11 咲き誇る桜より……
お盆休み明け、私は正式に総務課への異動の辞令を受けた。
そのため、担当していた数少ないお得意さまへの挨拶に遼平さんと引き継いでくれる相原くんと一緒に回った。
私の左手の薬指の指輪を見ると、みなさん妙に納得?したように、遼平さんと私を交互に見ながらおめでとうと口々に祝福してくださった。
みなさん鋭すぎじゃないですか?
と、いうより、相原くんから言われたように、私たちが思ったより隠せていなかったとか?
そして、季節は瞬く間に過ぎて行く。
10月に両家で一堂に集い、顔合わせを兼ねた食事会を行って、今後の予定も話し合った。
続く、11月、遼平さんと私は、無事に結納を済ませた。
結婚式は、会社の決算月が過ぎた翌年の4月に行うことになった。
♢♢♢♢♢♢
新年、とっても嬉しいことが起きた。
元契約社員だった鈴木さんが、正社員として採用され戻って来てくれた。
鈴木さんはスラリとした30代の清楚な雰囲気の女性で、私にとっては素敵なお姉さんのような人だ。
突然朝礼で、またよろしくお願いしますと頬を染めて挨拶された時には、嬉しくて涙が出た。
私は鈴木さんとゆっくり話をしたくてたまらなかったので、昼休みを待って駆け寄った。。
鈴木さんは、経理課に配属されたので、同じフロアだった。
「鈴木さん!!!」
「あら、津嶋さん。お久しぶりだったですね」
「お元気そうで、良かったです」
私は抱きつく勢いで、鈴木さんの手を握った。
優しく微笑まれると、また目が潤んでしまう。
「まったく、会社もゲンキンです。一度切り捨てたわたしを、また呼び戻すなんて。部長にボロクソに嫌味を言ってやりました」
ゆったりとした優しげな口調、なのに……毒舌。
懐かしい、戻って来てくれて嬉しい!
「鈴木さん、戻って来てくれて、ありがとうございます」
「津嶋さん、歓迎してくれてすごく嬉しいですけど、手が痛いし、入り口で凄まじい負のオーラを出している人がいますので、手を放してもらえますか?」
「すみません、つい、力入れちゃって。って、え?」
鈴木さんの視線の先を追うと、フロアの入り口に遼平さんが少し顔をしかめながら立っていた。
そうだ、今日は外回りが無いから、一緒にお昼を食べようと言われていたんだった!
ちなみに、総務課と営業課ではフロアが違うので、一緒にお昼を食べるときは遼平さんがわざわざ迎えに来てくれる。
「無自覚ですか。逢坂主任もあのようになるわけですね。あの方と婚約したそうで?」
「はい……」
「おめでとうございます。食いつかれて、放されなくなったみたいですね」
「あ、ありがとうございます。よくそんな感じに言われます」
「早く行っておあげなさいな。わたしが男だったら噛まれていたかも」
「そんな、まさか。じゃあ、お昼から戻って時間があったら、また少しお話ししてもいいですか」
「そうですね。津嶋さん、仕事はできても別の意味でダメそうなあの方を、責任持って飼いならしてくださいね」
「は、はあ……」
何かよくわからないけど、鈴木さんの毒舌すら嬉しかった。
そして、3月の下旬。また桜の季節を迎えた。
その日の朝、私は少し早起きしてお弁当を作っていた。
定番の鶏のから揚げは、カラッとうまくできた。
火を止めて、今度は肉巻きに取り掛かろうとしていると、遼平さんが起き出してきた。
「おはよう。早いな。おおっ! 鶏のから揚げ、うまそうだな」
「おはようございます……あ、熱いですから」
遼平さんの手が唐揚げに伸びて、制す前に口に運ばれていた。
「アチチチ、でも、揚げたてはやっぱりうまいなあ! こっちもうまそう」
!?
なぜか私の頬にも唇が~~。
んんっ!!
