第八十二話 サプライズ
それから一週間が経った。先週の出来事が嘘であったかのように、俺たちの生活は元に戻っていた。クレイリーファラーズとはあれから、責任の所在についてはお互い様ということで、何も言いっこなしということで合意に至った。まあ、俺は本気で兄に彼女を紹介しようとしていたのだが、彼女は涙ながらにそれだけはやめてくれと言ったのだ。あんな兄の許に行けば大変なことになる……。あんなことやこんなことをされて調教されるのだと全力で嫌がったのだ。ちなみに、あんなことやこんなことには、口に出すのも憚られる程の変態的な言葉が入っていたのだが、ここでは言わないことにする。俺も、活字で見たことはあるが、実際に人の口から聞いたのは初めてだ。
一方で彼女は、あの騒動の直後から、ハウオウルにちょっかいをかけられることもなくなったし、他の人たちからも、それはそれは心配され、チヤホヤとされているので、むしろ彼女にとってはいい結果を生んだと言えなくもない。
今、俺はドニスとクーペの奥さんたちであるラブラとリリス、そしてレークと共に、昼食を摂っている。メニューはパンにサラダにからあげ、フライドポテト、そして串カツというものだ。かなり油物が多いがこれには訳がある。
現在、ベイガの店ではドニスとクーペ、そしてクレイリーファラーズがジャガイモのお酒を造ろうと試行錯誤している。おそらくは、だが、その酒は遠からず出来上がるだろう。そして、酒場が開店する日も、そう遠くはないだろう。そうなったときに、この店で出す料理をどうするのかという問題に突き当たった。
これまでは、安い干物や木の実などを提供していたようだが、俺は本格的な酒を飲ませる店にふさわしい料理を出すことにした。それが、からあげとフライドポテト、そして串カツ、さらには、焼き鳥なんかも出そうと考えたのだ。今日はその中の三つを俺が実際に作ってみて、ラブラとリリスにその作り方と味を覚えてもらおうとしているのだ。食材を村で買って来てくれたのはレークであり、彼女はそのお礼の意味も込めて、この席に招待したのだ。
「美味しいですね……」
「うん、美味しい!」
「これは、人気が出ますね」
女性たちはそんなことを言いながら料理に舌鼓を打っている。俺は、あくまでこの料理は参考であって、できるだけ皆で工夫して美味いものにしてくれと話をする。そのとき、屋敷の玄関の扉が開き、誰かが訪ねてきた。
「あ、私が出ます」
レークがすぐに席を立ち、玄関へと小走りに走っていく。彼女は実に気が利く。そして頭がいい。言ってみれば、一を聞いて十を知ってくれるような機転が利くのだ。ワオンもこのレークには心を許していて、我が家で俺以外の人間で彼女の体に触れられるのは、実はレークだけなのだ。
そんなことを考えていると、レークが俺の許に戻って来て、ペコリと頭を下げる。
「ノスヤ様、奴隷商のナック様がお見えになりました」
「ああ、わかった。今すぐ行く」
そう言って俺はラブラとリリスにそのまま食事を続けるように言って、玄関に向かった。
「ただいま戻りました」
ナックは丸々と太った体を折り曲げるようにしながら、俺にお辞儀をする。もうかなり涼しくなっているのに、この男は汗をかいていて、それをハンカチで一生懸命拭っている。
「お手数をおかけしましたね。で、どうでした?」
「はい。領主様の手紙を渡しますと、しばらく考えていましたが、やがて夫婦の間でちょっとした話し合いをして、その後すぐによろしくお願いしますと……」
「……では、両親は私が領主様の許で奴隷としてお仕えすることを納得したのですね。ありがとうございます」
彼女はナックに丁寧に礼を言ってから俺に向き直り、再びペコリとお辞儀をする。
「ノスヤ様、恐れ入りますが、私の奴隷としてのお金は全て両親にお渡しください。よろしくお願いいたします」
俺はその様子をじっと眺めながら、ナックに視線を移す。
「で、皆さんはどちらに?」
「はい、馬車で待たせてあります」
俺は屋敷の玄関を出ていく。すると、目の前に一台の幌馬車が止まっていた。
「……ナックさん、ご苦労様でした。それでは、受け取ります」
その言葉を聞いて彼は幌馬車に向かい、そこで何やらゴソゴソと準備をしていたが、やがてその中から一人の女性が降りてきた。
「おかあさん?」
レークが頓狂な声を上げた。そんな中でも、幌馬車から次々と人が降りてくる。全員が猫獣人だ。
「……おとうさん……ソウサ……ケイ……マイア……」
「レーク……」
一人の猫獣人がレークの声を聞きつけて俺たちに視線を向けた。そして彼女は驚いた表情を見せたかと思うと、一歩、一歩、地面を踏みしめるようにしてこちらに近づいて来た。
「おかあさん! おかあさん! おかあさん!」
そう言ってレークが彼女の胸に飛び込んでいく。その声に猫獣人たちは口々にレークの名前を呼びながら、その二人に近づいていく。
「レーク姉ちゃん、会いたかった!」
「おねえちゃん! おねえちゃん!」
皆が泣いていた。レークも、その父も、その母も、兄弟たちも。
しばらくして落ち着きを取り戻したレークが、小走りに俺の許にやってきた。
「ノスヤ様、これは一体……」
「ああ、レークの家族全員を呼び寄せたんだ。レーク……本当はご両親に会いたかったんだろ?」
「う……」
「無理しなくていい。それで、お前の両親に手紙を送ったんだ。今住んでいるところで食うに困る生活をしているのなら、ラッツ村に来ませんかと。一応、タダでお金を支援すると後後問題になるので、まずは俺の奴隷という身分になりますが、そのお金でラッツ村で商売をするなり、農業をするなりしてコツコツお金を返していただければ、奴隷から解放しますよと言ったんだ」
「と……いうことは……」
「ああ、身分はさておき、今日からレークは家族で暮らせるぞ」
「あっ、あっ、あっ、ありがとうございますぅぅぅぅ!」
号泣するレークとその家族。その様子を見ていると、何だか俺もちょっともらい泣きしてしまいそうになる。
「あの……ご領主様……」
そんな俺の背後で奴隷商のナックが言いにくそうな表情を浮かべている。俺はどうしたと尋ねると、彼は辺りを憚るような小さな声で口を開いた。
「大変です。森を抜けたところで、何千という人々が集まっています」
「え? それはもしかして?」
「村に来ようとしているのでしょうが……。それを軍勢が押しとどめて、彼らを一歩も通さないようにしているのです」
え? 何? どういうこと? 俺の知らないところで、何が起こっているんだ?




