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7 揺るぎない想い


 空港へのドライブの帰り、初めて遼平りょうへいさんのマンションにお邪魔することになった。


 どんなところに住んでいるんだろう。

 ちょっと楽しみ。

 弟以外の男の人の部屋は、当然だけど入ったことはない。

 そういえば光樹みつきのアパートにだって、最初の引っ越しの時の手伝いに入ったっきりだ。

 遼平さんの部屋はどんなかな?


 場所は、私のアパートから車で30分くらいの所で、最寄りの駅から徒歩10分らしい。



 遼平さんの住まいは、外玄関がオートロックになっている中規模のマンションだった。

 エレベーターで5階まであがる。

 なんだかドキドキしてきた。


「奈由がいつ来てもよいように、少しは片付けたんだが、まだ途中だ。悪いが、少し汚いぞ」

「お忙しいんですから、仕方がないですよ」


 と軽くお答えしたけど、仕事が多忙の独身男性の部屋の現実は甘くないと予想しておこう。



 玄関入ったらまず、埃っぽくて咳が出そうになった。

 暑いのは仕方がないけど、なんだか空気が澱んでいる気がする。


「暑いな~。すぐ、エアコンつけるからな」

「あの、窓を開けて、少し空気の入れ替えしませんか?」

「ああ、窓な。そうか、しばらくエアコンに頼ってて、窓開けてなかったな」

「……」


 え? しばらく窓を開けてない?


「失礼ですけど、エアコンのフィルターはたまにお掃除してますよね?」

「いや、したことない」

 

 やっぱり。

 きっとフィルターに埃がたまってる。


 うわ、床のフローリングの隅に綿埃わたぼこりがいくつか!!?


「掃除機はたまにかけてますよね?」

「もちろん! 2週間前くらい前? かな?」


 なぜに疑問形?

 遼平さんが視線を合わせない所をみると、もっと前かも。


 私の中の何かにスイッチが入った。


「あの、少しだけお掃除させていただいても良いですか?」

「いいけどさ、奈由の目がなんかいつもと違って怖い。おふくろと同じ目だ~。ちゃんとスーツは着回しして1週間ごとにクリーニングに出してるし、下着やワイシャツもきちんと洗濯してるからな」

「えらいですね」

「そのエライには、感情が伴ってないな。まあ、まずは座って一息つこうぜ」

「一息つけません」

「へ?」


 遼平さんが、キョトンとして首をかしげている。


「とぼけた顔してもダメです。今から遼平さんのお住まいを少しマシな状態にします」

「え~? 毎日俺はここで生活してるし、だいぶ片付けたつもりなのにダメだったか~」


 頭をガリガリ掻いている遼平さんは放ったままにした。


 お部屋をざっと見回すと、対面式のキッチンとリビングダイニング。

 別に寝室ともう一つお部屋があるみたい。

 リビングには、テレビと床置きのローテーブル。ソファは無い。

 ダイニングテーブルには、ノートパソコンと山積みの郵便やチラシ。


「先に冷たいお茶でも飲まないか? 喉が渇いただろう?」


 遼平さんがキッチンの方へ移動を始めたので、なんとなく後についていく。


 シンクには洗ってない食器やコンビニの総菜のパックがそのまま置いてある。

 まだこんなのは良いほうだよね。

 

 そして目についたのは、


 わ~~、きゃあああ!


 なんですか、これ? キッチンのガス台がとんでもないことになっている。

 コンロの周りには油っぽい野菜カスが、カーペットの毛のようにびっしりとこびりついていた。

 て、ことは、換気扇フードも? 上を見上げる。

 うわ~やっぱり油だらけ!

 そういえば、よく炒め物をすると言っていたのは、本当みたい、だけど~~~!


 遼平さんは、水切りラックに洗い上げてあったコップを2個用意すると、冷蔵庫を開けた。


 ペットボトルのお茶は新しそうだったので、ひとまずいただくことにしよう。

 対策を練らなければ。

 冷えたお茶が美味しい。でも、どこから手を付ければいいんだろう?