さらに唐揚げ味のキスをされた。
「遼平さん、ストップです! 油っぽいのは嫌です!」
「はいはい」
「もう、お暇なら玉子焼きを作って下さい!」
「了解了解」
朝から絶好調な遼平さんには玉子焼きを作ってもらって、一緒におにぎりを握った。
台所にふたりで立って料理をするって、すごく幸せなことのように思えた。
私たちは仕事やら結婚式の準備やらで忙しい合間を縫って、電車で日和台公園へ
お花見に向かっていた。
遼平さんと、明るい青空の下の満開の桜が見たかった。
電車は程よく混んできた。
年配のご夫婦が乗車して来たので、腰を浮かせたら、隣に座っていた遼平さんも立ち上がりかけていて、顔を見合わせ軽く笑みを交わした。
そして、そのご夫婦に席を譲った。
小高い場所にあるこの公園は自然公園なので、お花見会場になってはいても特に提灯などは下がっていない。
平日の昼間の時間帯は、花見客もまばらだった。
こういう時は、平日が定休日の仕事で良かったと思う。
自由に咲き乱れる桜の木々を眺めながら、ふたりで手を繋いで歩く。
「遼平さん、桜が丁度見ごろで、とっても綺麗ですね!! 今日来られて良かったです」
「そうだな。見ごろだな。でも俺は……」
遼平さんは、穏やかで楽しそうだけど、ちっとも桜を見ていないみたい。
見上げると、青い空にピンク色の花びらが重なって色彩の調和が美しい。
このまま、いつまでも記憶に残しておきたいと思った。
ぶらぶらと見晴らしの良い公園を歩いて、時々遠くに見える街の景色も楽しんだ。
周りに人がいない1本の桜の大木をみつけた。
「ここで昼飯にするか……」
「そうですね」
その桜の木の下にレジャーシートを広げた。
そこは私たちの特等席になる。
「遼平さん、お茶どうぞ」
「ありが……」
遼平さんにコップのお茶を渡そうとして、私は手を滑らせてしまった。
コップがシートの上に落ちて、お茶がこぼれた。
「あっ、、すみません!!!」
遼平さんのジーンズに熱いお茶が少しかかってしまった。
「気にすんな」
遼平さんは動じることなく、置いていたお手拭きタオルで、自分より先にレジャーシートにこぼれたお茶を拭いた。
私は咄嗟に自分のカバンから手に触れたハンカチを取り出し、遼平さんのジーンズの水滴を拭いた。
「大丈夫ですか? 熱くなかったですか? 本当にすみません」
「奈由にはかからなかったか?」
「はい、私はかかっていません」
遼平さんの鋭い目が、ハンカチに釘付けになった。
はっ、このハンカチ、遼平さんのだった!
ずっと返そうと思っていて、お守りみたいにいつも持ち歩いて……。
返そうと思うたび手元になくなるのが寂しくなって、洗いながらも、ずっとカバンに入れたままだった。
「す、すみません。ずっとお返ししないで。遼平さんの持ち物を何か持っていたくて」
「……俺の? か」
あれ? なんだかホッとしたような顔してません?
もしかして、自分のハンカチだって忘れてました?
「もしかして何か疑いました?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「このハンカチは昨年、遼平さんからお借りしたものですよ!」
「そうか、そうだな」
「もう……、お父さんやミーくんの物を持つこともあるかもしれないんですからね。いちいち気にしないでください」
「ごめん。そうだよな。……ずっと、俺のハンカチ持ってたのか」
今度は、そこはかとなく嬉しそうな表情になった。
「いただいた指輪はありますけど、このハンカチは私には大切だったんです。遼平さんが使っていたものですし。だから、いつも遼平さんがそばにいてくれるみたいで」
「俺の嫁さんは、可愛すぎるな」
そ、外でそんな熱っぽい目をしないでください~。
「帰ったらサービスするからな」
出た! サービス~っ!
「さ、サービスは要りません! 普通で結構です!」
「ぷっ! 普通ってなんだよ? 俺の嫁さんは遠慮深いな」
遼平さんに噴き出された~っ! それに、よ、嫁さんて言われた~!
なんだか、すごく嬉しいのに照れてしまう!!
この状況が無性に恥ずかしくて、耐えられなくなった。
「さっ、お弁当を食べましょう! お腹すきました!」
「そうだな」
私たちは、持ってきたお弁当をきれいに平らげた。
遼平さんは、一息つくと、その場でごろんと横になった。
「忙しい日常が嘘みたいだな」
「そうですね。……あの、膝枕しましょうか?」
定番だけど、申し出てみた。
「いいのか!?」
遼平さんの顔がパッと嬉しそうに輝いた。
「はい、どうぞ」
遼平さんは、私の方へにじり寄ってくると、膝の上に頭を載せ……た?
