第二十話 呼吸
次の日。
久しぶりの締め切りのある原稿を書き終えて、アップロードしたところで僕は朝食の準備に取りかかった。とはいえ事前に買っておいたコンビニのロールパンと牛乳という質素な物であるのだけれど。普段学校で学食を食べている以上、少しは節制しなくてはならない。
ちなみに今日も学食はやっている。だから昼前になって大学に行き、少し原稿を進めたところで食堂でいつものランチという流れになる。どこかに出かけないのか、という話になるけれど、別にそんなことはどうだっていいだろう。出かける・出かけないという流れは人の価値観によって大きく変わるのだから。
背伸びをして、窓から景色を眺める。
朝日が差し込んでいて、まぶしいのでカーテンを閉じる。
「……よし、あと少しだな」
そんなことを考えていた――矢先のことだった。
どんっ。
何かが落ちる音がした。別に珍しいことでも何でもない。ここは地上九階建てのマンションの三階にある。つまり上には四階が存在するわけで、四階の人間が何かを落としたらその音が伝わってくるのは当然の事象だ。
しかし、音が伝わってきたのは、紛れもなく外だった。
「今、外から音がしたよな……」
勇気づけるように、奮い立たせるように、僕はそう言って、カーテンを開け、窓を開ける。
時間はまだ早いからか、それとも誰もその音に気づいていないのか分からないけれど、誰も窓を開けて外を眺めてはいなかった。
そして、下を見る。
下には、人間がトマトのように潰れていた。
全身から血を流し、何かで押しつぶされたかのようにぺったんこになっていた。
人間が飛び降り自殺をするとあんな感じになるのか、なんてことを思っていたのだが――。
「やっぱり、あなたは変わっているわね、人間失敗」
背後から声が聞こえる。僕は振り返った。
そこに居たのは、スマイリング・ヒューマンだった。いったいどこから僕の家の鍵を入手したのか、ということは突っ込みを入れたかったが、それ以上に面倒なことが起きていることは明らかだった。
だから、僕は震えながらも質問をした。
「……あれは、君が殺したのか?」
「そうよ。組織から命じられたというのもあるけれど、彼は知りすぎたからね。この世界から消さなければならなかった。消さないと私たちの存在が明るみに出てしまう。それだけは避けなければならなかった。それぐらいはあなたも分かるでしょう?」
「だからって――」
殺すほどじゃあなかっただろうが。
僕はそう言いたかった。
けれど、言えなかった。
言いたくても、その言葉を紡ぐことが出来なかったのだ。
「あなたがどう考えるかは別として、組織の方針としては人をばっさばっさと殺しちゃいけない決まりでねえ。ほんとうはたくさんの人間を殺したいんだよ? けれどね……まあ、組織も色々とあるんでしょうねえ。しがらみというのは本当にめんどくさいのだけれど、出来ればそれを排除して欲しいくらいだ」
一歩。
また一歩近づいてくる。
僕は、得体の知れない恐怖に襲われる。
僕はいったいこれから何をされるのか。
僕はいったいどうなってしまうのだろうか。
そんなことを思っていたが――ついにスマイリング・ヒューマンは僕と目と鼻の先に近づいた。お互いの呼吸音が聞こえる。緊張が、相手に伝わってしまう。そうすると、相手は、僕が緊張していることを知ってしまう。それはどういうことかといえば、こちらが弱いと言うことを教えてしまうということだ。それだけは考えてはならない。平常心だ。平常心をもって望まねば成るまい。




