太平洋戦争開戦
1941年12月8日。
イギリスとアメリカが日本に宣戦布告した日じゃ。
宣戦布告を受けた日本も、イギリスとアメリカに宣戦布告しおったと、ラジオに繰り返し流れておった。
それの意味するは、太平洋戦争の開戦、人々にとってまたひとつの悪夢が始まったということじゃ……。
後から聞いた話じゃが、次郎の父親の茂雄がマレー作戦のために上陸したのも、かの有名な真珠湾攻撃も同じ日じゃったらしい。
マレー作戦というのは、マレー半島の北端から、シンガポール方面へ急攻するという意味じゃ。
直線にして1000キロメートル以上もある陸地を、たった70日間で進攻する作戦じゃったらしいが、それもただの陸地じゃなかったんじゃ。
鬱蒼とした森、高い湿度と見たこともない色をした蛇や虫。それから、潜んでおるイギリス軍兵士。
全ての危険をかわしながら進むのは容易ではなかったじゃろうな。
ワシも、彼ら英雄と同じように戦争に行ったモンとして、忘れられんことはたくさんある。餓死寸前の状態でなんとか握る銃。その銃で、抵抗する気力がなくなり、涙が溢れ、震え、だんだん足がすくんで崩れ落ちていく相手を撃つんじゃ……。お国のためじゃお国のためじゃと言い聞かせて、武者震いになど負けるか、と、精いっぱい撃鉄を引いたんじゃ……。
そこから先は何も言うまい……。なにかのついでにでもまた話すこともあろう。
「ふう、今日は疲れたわい。また明日にしてくれんかのう」
彼はそういうと、奥の部屋に入っていった。
彼の奥さんは、わざわざ帰ってもらうのも悪いからと、記者の私のために寝床を用意してくれた。
明日のお話に備え、録音機器に充電機を挿して眠りについた。
変な終わり方をしてしまって申し訳ありません……!
ここまでが第1章です。