第九十一話 誰に口きいてんだ?
「その侵攻がないというのは、何を根拠に言われるのかの?」
ハウオウルが茫然とした表情のまま、言葉を絞り出すようにして尋ねる。シーズはゆっくりと頷きながら、言葉を返す。
「ヤツらもバカではありませんからね。この村の近くに王国軍3万が配置されているのを知れば、おいそれと攻めては来られないでしょう。それに、この村は神の加護を受けている。……あの大木は神木なのでしょう? それに、その仔竜……。これだけの条件が揃った村に侵攻するのは、相当の覚悟が必要です。あの国に、国の存亡をかけてまで戦うほどの意識はありませんからね」
「その……この村の情報は……もう敵には」
「伝わっていますよ? 何故なら僕がその情報を敵に流しましたから」
ハウオウルも俺も、唖然となる。この男が村に来たのは一週間ほど前で、滞在も数時間だ。それだけの情報で、ここまで手際よく事を運ぶとは、マジでタダ者ではない。俺は体が震えるのを止めることができなかった。
「さて、本題に入ろう」
突然シーズの表情が一変して、真顔になる。何という威圧感だ。
「先ほど、この村の様子は見させてもらった。村人はいつもと変わらぬ平静を保っていると見た。ということは、この村にはまだまだ食料の余裕はあると僕は見た。そこで、これは、お願い、と言うことになるのだけれど、この村に避難しようとして来ている人々の一部を、受け入れて欲しいんだ。特に、幼い子供やそれを抱えている女性たちをお願いしたい。子供は国の宝だからね。色々と大変なこともあるかもしれないが、大丈夫、何とかなるし、何とかするさ。何の心配もいらないよ。ただ、僕の言うとおりにやればいいんだ。ノスヤは何も考えず、僕の命令を忠実に実行すればいいんだ」
『子供たちが村に来るのはにぎやかになっていいですね、是非、この提案、受け入れましょう』
「黙れ」
「何?」
クレイリーファラーズに言ったつもりが、シーズが自分に言われていると勘違いしてしまったようだ。目が、怖くなっている……。俺は必死で弁明しようと言葉を絞り出す。
「あの……ですね……そういうことではなくてですね……」
「そういうことではない? 僕のお願いが、聞かれないと言うのかい?」
「あの、聞く、聞かないの話ではなくてですね……」
「はっきり言ったらどうだい? いいだろう。メゾ・クレール宰相閣下にお仕えするこの、シーズ・ヒーム・ユーティン。このラッツ村の領主としてのお前の意見を聞こう」
「いや、そういうことではなくて、うああ、面倒くせぇな」
「何?」
俺は頭をガリガリと掻きながら、驚いた表情を浮かべているシーズに視線を向ける。権力を持っていようがいまいが、そんなことは関係ない。俺は思いのたけをぶつけることに決めたのだ。
「そもそも、あなたは俺を見捨てようとした。死んでも構わない、捕虜になっても構わない。そう言いましたよね? そこから、お前はバカじゃないから、俺のお願いを聞けと言われても、こっちは、はいそうですか、とはならないですよ」
シーズの表情が強張っている。コイツ、何を言っているんだ? という表情だ。
「いや、俺もね、ここに多くの人々が避難してくると聞いて、どうしようかと必死で考えたのですよ。ええ、こちらのハウオウル先生にお手伝いいただいて、掘っ建て小屋ですが、避難所も作りました。そんなに大人数は収容できませんけれどもね。できれば、あなたのお願いは聞いて差し上げたいです。いや、これ、マジな話ですよ? でも、あなたは俺は死んでもいいと思っていたと言いましたよね。どんな事情があるにせよ、それ、俺の目の前で言いますか? それに、自分の命令を忠実に実行しろとは、あなたにとって、俺は何なのですかね? て、ゆうか、それ、俺を舐めていませんか? 俺をバカにしていませんかね? 俺のことをバカにする奴とは、俺は付き合わないことにしているんですよ。俺の周りにいてくれる人は、みんな俺を助けてくれます。バカにする人は一人もいません。……何言っているんだ、俺? ちょっと頭を整理しますね……。そう、はっきり言うと、あなたが信用ならないのですよ。信用ならないは、言いすぎか? でも、あなたは俺をはじめ、この村の人々を人間として思っていないんじゃないですか? あなたのお願いを聞いた後、まだどんな無理難題を押し付けられるかが分からないのですよ。ヘタをすると、せっかく受け入れた人々やこの村人を、都合が悪くなれば殺せと言いかねないんじゃないか、そんなことすら考えるのですよ。あなたのお願いは聞きたい、ですが、その後が怖い。これが俺の本音です」
一気に言い切った後、俺は大きく深呼吸をする。こんなに長くしゃべったのはいつ以来だろう? 我ながら自分のコミュ力のなさを痛感する。自分でも何を言っているのかわからなかった。ただ、言いたいことを勝手にしゃべってしまった……。
「ま、まあ、ご領主のお心も察してくだされ」
ハウオウルが助け舟を出してくれる。何て心強いんだ、先生……。
「実の兄上に、死んでもいいと言われてしまっては、ご領主も立つ瀬がありませんですじゃ。いや、貴族とはそういうものかもしれんが、そうとはいえ、我らの目の前でそれを言われては、儂らも立つ瀬がなくなるのう。いや、あなた様がお願いに来る前に、ご領主は先ほども言われたが、数百人は収容できる小屋を作られておったのじゃ。あなたの仰るとおり、ご領主はバカではない。むしろ、名君の器を備えたお方ですじゃ。現に神木が現れ、仔竜がご領主に懐いておる。並の人間ではありますまい。シーズ殿、あなたの仕えるメゾ・クレール殿のことは儂もよく話に聞いておる。じゃからと言って、言っていいことと悪いことはあると思うがの?」
彼はこれまでの柔和な笑みをスッと消し、いつになく真面目な顔つきになった。
「シーズ殿、口の利き方に、注意した方がええの」
シーズの顔から、一切の笑みが消えていた……。




