹴破って、銃を持った武装集団が雪崩れ込んできた。
「見付けたぞ!二人共、手を上げろ!」
先頭にいた男が、こちらに銃を向けながら叫んだ。
「ミライ君!」
ハルカさんは、懐からナイフを取り出し、男を牽制しながら、僕を庇うように僕の前に立った。
「ハルカさん!」
「大丈夫よミライ君。君は私が――」
その時、パーンという銃声と共に、ハルカさんの身体が大きくのけぞった。
「かはっ」
「っ!!ハルカさんッ!!」
僕は反射的に、ハルカさんを抱きかかえた。
ハルカさんの左胸には、大きな穴が開いており、そこからドクドクと真っ赤な血が流れていた。
「ハルカさんッ!!ハルカさあんッ!!!」
「ミ……ミライ……君……」
ハルカさんは、今にも消え入りそうな声で言った。
「ごめん……ね」
「え!?それって、どういう……」
ハルカさんは、また僕の質問には答えずに、静かに瞼を閉じた。
「あ……ああ……ハルカさん……。噓だ……嘘だって言ってください、ハルカさん」
だが、ハルカさんは糸の切れた人形の様に、ピクリとも動かない。
「う、うわああ。ハルカさん、ハルカさん……。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だああああ!!!!」
僕の中に、短いながらもハルカさんと一緒に過ごした時間がフラッシュバックした。
人参が嫌いだと言って、いつも人参だけ僕に渡してくるハルカさん。
本当は眼が良いのに、科学者らしいという理由だけで、伊達メガネをかけているハルカさん。
お風呂を出た後に、いつも全裸で歩き回るので、僕に注意されるハルカさん。
味気ない缶詰の料理を、何とか美味しくしようと、毎日試行錯誤してくれているハルカさん。
そんな何気ない日常の一コマが、次々に頭の中に浮かんできて、僕の胸をギュッと締めつけた。
そしてふと現実に戻ると、そこには先程と変わらず、血の気が引いたハルカさんの顔があった。
その顔を見た瞬間、僕の中で何かが弾けた。
「クッソオオオオオオオ!!!!」
殺してやる!殺してやる!殺してやる!殺してやる!
こいつだけは、絶対に僕の手で殺してやる!!!
僕の頭の中は、とても人間のものとは思えない程の、ドス黒い殺意で占められた。
僕はハルカさんの手からナイフを奪い、男に突貫した。
男の冷たい銃口は、僕の心臓に狙いを定めていたが、殺意で麻痺した僕の頭は、まったく恐怖を感じなかった。
だが、男は僕には発砲せず、慣れた手つきで僕のナイフを叩き落すと、そのまま僕を地面に押さえつけた。
「クソッ!クソッ!放せ!殺してやる!絶対に殺してやるッ!!」
「落ち着いてください。我々はあなたを助けに来たのです」
「何!?」
男の口から思いもよらない言葉が出てきて、僕は固まった。
「その女は悪いロボットです。あなたのことを誘拐し、ここに閉じ込めていたのです。もしかして、記憶も消されているのではありませんか?」
「そ!そんな」
ハルカさんがロボット!?
そんなバカな。
どこからどう見ても人間にしか見えないし、胸から血だって出てるじゃないか。
「信じられないのも無理はありません。これは、人間そっくりに作られたロボットですから」
「う……嘘だ……噓だ……」
僕はうわ言のように繰り返した。
じゃあ、ハルカさんが言っていたことは、全部あべこべだったのか……?
本当は僕が人間で、ハルカさんがロボットだったのか……?
そんなことはあるはずがないと思いつつも、そう考えると、辻褄が合うことも多いのは事実だった。
少なくとも、目の前にこれだけの人間がいる以上、人類が絶滅しているというのは、噓だったことになる。
もしかすると、ハルカさんがさっき言おうとしていたことは、そのことだったのだろうか……。
「……ハルカさんは、人類は絶滅したって、僕に言ってた……」
「それは本当です」
「え」
男は僕の拘束を解き、至って冷静な口調で言った。
「あなた以外の人類は、漏れなく死んでいます。私達は、その女と同じ、ロボットです」
完