「奈由、何をそんなに難しい顔してんだ? ガス台か? ははは、料理してる証拠だろ。そのうち掃除しようと思ってたんだがな、ちょっと放っておいたらこうなった」

「そ、そうですか」


 ちょっとやそっとでこんなカーペットは出来上がりませんから!!!


 私はペットボトルのお茶を冷蔵庫にしまおうと、扉を開けた。

 なぜか冷蔵庫の奥にある、異様な雰囲気を放つ半透明のプラスチック容器に目がいった。

 胸騒ぎがするが、確認しないでそのまま放っておいたらもっとダメな気がした。

 思い切って手を伸ばす。


「これ、何が入ってるんですか?」

「ん? なんだっけなあ?」


「!?」


 いやァあああああ~!!!


 私は心の中で絶叫した。

 手に取って、間近で見て、取り落としそうになった。


 緑? 紫? 黒? なんておぞましく感じる色の組み合わせっ!

 これは進化した新種のカ、カ、カ……ビ?


 未知の物体Xのようなものが容器の中に巣食っている!!!?

 蓋を開けたら私たちは未知なるカビ菌にやられて、ゾンビになるに違いない。


 絶対開けたらいけないやつだ!!!


「ご、ごみ袋というか、いらないビニール袋はありますか?」

「あるぞ」

「これ、ちょっと危ないのでこのまま捨てますね」

「そうか。カビ生えてたか~」


 遼平さんは物体Xを目の当たりにしても平然としている。

 私はもう、倒れたかったが、ここで倒れたら生還できない。

 大袈裟だけど、生き抜いてみせる。


「遼平さん、今からドラッグストアで至急買い物をお願いします! すぐにリストを作ります」

「買い物? 今から?」

「私は少しお掃除していますから」


 私は、自分のバッグから手帳を出すと、1枚ページを破り取った。

 頭に浮かぶ必要な掃除用品をリストアップしていく。

 素早く書いて、遼平さんに渡した。


「これを買ってくるのか? ゴム手袋Sサイズ? 重曹? クエン酸? アルコール? カビ取り剤……。その他いろいろあるな」

「とにかくお願いします」

「わかった。行ってくる。掃除なんて無理しないでいいんだぞ。俺は全然気にしない」


 遼平さんが気にしなくても、私が気になるんですって!


「はい。まずは掃除機と雑巾をお借りしたいです」

「掃除機はそこのリビングの収納に入ってる。雑巾は無いから、洗面所に積んである傷んだタオルを適当に使ってくれ」

「わかりました」

「入ってはいけないお部屋とか、見てはだめな所とかありますか?」

「ないから、どの部屋にも勝手に入っていいし、隅から隅まで見ていいぞ」

「はい」


 遼平さんを作り笑顔で送り出すと、気を引き締めた。


 まずは現状把握しながら、掃除機をかけよう。


 私は収納から掃除機を引っ張り出すと、リビングダイニングに掃除機をかけ始めた。

 確かにあまり物は散らかってないので、掃除機はかけやすかった。

 たまになぜかザラっと砂っぽいのを吸い込む音がする。

 そして綿埃をグングン吸い込む。

 すぐに汗だくになった。


 とりあえず、全部の部屋に掃除機をかけてしまおう!


 寝室らしい部屋のドアを開ける。

 ベッドと開けっ放しのクローゼットがあった。

 衣類が雪崩のようにそこから溢れていた。

 これも想定内、想定内。

 ひとまず、その衣類をよけて掃除機をかけた。


 夏だからか、ベッドの上にはタオルケットが一枚クシャっと置いてあるだけだった。


 遼平さんは、ここで寝たり起きたり、着替えたりしてるんだ。

 少し鼓動が早くなった。


 もう一つの部屋は予備のようで、いくつか段ボールが積んであって、がらんとしていた。


 部屋の掃除機はかけおわったので、窓を閉めてエアコンをつける。

 エアコンのフィルターはあとで遼平さんに外してもらおう。

 いつも携帯しているウエットティッシュで、汗だくの首回りを拭いた。

 エアコンの風が心地よく吹いてきた。

 風は特に嫌な臭いはしなかった。

 ようやく少し落ち着いた。



 あとは水回り。

 トイレは? 意外と普通に綺麗だった。


 洗面所と浴室は?

