第八十四話 ご経験は?
――大勢の人々が村から離れていっている。
ハトたちから俺に伝えられた第一声がそれだった。
俺たちが住むラッツ村の南側に広がる森を抜けると、広い草原が広がっているのだが、その草原をしばらく行くと小さな湖があり、そこを中心に人・人・人の光景が広がっているのだが、それがゆっくりと動いているのだという。俺はダイニングで夕食を摂っているハウオウルたちに、村との境がそうした状況になっているらしいと告げる。
「ここ数日は、この村に訪れる人が減っていると感じていたんじゃ。何せ、宿屋に空き部屋が結構できておるからな。つい数か月前にはほとんど空き部屋などなかったのじゃから、おかしいとは思っていたのじゃ」
ハウオウルが驚いた表情を浮かべながら口を開いている。そして彼は俺が伝えた情報をもとに推測を始めた。
彼曰く、おそらく国中が未曽有の凶作となり、飢饉となりつつある。人々は村や町を捨て、王都や食料を持っている町や村、すなわち今年豊作だった地域に移動し始めているのだろうとのことだった。だが、それを察した王国が、王都をはじめ、そうした村や町に対して軍を派遣して、人の流れを止めているのではないか……彼の推測は概ねこんな感じだった。
「じゃが、儂の推測が当たっていたとすると、この王国にはとんでもない頭の切れる、しかも、血も涙もないヤツがおるぞい」
「どういうことですか?」
「国の民が自国内に移動するならまだしも、他国に逃げられては、国力は大きく落ちる。そんなときにインダーク帝国が侵攻してこられては、この国はひとたまりもない。それをさせぬがために、軍を派遣したのじゃろう。しかもこの村はインダークへの通り道じゃ。おそらく王国軍の多くが割かれておるのじゃろうな。じゃが、今住んでいるところでは食えぬから人々は逃げておるのじゃ。その人々を追い返すというのは、彼らに死ねと言っておるのも同じじゃ。それよりも食料を施して命を繋いでやるのが先決じゃと思うがの……」
俺は黙ってハウオウルの話に耳を傾ける。ティーエンら、屋敷に集まった人々も、ただ無言で彼の話を聞いている。
「何だか、私……申し訳がないです……」
レークが小さな声で呟いている。そんな彼女を母親が抱きかかえるようにして、彼女を慰めようとしている。
「いや、俺たちが無理に後ろめたい気持ちになる必要はない。先生、この村に避難しようとしている人々がいるのは、ここからどのくらいの距離ですか?」
「そうさな……馬で飛ばせば、一日というところかの」
「う~ん」
この村に避難しようとしている人々を何とか救いたいと俺は思っていた。だが、数千と思われる人々が雪崩を打ってこの村に来られるとなると、混乱するのは目に見えていた。どうすればいい……。
幸い食糧は有り余っている。おそらく相当数の人間を養えるはずだ……。そんなことを考えていたとき、俺の頭に一つのアイデアが浮かび上がった。
「村長の畑……。あそこって何人くらい収容できるかな?」
俺の言葉に全員がキョトンとした表情を浮かべる。俺はそんな皆に構わずに言葉を続ける。
「あそこって、地平線の彼方まで畑が広がっていますよね? あそこに人々を受け入れるとかなりの数の人々が救えるのではと思ったのですが……」
「ま、まあ、あそこじゃと軽く数千は収容できるじゃろうな……」
ハウオウルが呟いている。俺はその言葉に無言で頷く。
「ただ、家をどうするかなのですよね」
俺の言葉に、全員が目を伏せる。そうなのだ。そこが問題なのだ。おそらく避難しようとしている人々は着の身着のままで、最低限の生活用品を持って移動していると考えられる。と、なると、キャンプセットなどは持っているとは考えにくい。場所はないことはないが、あんなだだっ広いところで勝手に暮らしてくださいというのはいくら何でも酷だ。
そのとき、俺の頭の中に浮かび上がったのは、小学生のときに経験した大震災の場面だった。あのときの揺れはマジでシャレにならなかった。俺の住んでいた場所は特に大きな被害はなかったが、それでも、電気、水道、ガスが一時止まってしまい、仕方なく小学校の体育館に避難したのだ。そういえば、あのときは体育館だけじゃなく、教室の一部も解放されていた。あのときは確か、数百人が避難していたはずだ。
「あのときの学校みたいなものを作ればいいのか?」
思わずそんな言葉が口をついて出てきた。当然皆は俺が何を言っているのかが理解できずに、相変わらずキョトンとした表情を見せている。
「あの……クレイリーファラーズさん、ちょっと……」
俺は彼女に手招きをして、部屋の片隅に移動する。そしてレークやティーエンたちに背を向けるようにして、小声で話しかける。
「あのさ、東日本大震災のことって覚えています?」
「知らないです」
「勝田にいたんじゃなかったのかよ?」
「それ、だいぶ昔の話です。あなたの言う大災害は知ってはいますが、そのときはもう私は、天界にいましたから」
「じゃあ、避難所のことなんかは、知らないのか……」
「知っていますよ?」
「え? 大地震、経験していないんじゃないんですか?」
「あなたの言う地震は経験していませんが、大きな地震は経験しています」
「え? いつ?」
「阪神大震災です」
「……俺が生まれる前の話かい」
何故かクレイリーファラーズが自信満々に胸を張っている。その様子に俺はため息をつきながら、さらに言葉を続けるのだった……。




