第八十六話 使徒様
ハウオウルは顔を伏せたまま動かないでいる。俺は驚きと戸惑いで、どのように言葉をかけてよいのかがわからなかったが、それでも、必死で言葉を絞り出した。
「せ……先生……どうしたのです? 大丈夫ですか?」
「……」
俺の言葉で我に返ったのか、彼は無言のままゆっくりと顔を上げた。
「……ツ。すまぬな。あまりの魔法の出来栄えに、腰が抜けてしもうたわい」
ハウオウル自身も、必死で言葉を絞り出していた。長い魔導士生活……優に50年を超える魔法と付き合いをしてきた彼にとっても、このような魔法は初めて見るものだった。目の前の男が魔法を発動させると、突然家のような建物が現れた。その口ぶりから察するに、土魔法を発動させ、それを形にし、さらに錬成させて固める……。その一連の作業を詠唱をすることもなく一瞬でやってのけたのだ。魔力の運用としてはあり得ないことであったし、彼はそれを見たときは、我が目を疑ったのだ。
だが、目の前の青年は確かに、そんな非常識な魔法を発動してのけた。もはやこの青年が普通の人間でないことは明らかだった。と、なれば、薄々そうではないかと確信めいたものを持っていた、彼が神の使徒であることが現実のものとなってくる。神が遣わしたる使徒……。おそらく神はこうなることを知ったうえで、この青年を遣わしたのだ。そんな神のお導きのすぐ傍に居られる……。使徒様の近くにいることを神から許された……。そう思うと、ハウルオウルは思わず平伏せずにはいられなかった。
だが、青年は今まで自分が使徒と名乗ったことはない。むしろ、自分の才能を極力悟られぬようにしてきた節がある。と、なれば、神の使徒であることを知られてはならない使命を帯びている可能性がある……。そうなれば、今、ここで彼が使徒であることを気付かれたと悟られれば、彼はここから去ってしまうかもしれない。そう思った瞬間、ハウオウルは彼が使徒であると名乗り出るまで今の関係を続けようと決意していた。
「……先生、どうでしょうか、この建物?」
俺は不安げに尋ねる。彼はゆっくりと建物を眺め、そしてその手触りを確かめていたが、やがて視線を俺に向ける。
「これほどしっかりできておるならば、問題はないじゃろう。あとは魔法を発動するときに、イメージをしっかりと持って魔力を出すことを意識するだけじゃな」
「はい、ありがとうございます!」
ハウオウルのアドバイスを受けて俺はさらにイメージを膨らませつつ、長屋づくりに挑戦する。
「……ま、こんなもんかな?」
気が付けば、村長の畑に10棟の長屋が出来上がっていた。最初こそ手こずったが、数をこなすにつれて、かなりイメージ通りのものが一回で作れるようになっていた。この長屋は、一部屋に五人入ることができ、1棟が5部屋あることから、約250人はここに収容可能な計算となる。これをあと100ほど作っても、全員が救えるかどうかはわからないのだ。そう考えると、ちょっと気持ちが萎えてくる。
かなり長い時間をここで費やしてしまった気がする。長屋づくりの大体のコツはわかった。あとは、飲料水の確保と風呂、そしてトイレの問題を解決させなければならない。となると、今この暗闇の中でそれをすることはかなり困難だ。明日、明るくなってからそれを試してみよう。根拠はないが、かなりいい環境を作る自信が俺にはあった。
「先生、ありがとうございました。今日のところは帰りましょうか」
そう言って俺はハウオウルに帰宅を促す。
屋敷に帰る道すがら、ハウオウルは突然足を止め、背中越しに声をかけてきた。
「ご領主」
「何でしょう?」
「無理な相談かも知れんが……。いつまでもこの村に居てくだされ」
「別にどこにも行きませんよ? 俺にはこの村以外に行くところはありませんから」
俺のその言葉に、ハウオウルは少し寂しそうな表情を浮かべていた。
屋敷に帰ると、ティーエンを筆頭に招待した人全員が残っていた。俺は勝手に席を外してしまったことを詫び、今後のことは明日相談しよう、明日の夕食時に再びここに集まってくれと言って皆を帰らせた。クレイリーファラーズを探したが、彼女は俺のベッドで高いびきをかいていた。
誰も居なくなった屋敷で、俺は一人ハンモックを吊る。二階の部屋は空いているので、そこに俺の部屋を移してもいいかもしれない。そんなことを考えながら俺はため息をつく。
「にゅ~」
気が付くとワオンが俺の足に取りすがるようにして甘えてきている。これは抱っこをしろと言っているのだ。俺はゆっくりと彼女を抱き上げる。
「この世界では色んなことが起こるな。できれば、平和に時間を過ごしたいんだけどな」
「んきゅ?」
「ワオンに言ってもわからないか……」
「きゅぅぅぅ」
彼女は首をかしげている。俺はそんな様子を愛らしいと思いながら、彼女と共にハンモックに横たわる。
「それにしても、村長の畑は広いな。あそこに人を入れて、余った場所に畑を作って耕してもらえばいいんじゃないかね? 軽く何千人もの人が住める広さだよな、あれ。待てよ? そうなるとあそこはかなり賑わいのある街になるんじゃないか? 侵攻の危険がある新興住宅地……ってか?」
まさかのダジャレが口をついてしまい、俺は思わず苦笑いを浮かべる。そんなことを考えていると、いつしか俺は深い眠りに落ちていくのだった。