 洗濯機の中に、洗濯物がたまっている。


 仕方がないよね、昨夜はうちに泊まったんだし。

 

 浴室は、赤カビと少し黒カビも出ている。

 カビ取り剤を使わないと。


 3面鏡付きの洗面台の左右の収納を開けると、片側には髭剃りや櫛や整髪剤、もう片側にはひとり住まいなのに歯ブラシが何本も入っている。

 よく見ると、毛先が開いたものを捨てるのを忘れてそのまま置いてあるみたい。

 これはあとで掃除に使わせてもらおう。


 正面の鏡の扉を開くと、そこに、明らかに遼平さんのとは違うピンクの歯ブラシとコップが置いてあった。

 私は固まった。


 え? これって、前の彼女さんの?

 もしかして、今でもたまに来て泊まったりしてるの?

 なに? この胸が締め付けられるような苦しさは。

 ……これは、嫉妬……。



 その時、玄関の開く音がした。


「買ってきたぞ、奈由? どこだ?」


 背後に遼平さんの足音と声が聞こえたので、あわてて収納を閉めた。

 なんだか、急に何も考えられなくなった。


「ここにいたのか。どうした?」

「……帰ります」

「な、なに~!?」


「ちょい待て、奈由!」


 遼平さんの横をすり抜けようとしたときに、当然のように腕に捕まった。

 

「どうしたんだ急に。逃がすかよ」


 腕の拘束は身動きできないほど、きつかった。


「奈由、俺たち結婚の約束して、夫婦になろうとしている。それなのに、そんな暗い顔して理由も言わないで帰りますは無いだろう。はっきり理由を説明してくれないとわからない。心の中に何かをためたままにするな。俺の部屋が汚くて嫌だから帰るのか? それとも違う理由があるのか?」


 この苦い気持ち、遼平さんにもさせてた。きっと。

 ごめんなさい。


「奈由、嫌な事でもお互いのモヤモヤはとことん話し合う。そのひとつひとつの積み重ねは俺たちの絆をきっと強くする。なんでも俺に言え。受け止めるから。俺たちはこれから家族になるんだぞ」


 つまらない嫉妬で不安定な心理状態になっていた。

 そんな私を、なだめるように発せられた遼平さんの言葉ひとつひとつが、私の心に舞い降りる。


「奈由の事を、もっと知りたい。どんな些細なことだってまずは知りたい。俺のことも知ってくれ。だめな所もだ。俺たちはまだまだこれからもっとお互い知る必要がある。ひとりの人間を知るというのは、奥が深いものだ。わかったように決めつけるなよ」


 遼平さんの広い心が、私の未熟な心を包んでくれる。

 私は遼平さんの力強い腕の中でしっかり頷いた。


 遼平さんは、私よりずっと大人だ。私なんてまだ全然精神的には成長してない子どもだけど、あなたのそばにいられる唯一でいたい。


「遼平さん、好きです……」


 私はありったけの力で、遼平さんにしがみついた。


「奈由、俺もだ」


 遼平さんは誰にもあげません!


