第七十話 いきなり来るんかい!?
その次の日から、クレイリーファラーズは屋敷のことは全く目もくれず、ドニスとクーペらと共に酒造りに没頭するようになった。彼女がいなくなってからの屋敷は……全く問題なく、全てが、いつもどおりだ。
「おはようございます!」
毎朝決まって、ヴィヴィトさん夫婦と共にレークが屋敷に手伝いに来るようになった。炊事、掃除、洗濯……全てのことをそつなくこなしていく。お蔭で、ものの二時間程度で全てのことが終わってしまい、俺としては本当に助かっている。レークにワオンも懐いていて、今のところ、クレイリーファラーズがいなくても、何とかなっている。……って、そういえば、元々あの天巫女は何もしていなかった。
彼女は朝起きるとすぐに屋敷を出ていってしまう。そして、夕食になると帰ってくる。一体昼飯はどこで食べているのだろうと思っていたが、ドニスとクーペの奥さんたちも手伝いに来ており、その奥さんたちがクレイリーファラーズに昼食をご馳走してくれているのだという。当然オヤツも作ってくれるそうで、彼女にしてみれば大満足……と思いきや、実はそうではないらしい。
「今日はお酒の不純物を取り除くための装置を、店にある瓶を使って作ってみたのです。本来はもっと巨大な装置にしなければならないそうですが、あんな風にお酒って造るのですね」
いつものように屋敷に帰ってくると、彼女のマシンガントークが始まっていた。ドニスとクーペの許に通うようになってから五日が経つが、これが毎日繰り返されている。俺は適当に相槌を打ちながら、夕食用のサラダを拵える。
「……でも、どうしてあんなに薄味な料理を作るのかしら? 調味料を知らないのかしら? オヤツも甘くないのよね~。もっと砂糖をどっさり入れればいいのに。せっかくのお菓子が台無しですよ。そう思いません?」
俺の真横までやって来て御託を並べているクレイリーファラーズ。俺は無言で彼女のほっぺたをつねる。
「いふはい、いふぁいれす! なひをするんふぇすか!」
「どの口がそれを言いやがるんだ。文句があるなら、自分で作りなさいよ」
「ひどい、ひどいわ! 女の顔に傷をつけるなんて! それでもあなたは男ですか!」
「ほう、じゃあ、心に一生消えない傷をつける方がいいですか?」
「最低!」
彼女はプリプリと怒りながらダイニングに向かう。そして無言で俺が用意したサラダを貪り食っていた。
次の日の朝、いつものようにクレイリーファラーズが屋敷を出ていった。その直後、屋敷の外から悲鳴が上がった。慌てて外に飛び出してみると、そこには煌びやか……だったと推測される軍服のような衣装を着た二人の男が立っていた。二人ともゼイゼイと肩で息をしている。
「ノスヤ……ノスヤ・ユーティン殿の……お屋敷は……こちらか?」
男の一人が、息も絶え絶えに話しかけてくる。俺はあまり関わりたくはなかったのだが、仕方なく応対することにした。
「ええ、そうです」
「もしや、貴殿が、ノスヤ殿か?」
「はい」
「間もなく、貴殿の兄であるシーズ・ユーティン殿が、勅使であるフォーマット公を伴ってこちらにお見えになる。急いで準備を整えられよ」
「え? 間もなくって言いました? 今日ですか? 準備と言っても……何を?」
「取り急いで来たために、格式ばったことはこの際、省略してもよろしいでしょう。……例えば、赤いじゅうたんであるとか、部屋の中を美しく飾ったりするとか、言わば、公をお迎えするにあたってのおもてなしのことです。今回は特別な事情でもあり、また、急なことでもあるために、そうしたことは省略していただいて結構です。ただ、公を迎えるにあたり、最低限のこと……お屋敷の中を清潔にしていただくことだけはお願いいたします。おそらく、昼前には到着するでしょう。それまでに、お屋敷の掃除をお願いいたします」
「昼前……って言われました? あと2時間くらいってことですか? ということは、もう森の中を進んでいるということでしょうか?」
「我らはフォーマット公から先触れを仰せつかった者です。今朝早くに出発し、早馬を飛ばして参ったのです。おそらく、公の乗られた馬車もかなりの速さで向かっていると思われますので、もしかすると、到着が早まるかもしれません。お急ぎください」
俺はいきなりのことで呆気に取られてしまう。だが、彼らはそんな俺に構うことなく、さらに言葉を続ける。
「あと……誠に申し訳ないのですが、水を一杯いただけませんか?」
「あ……ああ。あそこに井戸がありますから、どうぞ好きなだけお飲みください。今、コップを……」
二人は俺の言葉を両手で制しながら、足早に井戸に向かって歩いて行き、そこから鶴瓶で水をくみ上げて、まるで水浴びをするように、水を直接、自分たちの口の中に注ぎ込むようにして飲み始めた。
「はあ、はあ、はあ、助かりました。では、我らは公の許に戻ります。くれぐれもよろしくお願いいたします」
そう言って彼らは、屋敷を後にしようとする。そのとき、一人の男が振り返り、俺に向けて口を開く。
「言い忘れておりましたが、恐れ入りますが、お屋敷の中を掃除するとともに、公の昼食をご用意いただきたい。できるだけ品数と量は多めにお願いいたします。お酒は……あれば理想ですが、必須ではありません。あとできれば……公に従う者たち10名にも、食事をご用意いただければ助かります。味が良いに越したことはありませんが、皆、空腹ですので、恐れ入りますが、できるだけ多めにご用意いただければ助かります」
そう言って二人は足早に裏門を出ていった。
「……一体、どういうこと?」
正直、あまり現実が掴めていない。ふと視線を隣に向けると、何故かクレイリーファラーズが頷いている。一体何を考えているのか……今、開発中の酒のことを考えているのか。おそらく、どうでもいいことを考えているのに違いない。
そんな、俺の心配をよそに、クレイリーファラーズは突然、両手をパチパチと打った……。




