第六十七話 お~ま~え~は~あ~ほ~かっ
俺はゆっくりとクレイリーファラーズの傍に近づく。彼女は口を少し開けたまま、眠り続けている。
「……へっぷし!」
……俺の顔に向かってくしゃみをしやがった。あまりの予想外の出来事に絶句していると、彼女は、うう~んと唸ったかと思うとゴロンと寝返りを打った。大きなお尻が俺に向けられている。
ぷうっ
「……起きろコラぁ!!」
数分後、俺に叩き起こされたクレイリーファラーズは、目と眉毛をへの字に曲げてダイニングのテーブルに座っていた。俺はその前にどっかりと座る。
「一体どういうつもりだ? 担がれて帰ってくるわ、意識はないわ、挙句に起こしに行ったら俺の顔に向かってくしゃみしやがるし、それに……」
「無理~ぃ」
「何?」
「頭痛ぁい。座っていられなぁ~い。お水……お水を下さぁ~い。お願いしますぅ。言うこと何でも聞きますからぁ。お願い……おねがぁぁい」
そんなことを言いながら彼女はテーブルに突っ伏している。正直、イライラする。
「……ほらよ」
俺は表面張力ギリギリまで水を入れたコップを、彼女の目の前に置く。それを鷲づかみにして、グイっと豪快に飲み干す。勢いが付きすぎて口元から水が溢れだしているが、そんなことはお構いなしに、グイグイと一気に飲み干してしまった。彼女はプハァと息を吐きながら、口元の雫を腕でグイっと拭う。
「もう一杯いくぜいっ!」
空になったコップをグイッと目の前に突き出している。こりゃ何か? 俺にもう一杯水を汲んで来いってか? 俺は一切表情を変えないまま、ゆっくりと視線を真横に移していく。そこにはドン引き状態のワオンがいた。俺はワオンに向かって、クイッと顎をしゃくる。
「きゅー」
彼女はパタパタとクレイリーファラーズの足元に行き、そこで大きな口を開けて、彼女の太めの足にかぶりついた。その直後、獣のような叫び声が響き渡る。
「何するんですか! 嫁入り前の大事な体に傷をつけるとは! 天巫女に、天巫女ちゃんに噛みつくなんてこのバカ仔竜……」
「さて、何がいいかな?」
「は? 何……とは?」
「お仕置きですよ。爪と爪の間に針を打ち込まれるのがいいですか? それとも正拳突き200発? 焼けた鉄板の上で踊ってみますか? 全力でケツバット100回でもいいですよ? マジで、いい加減にしろよ?」
「う……そんなに怒らなくても……」
「昨日一体、何があった?」
俺は努めて冷静に、声も抑え気味で彼女に話しかけていた。大声を出すなど上から押さえつけるような言い方をすると、彼女のことだ。逆ギレして、また出ていってしまう可能性だってある。そのため俺の方から大人になって、冷静に対処しようと考えていた。もっとも、俺の右手にはいつでも魔法が放てるように、炎を纏わらせていたのだが。
クレイリーファラーズは、渋々ながら昨日のことを話し始めた。
俺からオヤツ抜きを宣告された彼女は、屋敷を飛び出し、村へと向かった。そこでしばらく時間を潰して、食事までには帰ろうと思っていたらしい。そのとき、目にしたのがあのベイガの店だった。彼女は興味もあって、その店の中を覗いたのだという。
「ヘイいらっしゃい!」
ベイガとは違う男だったと言っているので、おそらく昨日奴と一緒に来た男たちの一人だろう。予想外に笑顔で迎えられた彼女はカウンターに座り、メニューを物色したのだという。その中で、ミーミと書かれた格安の酒を見つけた。その瞬間、彼女はこれが密造酒かと直感した。周囲の人からこの酒だけは飲んではいけないと言われているものだ。だが彼女はそれに興味を持ってしまった。一口くらいなら大丈夫だろう。そう考えて、お試しにそれを頼んでみたというのだ。
「で……それが意外に美味しかったのですよ」
「はあ?」
「いや、美味しいというのは私の勘違いかも知れないじゃないですか。だから、それが本当に美味しいかどうかを確かめるために、もう一杯飲んでみたのです」
「それで?」
「で、美味しいというのは間違いだなと気が付いたのです。美味しいというより、甘いというのでしょうか? 強いて言えば、まあ飲める、まあ美味しいという程度だなと」
「続けてください?」
「で、やはり確認が必要じゃないですか。本当にそれが正しいのかを確認するために、もう一杯飲んでみたのです。確かに美味しいとは言えない。言えないけれど、後味に何とも言えない香りが口の中に広がったのです」
「ほう、いい香りがしたと」
「逆です。何かの薬品のような味でした。これは何だ、と思うじゃないですか。そうなれば確認しなければなりません。そうしているうちに時間が経ってしまって……」
「一体、何杯飲んだんだ?」
「32杯目までは覚えているんですが、それ以降は……」
「お~ま~え~は~あ~ほ~かっ!」
で、結局気が付いたら俺のベッドで寝ていたということだったらしい。挙句には、くしゃみをしたことは覚えているが、その後俺の怒号で起こされ、そこから頭が割れるように痛くなったと恨めしい目で言われてしまった。
「そりゃ、自分に向かってオナラをされたら、誰だって怒るでしょうよ」
「何を言うんです! ツツツツツ……」
彼女はこめかみをグリグリと指で押しながら顔をしかめる。さすがに羞恥心はあるのか。
「私、オナラなんてしません」
「でもね」
「いいえ、しません。しないのです! かわいい天巫女ちゃんは、ウンコもオシッコもしないのです。ましてやオナラなんて……するわけないじゃありませんかぁ」
エヘヘと笑うクレイリーファラーズ。その直後、再び俺の怒号が屋敷の中に響き渡った。




