第八十話 失恋!?
「フィ……フィアンセがおったのか……。それは、悪いことをしたのう」
ハウオウルが頬をポリポリと掻きながら、申し訳なさそうな表情を浮かべている。彼だけではない、そこにいる全員が、何とも言えない表情を浮かべている。そんな中、俺は彼女に向かって、努めて冷静に言葉をかける。
「すみません、その、フェルディナントという方ですが……どのようなお方ですか?」
「そんなこと……聞いて……どうする気ですか」
クレイリーファラーズがしゃくり上げながら言葉を返してくる。その目にはまだ、涙が溢れている。
「いや、その名前から察するに、素晴らしい方なのかなと思いましてね」
「……フェルディナントは、エイダルト王に仕える英雄です。ちょっとぶっきらぼうなところがありますが、実はとてもシャイな方なのです。彼は殺されてしまったエイダルト王の仇を取るために、一人で敵国に乗り込み、敵をなぎ倒してついに復讐を果たしたのです……」
その言葉を聞いて俺はゆっくりと立ち上がり、後ろに控えている人々に視線を向けた。皆、よくわからないといった表情を浮かべている。そんな様子を見た俺は、彼らに向けて指示を出す。
「申し訳ありませんが、全員、席を外していただけませんか。クレイリーファラーズさんと二人きりにして下さい。二人で話がしたいのです。終われば呼びますので、全員、屋敷の外に出てください」
俺がまさかこんな指示を出すとは予想していなかったのだろう。全員がキョトンとした表情を浮かべ、そして戸惑いの表情を見せた。俺は皆に視線を向けながら外に出るように促す。ハウオウルはとても心配そうな表情を浮かべていたが、俺は小さく頷いて彼に退出を促した。
「何の……つもりですか?」
手で涙を拭いながらクレイリーファラーズは俺に質問している。俺はそんな彼女を眺めながら、ゆっくりとテーブルの椅子に腰を掛ける。
「いや、確認をしようと思いましてね」
「確認?」
「フェルディナントって、『ボーダレス戦記』のマーク・フェルディナントのことじゃないよね?」
「……」
目をカッと見開いている。どうやら図星らしい。
「……どこで見た?」
「……言葉の意味がわかりませんが?」
「隠さなくてもいいでしょう。俺も知っています。何てったって有名な物語ですから。あれ、陸の名作ですよね? ほら、ゲーンギ社が出版している小説の。あの会社は陸・海・空の名作をそれぞれ持っています。まあ、他の会社は太刀打ちできないですよね」
そう、ひきこもっているときの俺は、ひたすらネット小説を見ながら時間を潰していたのだ。その俺が、陸の名作を知らないわけはないのだ。当然、海と空の小説もチェックしている。あれも素晴らしい出来栄えだ。そんなことを考えながら、俺は言葉を続ける。
「もしかして、映画化されたものを見た? あれ、ハリウッドのエーリス・クラムゼンが主役でしたっけ? 確かにあの俳優は男前ですよね。うん、男の俺から見ても男前だわ。ですが、どこでそれを?」
「……勝田駅前の映画館」
「……東京とかじゃなくて?」
「勝田駅前の映画館」
「理由を伺っても?」
「……一時期、そこが担当だったので」
「……仕事サボって映画見ていたんじゃないよね?」
「……いいえ」
図星か。どこまでポンコツなんだろうかこの天巫女。こともあろうにハリウッドの俳優に恋をしただけでなく、本気で結婚を考えていたのだ。痛い……痛すぎる。
「ちなみに、エーリス・クラムゼン……フェルディナントは結婚しましたよ、確か?」
「はあっ!?」
「ほら、同じ映画に出ていた、アンジェリア・ナーフロックと。え? 知らない? レイリクト役をやっていた人ですよ」
「ちょっと待って! レイリクトは敵国王の娘のはずです! あんな意地の悪い女にフェルディナントが心を奪われるわけはないわ!」
……それは物語の中の話でしょうが。実際は結婚したんだよな。ワイドショーで連日放送していたし、間違いない。
「そんな……私……聞いていないわ……」
「別にあなたの許可を取る必要性は全くないと思いますが?」
「イヤ……イヤ……私のフェルディナント……」
クレイリーファラーズが顔面蒼白になっている。マジか? マジでなのか? 俺はあきれ果ててしまい、思わず深いため息をつく。
「……確か、小説版は、フェルディナントが行方不明になるという、映画版とは内容が異なります。俺は続編を読んでいませんが、もし、気になるなら読まれてみては……って、天界に戻れないから無理か。でもあの作品、続刊出たのかな? 確かあの作者、元々BL小説を書いていた人でしたよね? いきなりあの作品を書いてヒットしちゃいましたけど……」
「BL? 例えばどんな?」
「知らないですよ。大体俺はBLには全く興味はありませんから。男と男が愛し合うなんて気持ちが悪い……」
「何を言っているんですかぁ!」
突然、クレイリーファラーズの絶叫が響き渡る。彼女は俺に向けた視線を一切外すことなく、ものすごいテンションで語り始めた。
「BLこそが真実の愛なのです! ふたりの、ふたりによる、ふたりだけの愛! これこそが愛なのです! 男と女がイチャイチャと安っぽい愛を振りまくなど、世間にとって害しかありません! 男同士の純愛! これこそが本物の愛なのです! BLこそが至高っ!」
まさか、腐女子でもあったとは。俺は彼女に帰す言葉が見つからずに、しばし呆然となる。最早、この天巫女を救う術は、ないように思えた……。




