第十六話 告白(酷薄)
しゃっ、しゃっ。
ナイフを砥石で研ぐ音が、研究室に響き渡る。
その音をまさか大学で聞くことになろうとは思わなかったけれど。
「……機関が人間の種を残すことが、如何にして可能としようとしているのかは分からないけれど、いずれにせよ、あなたが二度ターゲットの目の前に現れたことは紛れもない事実。別に私は報告する義務もないから、機関には伝えていないけれど、いずれは機関にもあなたのデータが登録されるでしょうね」
「登録されたら、どうなるつもりだ?」
「機関の刺客がやってきて、あなたは死ぬんじゃないかしら。ま、私はそんなこと関係ないけれど」
「ならなんで僕にそれを話した?」
「……何でだろうねえ?」
スマイリング・ヒューマンは笑みを浮かべたまま、恭しい表情を浮かべて、僕の方を向いた。
ほんとうに、彼女は何がしたいのか分からない、結局人生がどうなろうと、それは自分以外の人間には知ったことではない、という考えなのだろう。僕としてはどうだっていい、わけではない。どうでもいいはずがない。どうでもいいと思うわけがない。
「スマイリング・ヒューマン、君はどうしてこんなことをしているんだ?」
「今更、それを言って何になると?」
「君の仁義がどうかは知らないけれど、僕にとっては、いや、世界にとってはそれは間違っている。……だから、僕は止めなくちゃならない。三年前の『悲劇』を繰り返しちゃいけないんだ」
「……ふうん。そう思うんだ」
スマイリング・ヒューマンの言葉に、何も言えなかった僕だった。
けれど、スマイリング・ヒューマンを止めなくてはいけない。
僕は、あの悲劇を繰り返しちゃいけないんだ。
それに――僕にはもう一つ『思い』がある。
「それに、僕には未だもう一つ君に言っていないことがある。勿論、あのことは口にしていないし、君が不利益を被ることはしていないのだけれど、聞いて欲しいことがある」
「何だ。私の『冥土の土産』に聞いて上げても良いけど」
それって今から死ぬってことじゃないか、なんて突っ込みは野暮だと思った。
そして、僕は息を吸って、吐いた。
やっぱり、何かを言うときって少し緊張する。
普通は緊張する物だと思うのだけれど、案外緊張しない人も居たりして、そこについてはあまり議論の余地を持たせない方が良いと思っているし、そういうべきだと思っている。
けれども、それじゃあ、それが正しいのかと思うと絶対に間違っていると思う。だってそれって、議論の余地を与えないと言うことは、議論させることを行わせないということは、その意見を他人に押しつけていると言うことであって、それはつまり、洗脳に近い。
いや、実際は違うのかもしれない。けれど、それを洗脳と思わない人間はどうだろうか、とは思ってしまう。それこそが意見の押し付け合いであり、それこそが意見の受け売りであり、それこそが意見の積極的否定(そもそも、積極的否定とは何だ?)となってしまう訳だけれど。
「なあ、もし僕が今から、君が『変だな』と思うことを言ったとしても、笑わないでいてほしいんだ。……お願いだよ、それだけは約束して欲しいんだ」
「ってことは今から話すのは変な話になるかも? ということ? ふうん、人間って斯くも阿呆らしいものね」
「人間全員がそうじゃないとは思う。多分、僕ぐらいのものだよ。これぐらいの変わり者は。君に、開口一番、人間失敗と呼ばれる存在は」
「……ふん。まあ、別に良いけれど。何か話したいことがあるなら話してくれないかしら。得物のメンテナンスも終わったからさっさと帰りたいのだけれど」
気づけば、砥石は既に仕舞われていた。いつの間に終わっていたのだろう。僕がモノローグに浸っている間だろうか。或いは、別のタイミングだろうか。けれど、今はそれを考える余裕も暇も猶予もなかった。
「……僕が、君が殺した瞬間を目の当たりにしたのに、けれどもそれを警察にも先生にも言わなかった。その理由が、やっと分かったんだよ。……君のことが、」
僕は、それを言おうとして、
気づけば彼女の指に唇が塞がれていることに気がついた。
「それ以上は、言わないことよ」
そして、彼女は扉を開ける。
「思ったより面白かった話だったわね。それじゃ、またいつか会いましょう。そのときに、どうなるかはまた別の話だけれど」
そうして、扉はゆっくりと閉められた。
残されたのは、僕の悲しい思いと、彼女の指のぬくもりと、その残滓だった。




