第七話 死体と本体
「あんたがそう思おうとしても、ひっくり返らない事実があるのは、紛れもない事実だろ」
それは、その通りだった。
目の前に居る、小野さんだったもの。
だったもの、というのは既に彼女の身体から生気が失われつつあるというのを確認しているからだ。というか、首を真っ二つにされ生きている人間がいるというのだろうか? 僕は聞いたことがない。そして、その顔は僕を睨み付けているようにもみえる。僕を、どうして教えてくれなかったんだ、と恨んでいるようにも見える。
「……もし、死者が何かを言っているように見えるのならば、それは真っ赤な嘘だぜ。デタラメだと言ってもいい。死者が何かを口にすることはない。だってそうだろう? 『死人に口なし』って言葉があるくらいだ。はっきり言って、そんなことはあり得ない」
「そりゃあ、そうかもしれないけれど」
僕は、そこではじめてスマイリング・ヒューマンに反論したような気がする。
正確には何度か反論しているのだろうけれど、彼女との会話はどうも数を攪乱させる。
「……いずれにせよ、あなたと私しか今の会話には参加していないよ。そこの死者は、正確には人間だった物、は何も話すことはない。言葉を語ることはない。騙ることはあっても、語ることはないということだ」
騙ることはあっても、語ることはない。
それは言い得て妙な気がする。確かに死者は何も語ることはないだろう。しかし、死者の状況を騙ることは出来る。例えば打撲で死んだはずなのに、それを別の死因に装うために刺しておく……とか。
でも、それとこれが今どんな影響があると?
「影響なんてありゃしない。理由なんてありゃしない。説明なんて求められてやいない。それはあんたが一番わかりきっていることだ。人間失敗」
「ひどいニックネームをつけるものだね。微笑む人」
「そいつあお互い様だろ」
ニヒルな笑みを浮かべると、月の明かりが廊下を照らす。
そして、スマイリング・ヒューマンの顔をゆっくりと照らし出すのだ。
その表情は、僕が今まで見たどんな人間よりも――美しかった。
「……なんだあ? こちらを見て。顔に何かついているか」
「い、いや、何もついていない。……強いて言えば、血ぐらいか」
しかし、その白磁のように照らされている顔についた血も、もはや一つの芸術に近いものを感じる。
……何を言っているのだろうか、なんて思われるかもしれない。何を言っているんだと、思い込まれるかもしれない。けれども、僕は彼女の顔が美しいと思った。彼女の顔が愛らしいと思った。
「……さて、壊すのはこれでお終いじゃあねえ。これじゃあ、あまりにも雑過ぎる。そうだろう? 通り魔のように出てきているのが居るらしいが、そりゃあ私の贋者だよ。はっきり言ってそんな人間がいるのは困るし、だったら普通の人間らしく生きて欲しいものだよ。私に影響されて人殺しを始めた? へっ。あんたの殺し方は世界一最悪な殺し方だってな、教えてやりてえよ」
「彼女をどうするつもりなんだ……!」
「簡単だよ。解体するのさ。解体は気持ちいい。とても気持ちいいことさ。首を切ったからこのパーツごとに持ち帰るけれど、まずは綺麗に洗うんだ。死んだあとの人間の髪ってのはな、するりと抜け落ちるものだ。そりゃあそうだよな、もう血が通っていないんだから、そうなるのも当然と言えば当然のことなんだ。そうして綺麗にしたものを鑑賞する。鑑賞に耽った後は身体の解体に移る。彼女は、見た感じ華奢だから襞から千切れるんじゃないかねえ。一度やってみたかったんだよ。リアル人体模型、ってやつ?」
狂ってる。
はっきり言って、こいつの発言は、思考は、狂ってる。
そんな人間とずっと喋ることの出来ている僕もまた、狂ってるのか?
「そうだよ、あんたは狂ってる」
そして、彼女は――僕の思考を読み解いたのか、そう告げる。
「あんたは面白い人間だ。だから殺さないでおくよ。そしてまたいつか出会う気がするからね……。きひひ、また出会えるのが楽しみだよ、人間失敗」
「違う。僕の名前は――」
見ず知らずの人間に名前を言うのもどうかと思うが、僕は人間失敗というひねくれたニックネームに耐えきれなかった。
だから僕は自分の、本名を彼女に告げた。それで何が変わるのかは分からない。また彼女と出会えるとも思えないのに、思えるはずがないのに。
「ふうん。変な名前だな」
一通り聞き終えてから、彼女はそう言った。そして持っていたビニール袋に、小野さんだったものを詰め込んでいく。
「変な……名前って……!」
「いいじゃんか。その名前より人間失敗という名前が立派に似合う。うん。そうだな、それでいいだろ。別に何も悪かあない。それとも何か問題でも?」
「問題は――」
あるに決まっている。
あるに決まっているんだ――。
「よし。取りあえず後片付けも済ませたことだし。私は帰るよ。早く帰るんだぜ、人間失敗。私に出会ったら殺さないでおくけれど、私の贋者に出会ったら命はないからな。それと、その血もしっかり拭き取っておけよ」
僕の顔を指さして、スマイリング・ヒューマンは言い切った。
頬に触れると、まだ彼女の血が残っていた。ぬるぬるして、暖かい。
そうして、スマイリング・ヒューマンは階段を上に上がっていくのだった。
しばらくぼうっとしていたが、僕もまた顔についた血を洗い流すために、トイレへと向かうのだった。