第八十七話 過ぎたるは、毒
次の日の朝、俺はクレイリーファラーズと共に、村長の畑に来ていた。彼女は朝早くに叩き起こされて少々ご機嫌斜めだが、俺は知らん顔を決め込んでいる。
「よっしゃ、やるか」
気合を入れて俺は地面に手を当てる。今日はこの広大な土地に、水関係の環境整備をある程度までは完成させようと考えていたのだ。まずやるべきことは水の確保だが、俺は地下水を用いることに決めていた。
この村、とりわけ、村長の畑の下には、かなり浅いところに地下水脈があることを、昨日の段階で俺は把握していた。だが、心配なのは地下水の水質で、畑に撒かれた毒の影響を少なからず受けていると思われるために、飲料水として用いるのは適当でないと考えていた。だが、せっかく豊富な水が地下にあるのだ。これを利用しない手はないと考えた俺は、これを下水として使うことに決めた。つまり、トイレ用の水として活用しようとしたのだ。
地下の水脈はすぐに見つかった。地上近くに水脈があると同時に、かなり深いところにも豊富に地下水があり、飲料水はこの水を使えばいいだろう。まず俺は土魔法で地面を掘ると、すぐに水が湧き出してきた。
「無色透明で無臭なんだがな。これ、やっぱりダメかね?」
そんな独り言を呟きながら俺はクレイリーファラーズを呼ぶ。……いない。あの野郎、どこかで休憩していやがるのか?
俺はため息をつきながら森に向かって歩いていく。すると、森の入り口付近で、彼女が天を仰いでいた。
「何やっているんですか?」
「え? ほら、ルロウレイが求婚しています」
彼女が指さす方向を見ると、一羽のカラフルな鳥が必死で羽を羽ばたかせながらホバリングをしている。その先には、一回り小さい同じカラフルな鳥が枝に止まっており、その様子を眺めている。
「ああやって情熱的に求婚する姿は美しいわぁ。私も、あんな風に求婚されてみたい……」
顔を赤らめるクレイリーファラーズ。今日のミッションを完全に忘れているみたいだ。俺は彼女の肩をポンと叩き、笑顔を作りながら、優しく話しかける。
「キュウコンがいいなら、屋敷の蔵に行ってみるんだな。球根はたくさんありますから、お好きなのをどうぞ」
「……さぶっ!」
「ざまあみやがれ。さ、お仕事してくださいよ」
俺はむくれるクレイリーファラーズを伴って、先程掘り起こした地下水の所に向かう。そして彼女にこの水を鑑定してもらう。
「……飲み水としてはダメですね。確実に健康被害が出ます。トイレの水として使うのであればいいでしょう」
その言葉を受けて俺は早速、水源地から溝を掘り始めた。
溝はかなり深く掘った。その水が流れるように少しずつ深度を増しながら、溝を縦横に引いていく。そしてある所まで掘り進めると、そこに大きなため池を作った。いわゆる下水を溜めるため池だ。
「よし、あとは……」
俺は再び地面に手を当てて、地下深くの水脈を調査する。いくつかの地下水脈から候補となる場所を選び、それぞれを掘っていく。そしてそこから井戸を10か所作り、さらにはその周囲に浅い溝を掘って、それらを先ほど掘った下水用の溝に落ちるようにしていく。
「まあ、こんなもんかな。じゃあ、家を建てていくか……」
俺はそんなことを呟きながら、下水用の溝の上に、昨日作った長屋を建てていく。そこにはトイレなども付けていき、さらには、昨日作った家にも同じようにトイレなどを付けていく。
「ふぅぅぅ……こんなもんかな?」
俺は汗をぬぐいながら、一人そんなことを呟く。結局午前中の作業で新しく10棟の長屋を作ることができたが、その段階で俺はかなり疲れを感じていた。だが、これだけ頑張っても、収容人数は500人程度なのだ。俺は大きなため息をつく。
「……これ、村の家よりも快適じゃないですか?」
俺が建てた長屋をぐるりと回ってきたクレイリーファラーズが呟いている。
「そうですかね?」
「水もあるし、水洗式のトイレもありますしね。それだけで十分快適さは増すと思いますよ?」
「とはいえ、これから冬になります。あの厳しい寒さを耐えられるかどうか……。あと、銭湯も作らなきゃいけませんよね」
「別にいいんじゃないですか?」
「え?」
「お湯で体を拭けばいいのですよ。ここの村人は皆そうしています。ここだけあまりにも快適にしすぎると、逆に村人から反感を買います。このくらいでちょうどいいですよ」
「そう……ですかね?」
「冷たい言い方になりますが、本来は餓死する運命にある人たちに、住む家と水を与えようとしているのです。それだけでもこの世界では破格の待遇ですよ。きっとこの村に避難しようとしている人々も、野ざらしで生活することくらいは覚悟しているはずです。彼らが求めるのは食糧だけ。それさえ提供すれば、文句は出ないと思います。人間の欲望には限りがありませんからね。あんまり優遇しすぎると、どんどん要求は上がります。そして結局、あの領主は自分たちには何もしてくれないと不満を持たれることになります。このくらいで十分ですよ。あとは彼らが何とかするでしょう」
「……まさか、また酔っているんじゃ?」
「失礼な! これでも天巫女ですよ? 昼間からお酒を飲むなんてありえません。私だって神の傍で仕えることを許された者です。このくらいの知識は持っているのです!」
クレイリーファラーズは目をキッとさせて睨んでいる。俺は無表情のまま無言で、彼女のほっぺたをつねった。