「遼平さん、顔の向きが逆です~。この向きは変ですって~!」
遼平さんの顔が私のお腹の方へ向いている。
しかも腕を私の腰に回して、顔を私の服に埋めてるしっ!!
「これは見た目にも絶対変です!」
「そうかあ? 膝枕にどっちを向くか決まりがあるのか?」
「き、決まりはないとは思いますが、折角ですからここでは桜を見ましょうよ」
「もう見た」
「子どもですかっ!?」
「わかったよ」
遼平さんは、渋々といった感じで顔の向きを変えた。
「奈由の膝枕で見る桜は最高だな~」
「そうでしょう? 良かったです」
「俺は桜より、奈由を愛でるほうがいいけどな」
「な、外で恥ずかしいこと言わないでください!」
「今は周囲には誰もいないから、誰も聞いちゃいないぞ」
「それでもです! ……花より団子ですか?」
「そうだな、良い例だ」
「私は丸くないですけどね」
「モチモチで、柔らかくて、うまい」
「な、な、何を言ってるんですか~?」
「俺は団子の話をしたんだが?」
「え!?」
もう! は、恥ずかしい~。
「毎日でも食べたいくらいだ」
「毎日食べたらきっと太りますよ」
「いや、太らない。むしろ痩せるかも」
思いっきり睨んだのに、遼平さんは楽しそうにニヤニヤ笑ってる!
甘くて悪い、悪代官の笑い。
悔しい!!
「こ、このお話は終わりです」
私は、ぷいと横を向いた。
「奈由、いつまで俺に敬語で話すつもりだ?」
「あ、……一緒の会社に勤めているうちは……と思ってました。私、器用じゃありませんから、きっとうまく切り替えできないかなって」
「そうか?」
「だめですか?」
「いや。好きにして良い。悪くない」
遼平さんは穏やかに微笑んでから、私を真っ直ぐ見つめてきた。
どうしたんですか?
「あれから、一年か。奈由の手を握って、俺の方へ強引に引っ張ったなと思って」
「そうでしたね」
「あの時は散々泣かせて悪かったな。他に良い手を思いつかなかった」
「遼平さんに泣かされたんじゃないです。私が勝手に泣いただけで。遼平さんがあの時、ああいう形で助けて下さって良かったんです。感謝してます」
「奈由……」
珍しく遼平さんが弱々しく笑ったように見えた。
「聞き流してくれていい。俺は結構寂し……。いや、面倒くさがりだ。だから悪いとは思うが、奈由は俺より絶対、先に死ぬなよ。1分でも1秒でもいい。俺より後に。おまえの葬式なんて絶対にしたくない」
遼平さんは、そう言って、また私のお腹に顔を埋めてきた。
「……わかりました」
そう答えて、遼平さんの頭を撫でてあげた。
ふと、電車で席を譲ったご夫婦の姿が思い出された。
これからも遼平さんとたくさん思い出を作って、あのご夫婦みたいに自然に年を重ねて生きていけたら幸せだ。
空を見上げれば、大きく枝を広げて咲き誇る、満開の桜が頷くように揺れている。
時折、花びらが風に乗りひらひらと舞って、私たちを祝福してくれているみたいだった。
膝の上の重みを思い出し、視線を下げると、見上げている強い視線と目がぶつかる。
「いつ俺の方を見てくれるかと、待ち構えてたぞ。俺には小っこい鼻の穴ばかり向けてるし」
何かが台無しになった気がする。
でも、思わず笑ってしまった。
「こっちも満開だ」
遼平さんの大きくて温かい掌が、私の頬を優しく包んでくれる。
今日のこの温もりを忘れない。
これからもこの先も、遼平さんとの想い出は、私の心の中にずっとずっと大切に限りなく保存されていく。
思ったより長いお話になってしまいました。
最後までお付き合いくださいました皆さまに、心から感謝申し上げます。
読んでくださって、どうもありがとうございました!