第四話 感覚と予告
そいつに出会ったときの感覚、はっきり言って未だに覚えている。そのときの感覚を仮に忘れられる人間がいるとするならば、そいつは変わり者か、あるいは記憶力が相当欠けているかのいずれかだろう。
それはそれとして、その存在は、美しい女性だった。正確に言えば、最初はそこに居たのは人間かどうかすら定かではなかったのだけれど、月光が照らしてくれて、やっとそれが人間であると理解できる。
女性、そしてその女性は白いワンピースを着ていた。あまりにも白いそのワンピースは、僕には眩しく映し出されていた。
「……誰だ?」
冷静に考えて、このときの状況を振り返ってみて、おかしいなって思うはずだよ。だって関係者以外は立ち入り禁止の場所だぜ? 学生でも先生でも、況してや職員ですらない。人間かどうかすら危うい存在を目の当たりにしてもなお、僕は逃げることすらせずに、その存在に立ち向かおうとしたのだから。
普通なら逃げる、はずだ。けれど何だか僕は逃げたくなかった。逃げようとは思わなかった。逃げたいとは思わなかった。僕はそれに立ち向かおうと思ったのだ。立ち向かわねばならないと思ったのだ。普段はそんなことを考えようもしないはずなのに、何故だか僕はそんなことを考えてしまっていたのだ。何故だろう。今考えても訳が分からない。きっと相当に惹かれた何かがあったのかもしれないけれど、それでも僕にとってはどうだっていい話だ。どうだっていい出来事だ。どうだっていい……思い出だ。
「あなたは、私が見えるのね」
それは一言だけぽつりと呟いた。高級なバイオリンの音色のような、美しい声だった。その声を聞いて聞き惚れる人も居るかもしれない、あるいは歌手か何かにもなればたちまちミリオンヒット、なんてこともあり得るかもしれない。それぐらいに人を惹きつけ、聞き惚れるような声だった。本当だぜ、普段僕はあまり感情を表に出さないけれど、そう思うぐらいには心が揺り動かされていた。面白い話だよな。別にそれくらい思うのは、普通の人間なら当然の出来事かもしれないのに。
僕は一歩前に出た。それは防衛のためか、あるいは攻撃をするためか。どちらかと言われれば前者だと思う。だって逃げる道は後ろにしか無いのだから。でも今踵を返して走ろうとしたところで、その不審者に背中を見せることになってしまう。それだけはどうしても避けたかった。背中を見せると、何だかそのまま斬りかかられそうな、そんな感じがして。
「それは、正しい選択よ。間違っていない。あなたは正しい選択をした。だって、もしそこで逃げようとするならば私はあなたを標的にしていただろうから。……けれど、残念ね。あなたが助かる代わりに、別の人間が、死ぬ」
「何でだ。君は……まさか、噂に聞くほほえむ人、なのか」
「さあ、どうでしょうね。私はあなたの深層心理に問いかけることしか出来ないから。攻撃することは出来ても、殺すことは出来ても、直接人間には干渉出来ない。それが都市伝説の掟、それが怪異の掟。それがあやかしの掟」
「あやかし? 都市伝説? 怪異? 何を言っているんだ。おまえはこの学校の七不思議じゃあ無いのか」
「かつてはこの学校の学生だった、とだけは言っておこうか。かつてはそうだったよ。この学校の七不思議に数えられているのは、恐らくこの学校を周囲に殺人を繰り返していたからかもしれない」
そういえば連続殺人って最近ニュースに聞いていたような気がする。警戒を怠るなとか、心配だからライトを持たせておこうかとかそんなことを言っていたような。
「何でおまえは人殺しをするんだ?」
……普通なら逃げてしまうだろう。普通なら、そこでたじろいでしまうだろう。普通なら、そこで何も出来ないまま立ち竦んでしまうだろう。
けれど、僕はそこで彼女に質問した。彼女、と言えば良いのか分からない。しかし月光に照らし出された長い黒髪は、彼女を彼女と呼ぶに等しい身体的特徴を保有していた。
「さあ、何ででしょうね」
そして、回答は煙に巻かれた。案の定、というか、想定内というか。いずれにせよ、その可能性は高かった。僕の予想は答えてくれる可能性が五割で、答えてくれない可能性が五割。そして、可能性は後者に傾いた。
「……あなた、面白い人ね。普通なら逃げるかそのまま立ち尽くしてしまうだろうに。普通はそんな質問しないだろうに」
「何でだろうね。面白いと思って島rったんだよ。興味がわいた、とでも言えば良いのか。分からない。それについては。でも、これだけは言える。君と僕は、どこか似ている気がするって」
「あなたと、私が? 冗談も程々にしておけ。……あなたは本当に運が良い。運が良いよ。何故運が良いか教えてあげようか? 教えてあげても良いけれど、それでも聞きたくなければそれでも構わない。さあ、どうする。あなたはそれを聞きたい? 聞きたくない?」
「……勿体ぶらずに教えろよ。いったい何が起きているんだ。あるいは、何を今から引き起こそうとしているんだ」
「私は今から、人を殺すよ」
呆気なく、その回答は得られた。




