第七十八話 長い戦いの終わり
兄のシーズが初めて見せる表情を浮かべた。何とも言えないときの表情……と表現すればいいだろうか。ちょっと目を細めながら眉間にシワを刻み、口を真一文字に結んでいる……そんな表情を浮かべたのだ。
「まるで、人が入れ替わったかのようだ……」
「ふえっ!?」
ズバリと核心を突かれて、戸惑いの表情を隠すことができなかった。そんな俺をそのままに、シーズは首を振りながら口を開く。
「以前のノスヤならば、何の反応も示さなかっただろうに……。精々、そうですか、と一言言うくらいだっただろうに、そこまで愕然とした様子を見せるとは……。この村に来て成長した、ということかな?」
「ええ、まあ……」
「見たところ、この村には防御態勢が全く整っていないように見える。この村は豊作であったろうが、国中が大凶作になっていることくらいは知っていただろう? インダークが侵攻して来るだろうとは、思わなかったのかい?」
「……はい」
「まあ、ノスヤらしいといえばノスヤらしいが……」
彼は再び屋敷を見廻しながら、何かに納得したように頷く。
「まあ、この村に来て約三年。何もないところから生活基盤をつくることで精いっぱいといったところだったのかな? 村長のクレドには邪魔はされなかったかい? ……その顔は、色々とあったようだね? 彼は非常に知恵が働くからね。ノスヤもかなり苦労したことは、容易に想像できる。大変だったね……」
いや、別に俺は大変だったという思いはない。どちらかと言えば、俺は村長とは仲良くやりたかったのだ。ただ、向こうが突然、一方的に俺を嫌ってきたのだ。で、結果的に自滅した。そんな感じなのだ。俺は先ほどシーズが見せたような、何とも言えないという表情を浮かべる。
「シーズ様。ご領主は、ノスヤ様には不思議な能力がおありなのですじゃ」
「ノスヤに不思議な能力? ご老人、それは何でしょうか?」
「人に助けられる力ですじゃ」
「人に助けられる?」
「ご領主が村に着いたときはお一人だったそうですじゃ。それを木こりのティーエン殿がお助けし、村の人々が少しずつご領主をお助けするようになった。かく言うこの儂も、ご領主から魔法を教えてくれと頼まれましてな。初級じゃが、火魔法などをお教えしましたのじゃ」
「え? ノスヤが魔法を? 使えるようには……なったのかい?」
「ま……まあ、火を起こすくらいには」
「へぇぇ……10年間学び続けて何もできなかった魔法が、この村に来て習得できたとは……やはり、先生が違うと、こうも上手くいくものなのかな?」
そう言って彼はにっこりと笑う。
「いいや、シーズ殿。それはご領主の努力の賜物ですじゃ。このご領主は村人たちに愛されておる。このままいくと、神にも愛されるかもしれませぬな」
ハウオウルの言葉を受けて、シーズはハハハと笑い声をあげた。
「神に愛されてしまうと、天に召されてしまう。……いや、冗談です。だがしかし、ご老人の言っておられることは嘘ではないらしい。実家では全くと言っていいほど自分の意見を主張しなかった弟が、ここに来て主張せざるを得ない環境に置かれたことで、本来備わっていた能力が開花したのかもしれないですね」
そこまで言うと彼は、俺に向きなおり、真面目な顔つきになって口を開いた。
「ノスヤ、全く根拠のない話だが、お前の人に助けられる能力は、もしかするとインダークの侵攻を食い止めるかもしれないね」
彼はそこまで言うと、ニコリと笑みを漏らす。だが、相変わらず目は笑っていない。不気味だ。
「まあ、それは言い過ぎとして、インダークに何か動きがあれば、すぐに父上に知らせるんだ。多くのことはできないかもしれないが、それでもできるだけのことはするつもりだ」
俺は黙って頷く。その様子を見て兄は満足そうに微笑んだ。
「さて、それじゃ、ノスヤの餅菓子を自由にしてあげようか」
そう言って彼は立ち上がる。しまった。クレイリーファラーズのことを完全に忘れていた。兄はすでにスタスタと俺の寝室に向かって歩き出している。俺もあわてて彼の後ろを追いかける。そして、兄はドアノブに手をかけたかと思うと、その動きをピタリと止め、俺に顔を近づけて、小さな声で囁いた。
「察するところ、あの餅菓子はお前の奴隷だろう? 公爵の好きな責め方をよく知っていたね。勅使に自分の奴隷を差し出すとは……お前も成長したものだ」
彼はフッフッフと肩を震わせて笑っている。そして、再び俺に視線を向ける。
「それに、あの猫獣人の少女……あれもお前の奴隷だな? 隠さなくてもいい。ああいう年増と少女を並べて仕えさせる……いいじゃないか。僕は嫌いじゃない。ノスヤもそちらの方でも成長してくれたのは、兄としてうれしい限りだよ」
そう言って彼は勢いよく扉を開けた。
ベッドの上のクレイリーファラーズは目を閉じたまま微動だにしないでいる。先程は丸出しだったパンツが、今はスカートに隠れている。頑張って隠したらしい。そんな彼女の許に近づくとゆっくりと目を開け、シーズの姿を見て、声にならない声を漏らした。
「ふーん、ずいぶんと念入りに縛ったんだね。ご丁寧に口の中に布まで入れて……。別にここまでしなくてもよかったのだよ?」
彼はそんなことを言いながら、クレイリーファラーズの猿轡を外す。そして、縄に手をかけ、丁寧に縄目を解いていった。
「うっ……うううう……」
クレイリーファラーズは小刻みに震えながら俺とシーズを交互に見比べている。兄は片膝をついたまま彼女を眺めていたが、やがて立ち上がり、ゆっくりと彼女に顔を近づけていく。
「ひっ……ひぃぃぃ……」
「うん、見たところ、悪くはないな。どちらかと言えば、私は好みだ」
彼はニッコリと、満面の微笑みを浮かべた。そして、右手を彼女のあごの下に当て、その顔をまじまじと見つめていた。
「君の笑顔は、さぞかし素敵なんだろう。でもたぶん、泣き叫ぶ瞳はもっとキレイだろうね……」
彼は踵を返して俺に視線を向ける。
「では、私も帰るとしよう。ノスヤ、ご苦労様でした」
やっと、長い戦いが終わりを迎えた……。