「もっとぎゅっとしてください」

「よくわからないが、いいのか?」


 遼平さんがぎゅっとしてくれる。


 遼平さんの息遣いが荒くなった。

 少し身体を離され、首筋に吸い付かれた。


「あ、だ、だめです。今は掃除機をかけて汗をかいた後ですし」

「え? 違うのか? こういう流れじゃないのか」

「違います」

「そうか?」


 と、言いながら愉快そうに顔を胸元に寄せてくる。


「やっ、嗅ぐの止めて下さい!」


 前の彼女さんに対する強い嫉妬の嵐はだいぶ収まってきた。


 まずは、このもやもやをスッキリさせなくちゃ。


「遼平さん、前の彼女さんに、まだ未練があったりします?」

「は? 何を言ってるんだ? 未練なんてまったく無い。俺が想ってるのは奈由だけだぞ。おまえが俺のすべてだ」

「じゃあ、これは何ですか!?」


 私は洗面台の正面の鏡の扉を開け、遼平さんの様子が変化するかをじっと窺った。

 遼平さんは、ただポカンとした。


「え? そこ開くの?」


 見当違いなセリフが返ってきた。


「この中の、ピンクの歯ブラシのことを聞いてるんです!! 前の彼女さんのじゃないんですか?」

「いや、ここに越したのは昨年で、ここに女は来たことも泊まったこともない。別れた彼女とは連絡とってないし、どこにいるかも全く知らない」

「それなら、この歯ブラシは……」


 私の問いに、一拍置いてから、遼平さんは閃いたような顔をした。


「あ~、おふくろか? あんのお、忘れていきやがったんだ。引っ越しの時に手伝うとか言って急に来て、泊まっていったんだ」

「お母さんの?」


 そうか、私ったら。

 すんなり納得できて、胸のもやもやは一瞬で消えた。


「ややこしいとこに置いていきやがって。奈由、嘘じゃないぞ。おまえの様子がおかしくなった理由はこれか?」


 遼平さんは、こういう嘘はつかない人だ。

 変に疑ったりして、ひとりで何を動揺してたんだろう。


「私が勝手に勘違いして、疑って、焼きもちやいて、すみません」


 冷静になれば、わかることなのに。

 私たちの間には揺るぎない想いが、信頼があるのに。

 何が不安だったんだろう。


「実はちょっと嬉しいぞ。奈由が妬いてくれるなんて。いつも妬くのは俺のほうだったからな」

「遼平さんのことを疑った私を、許してくれるんですか」

「許すもなにも俺の愛情表現が、まだ足りなかったみたいだな。疑う余地が無くなるまで奈由の心を俺で一杯にするまでだ」

「はい……」


 遼平さんは私を優しく抱き寄せて、しばらくそのままでいてくれた。



「奈由はぽやっとしてて可愛いから、みぃ君じゃないがマジで俺の方が心配なんだぞ。だから結婚の約束をしてくれて、左の薬指に指輪をしてくれて嬉しい。ようやく完全な虫除けになる。会社にも俺たちの婚約の事はもう報告するからな」

「はい。私も遼平さんを心配させないようにします! 不安にさせませんから」

「ああ。お互いそうしよう。それにしても、部屋をチェックしたり、買い物を指示したりする奈由は結構キリっとしてて新鮮だったなあ。惚れ直したぞ」

「そうですか? ……そうでした。今から私、お掃除頑張ります。遼平さんも手伝ってくださいね」

「げ、やっぱり掃除すんのかよ……。でも暑い中、買い物してきたご褒美を先にくれてもいいだろう?」

「ご褒美? わかりました」


 私はつま先立ちをして遼平さんの首に両腕をまわして、思いきって自分から軽くキスをした。

 

 私にとっては、今はこれが精いっぱいの愛情表現です。


「物足りない」

「……っ?」


 ご褒美と称して、執拗に迫ってくる遼平さんの唇を、やんわりとかわす。


「これ以上のご褒美は後です、遼平さん。私たちには、これからやらなければならないことがあるんですから!!」

「え~!?」


 この使命そうじはやり遂げなければならない、大事なことなのです。

 不満そうな顔しても無駄です。諦めてください。


「じゃあ、後のご褒美を期待して、掃除をがんばるかな」


 遼平さんがニヤっと悪い顔で笑った。


「……期待しないで、ください」


 声が小さくなってしまった。


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