第0話 プロローグ
第0話 プロローグ
俺は林の中を走り抜けていた。鬱蒼と茂る木々の合間を縫って息を切らし無我夢中で駆けた。月の光が葉の間から漏れ出し、森の奥へ奥へと導かれてゆく。
このまま走ってどこに向かうのだろう。俺はどこに逃げればいいのだろう。どうしてこうなってしまったのだろう。背後からの足音は4、5…いやそれ以上かもしれない。何度も止めたくなる足を動かし、前へ前へと走る。
(早く本隊と合流しなければ…いや、もしかしたらもう…)
いやな考えが頭をよぎる。いや、まさか。大丈夫だ。きっと生きて帰れるはずだ。
俺は帰らなければいけない。失った部下の分も生きて戻るのだ。
何度も転びそうになるが体制を整え、息を切らし奥へと走る。そうしてようやく前方から光が差した。まるで暗い洞窟の中を彷徨いようやく見つけた出口のようだった。希望を見つけた遭難者のようにその光に手を伸ばす。ようやく森から抜けられたのだ。
俺は勢いよく飛び出した。
(ああ…)
しかしそこにあるのは絶望だった。真上に輝く月に照らされて眼下がよく見える。そこに広がるのは軍の野営地……のはずだった場所だ。はるか崖の下に見えるのは残骸と同胞の無残な姿だった。
憎き奴らに奇襲にあい俺の軍は負けたのだ。
(はは…ははは…)
ついに心が折れてしまった。地面に手をつき、乾いた笑いが漏れる。悔しさでぐっと手を握るが俺が掴めたのは愛すべきこの地の土だけだった。何も守れなかった。きっと我が国が落ちるのも時間の問題だろう。
(父上…兄上…ミニモ…皆…)
脳裏に浮かぶのは愛する家族と部下たち。そして共に守ると誓った国とその民たちだ。
もう俺にできることは無いだろう。ここで敵に無残に殺されるぐらいならいっそ…
「逃がすんじゃねぇぞ!ここで仕留めろ!」
そんなと声共に俺の肩スレスレのところに斧が振り下ろされた。ヒュンと風を切り、直後地面が音を立てて抉れる。身をよじりなんとか致命傷は避けたが肩から血が噴き出した。黒い軍服にじわりとシミが広がっていく。
(いや、まだだ。まだ死ぬわけにはいかない!)
痛みに顔をしかめ、憎き奴らを睨み付けた。
頭からは大きな角、どいつもこいつも下品にデカい図体。知性の欠片も感じられない顔に飛ぶ力を失っているのにもかかわらず未だぶら下げている翼。
所詮暴れるしか能がない我らの豊かな大地と技術力を狙う憎きドラゴン族だ。
「糞トカゲ共が…!」
「ハハハ!矮小なナガミミが何か言ってるぜ!お前ら聞いたか?」
「さーな!こいつらはチビだし声も小さくて聞こえねーよ!」
吐き捨てるように言いうとトカゲ共は笑った。追い詰めたからっていい気になりやがって。お前らなんてその無駄に肥えた体の中には何も入ってないだろ、と脳内で悪態をつく。
俺はずるずると後退し崖の縁へと追い詰められる。近づいてみればさらに高く見えるじゃないかと身震いするがもう逃げる場所は一つしかない。ゆっくりと立ち上がり無理にでも笑って見せた。
「じゃぁなトカゲ共!我らエルフの民に栄光あれ!」
足で地面を強く蹴る。ふわりと宙に浮いたその瞬間頭上に広がっていた月と目が合った。ああ、綺麗だ。手を伸ばすが勿論届かない。そして空が遠ざかる。大地に吸い込まれるような感覚が俺を襲った。まだ死ねない。足掻いて足掻いて俺はまたこの国に戻ってくる。遠ざかる崖の上には悔しそうに下を覗くトカゲ共。ははっざまーみろ
「空間転送式、座標無し、識別信号なし、ランダム転送」
短く唱えると体が光に包まれる。本当はもっと細かく指定するべきだがそんなことをしていたら俺の体が地面にめり込むほうが早いだろう。
(頼むからまともな所に飛んでくれよ…)
神頼みはあまり好きじゃないんだけどな、と思いつつゆっくり目を閉じた。
***
「……か!…大丈夫ですか!……!」
誰かが俺を呼ぶ声がする。いや、それ以外にも…なんだ、この音は?俺は一体…?ここは何処だ?
そうか、たしか俺はトカゲ共から逃げるために転移を…
それにしても周囲から多くの人の足音がする。ここはどこかの都市なのか?
どうやら逃げられたようだな、と胸をなでおろす。自分がいま何処にいるのかはわからないがどうやら体は無事のようだった。
「ど、どうしよう…救急車?で、でもこの人の恰好…うーん…」
なんだ。俺の恰好のどこがおかしい?キュウキュウシャ?とはなんだ?それにこれは女の声か?悪くはない響きだ。どこか心地よい。そんな気もする。ああ、でも瞼が重い。魔力と体力を使い切ったか。指一本動かせないとはこのことだな。
「ど、どうしよう…。この人血が…とりあえず119番だよね」
しばらくして何やら話し声の後、手を声の主に握られた。ぎゅっと両手で包み込むように握られ、回復魔法をかけられているわけでもないのにとても落ち着いた。柔らかい女の手だ。
「大丈夫ですからね」
そして警報のような音が近づいてくる。そっと女の手が離れた。体が宙に浮き、何かの上に横たえられる。その後、誰かにまた話しかけられた気もしたが今の俺にはそれに答えるほどの力がなく意識がまた闇に落ちてゆく。そして耳障りな警報の音と共に俺は意識を完全に手放した。
「おいこの患者の耳の形、なんか変じゃないか?」
「どうせ殴られて変形でもしたんだろ。あんな所に倒れてたんだしな」
「それもそうか。しっかしおかしな格好だな。見たところによると高校生ぐらいじゃないか?なんでまた新宿の裏通りなんかに倒れてたんだか」
「さぁな。はやく搬送してしまおう」
この日を境に俺の生活は一変した。元の世界で剣と魔法に囲まれていた生活とは一変し、人と金に振り回されるこのトウキョウという世界で生きていくこととなる。
これはそんな一人の青年の日常を描く物語である。