第二話 スマイリング・ヒューマンとフランス語
「スマイリング・ヒューマン?」
「直訳すると、微笑む人、かな。見つけた相手に笑みを浮かべてそのまま殺してしまうと言う、言うならば大量殺人鬼だよ。この高専の地下に潜んでいるという噂が立ったからそう呼ばれているだけ。ま、実在の殺人鬼はとっくに死刑執行されているし、それは間違いなのだけれどね」
「……詳しいね。都市伝説が好きなの?」
「まあ、そんなところ。で、あなたたちがその話をしていたからちょっと気になって一緒に話に参加しただけ、ってところかな」
「ふうん」
僕は別に都市伝説に興味なんてみじんも湧いていなかったから、別に興味なさそうな表情を浮かべるほか選択肢が見当たらなかった。普通ならおべっかでも使って詳しいねだとかすごいねだとか言うのだろうけれど、そんなところに気を遣う時点で何だか人間として間違っているような、そんな感じがしてならないから、僕はあまりそれをしようとは思わない。友人が少ないのもそういうことが原因だし、そういうことが理由だとはっきり分かっているのだけれど、僕としてはたくさんの人間とわいわいするつもりはこれっぽっちも無いので、別にどうだっていい話だ。
後は当たり障りのない話をしてそのまま分かれた。小野さんは一人で食事をすることが好きらしく、それからは僕たちと会話をしようとも思わなかったらしい。僕たちも僕たちでそこから会話に発展することもなく、そのままいつものくだらないテーマの話題に没頭するのだった。
昼休みも半分が経過したあたりで、ちょうど全員の食事が終わる。
「そろそろ教室に戻ろうぜ。次の授業はフランス語だ」
「うげえ、昼一でフランス語とか眠りそう」
「眠るのだけは辞めとけよ。あの先生、眠ると態度を一変して宿題を倍に増やすからな」
そりゃあ、先生からしてみれば自分の講義で眠っている学生がいれば態度を一変させるのは当然の極みと言えるだろう。
「そういえば宿題のレポートは持ってきたか? 今更見せろなんて言われても見せられないぜ」
「残念だったな。僕は六十点ギリギリを通れば全然構わないのさ」
「それってどういう意味だよ」
「レポートはそれなりにきちんと作ってるよ、って話」
他愛もない会話だ。
売店でチョコレートを買って、教室に戻る。とはいっても次は移動教室だから別の教室に移動しなくてはならない。フランス語の青い教科書とルーズリーフの入ったファイル、それに筆記具を手にしてチョコレートを頬張る。
「……未だ行こうと思っても、あの教室は空いてないよな」
「電気科はギリギリまで遊んでる連中だらけだしなー。こっちもギリギリまで教室に入れないし。ま、別にいいんじゃない。準備なんて必要ないし、さ」
「あれ、小野さんもフランス語?」
会話に自然に入ってきた小野さんも、フランス語の青い教科書を持っていた。
「知らなかったの? 流石に知っていると思ったけれど」
はあ、と溜息を吐く小野さん。
でもまあ、普通なら全員の名前ぐらい把握しておくものだろうけれど、僕は物覚えが悪い。仲が良い数名の人間以外は顔と名前が一致するかどうかすら危うい。
「ま、別に良いけれど。取りあえず、教室一緒でしょ。一緒に行こ」
「良いけれど、小野さんはいつも一人で行ってたような気がしたけれど」
「ん。別に良いじゃん。今日は佐藤くんお休みだし、たまには一人でも良いかな、とは思ってたけれど、やっぱり途中まで暇だしね」
佐藤くんは、僕たちと同じ学科の人間だ。小太りで優しい性格をしている。それ故、いろんな人からいろいろな依頼を引き受けている何でも屋みたいな立ち位置になっている。そこまでするならジュースを奢って貰うぐらいの報酬を得ても良いと思うのだけれど、彼はずっと無償でそんなことをし続けていた。別に嫌ってやっているようにも見えないので、誰も否定しなかった。
佐藤くんと小野さんは、確か同郷だったと記憶している。電車が同じ電車らしいし、中学校も一緒だったとか。だから良く話をするし、いつも移動教室の時は一緒について回るらしい。まあ、別にそれくらいはどうだっていい話なのだけれど。別に僕たちだっていつものメンバーでついて回っているし。
「じゃ、取りあえず行こうか」
僕たちはフランス語の授業を受けるために、教室のある電気科棟へと向かうのだった。