第六十三話 成り行き
結局クレイリーファラーズには、一週間のオヤツ抜きを言い渡した。その直後、彼女はこの世の終わりであるかのような表情を浮かべたまま、脱兎の如く屋敷を出ていった。おそらく、お腹がすいたら帰ってくるだろうから、全く心配はしていない。
俺は改めてテーブルの上に置いてあった、本家からの手紙に目を通した。とてもきれいな字で書かれていて、どこかの誰かとはえらい違いだ。こちらの世界に来て三年になるが、来た当初から、この世界の文字は読めるようになっていた。基本的にアルファベッド(アルファベット)のような文字が羅列しているが、どうやら神様が自動翻訳機能を付けてくれているようで、その文字を見ていると、自然の言葉の意味が頭の中に浮かび上がるのだ。だが、文字を書くのは別で、これはクレイリーファラーズが教えてくれたおかげで、今は何とか書けるようになっている。しかも字はきれいに書けるのだ。クレイリーファラーズの、あの、ミミズが這ったような字をお手本にしたにもかかわらず、だ。これはおそらくだが、俺が転生する前、すなわち、本物のノスヤ・ユーティン君は子供の頃から字を練習していたのだろう。感覚的なのだが、こんな感じに書けばいいのだろうなと思いながらペンを走らせると、なかなか美しい字が書けるのだ。
「マジで来るんかい……」
手紙を一読して、クレイリーファラーズが言っていた通りだったため、俺は深いため息をつく。ここにはいつ頃来る、ということは書いていない。いつ来るのか? それがわからないのも、俺を落ち込ませる原因になっている。
「んきゅ、んきゅきゅ」
ワオンの鳴き声で我に返る。見ると、彼女が俺と俺の寝室を交互に見比べている。もしやと思い、扉を開けると、そこには上半身を起こそうとしているレークの姿があった。
「あっ、いい、そのまま、そのまま」
「いいいいいええ! とんでもないです!」
そう言って彼女はベッドから降りようとする。だが、まだ足に力が入らないのか、カクンと膝をつき、そのまま四つん這いの姿勢になってしまった。
「ううう……」
「熱は下がったみたいだけれど、まだ体力は回復していないみたいだから、すぐに起きるのは無理だ。遠慮しないで寝ていればいい」
「うううう……」
俺に促されて、レークは這うようにしてベッドに入る。ただそれだけなのに、彼女は肩を大きく上下させて呼吸をしている。
「そういえば、ほとんど食事を摂っていなかったんじゃないのか? ちょっと待ってな」
俺はキッチンに行き、朝食用に作ったサツマイモのスープを運ぶ。そして、タンラの実を5つテルヴィーニから取り出し、それも彼女のところに持っていく。
「よかったら、食べな。口に合わないようなら遠慮なく言ってくれていい。ただ、この金色の食べ物だけは食べてくれ。とても滋養強壮にいいらしいんだ。とても美味しいから、きっと口に合うとは思うんだが……」
彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべていたが、やがて、スプーンを手にし、ゆっくりとスープを掬い始めた。俺とスープの皿との間を何度も視線を向けていたが、やがてスプーンを口の中に持っていった。そして、それを無言で何度か繰り返したとき、突然ピタリと動きが止まり、彼女はうなだれてしまった。
「……おい、大丈夫か?」
「……しい……とても……とても……おいしいですぅぅぅぅ」
「にゅー。んきゅ、んきゅきゅ」
号泣するレークのベッドに縁に、ワオンが前足を載せて鳴き声を上げている。その声にレークはゆっくりと視線を向け、ポカンとした表情でワオンを眺めていた。ワオンはワオンで、首をゆっくりと振りながら、レークを眺めている。
「……ありがとう」
しばらくの静寂ののち、レークは小さな声でワオンに礼を言った。二人の間に言葉は交わされていないが、何か互いに通じるところはあったらしい。レークは再び俺に視線を向けて、深々とお辞儀をして、礼を言った。
「本……当にありがとうございます。こんな私に、ここまでしていただいて……本当にありがとうございます」
「いや、倒れていたのだから、助けるのは当然だ。君はこの村の住人だろう。住人を守るのが、領主としての勤めだからな」
「でも、私は……。あの……どうして、私を助けていただいたのですか?」
「そうだな……」
改めて聞かれると答えに困る。何となくイヤな予感がしたので様子を見に行った。倒れているレークを見つけたので屋敷に運んできた。簡単に言えばそんなところなのだ。考えてみれば、別に彼女から助けてくれと言われたわけではないし、俺も彼女を助ける義理もない。さて、何故だろうか?
「あの……」
腕組をしながら考えている俺を、レークは怪訝そうな表情で眺めている。そんな彼女を見て俺は、パンパンと手を打ちながら立ち上がる。
「別にいいんじゃないか?」
「え?」
「何となく気になったので様子を見に行ったら君が倒れていた。まさか、倒れている女性をそのままにするわけにはいかないから、屋敷に連れて帰って来ました。連れて帰ってきたからには、ここで死なれても困るから、元気になっていただきましょう。とまあ、こういう感じだ。何となく、成り行きでそうなったんだ。なってしまったものはしょうがない。俺は君が死なないように看病するだけだ。それでよくなくない?」
「……」
レークは口をポカンと開けて俺を眺めている。まあ、いきなりこんなことを言われても、理解はできんよね。ただ、俺としても、ここまで面倒を見たからには、途中で追い出すというのは良心が痛むのだ。
「まあ、これからのことは、体が回復してから考えればいいんじゃないかな? そう、そのときに考えよう。君だって、ここで死にたくはないだろう? じゃあ、まずは体を回復させよう。せっかく命を拾ったんだ。大事にしなきゃな」
そう言って俺はレークにスープを飲むように勧め、彼女は戸惑いながらもそれを口の中に運んだ。
実は、俺がレークを助けたのは、神の意思が働いており、レークはその後、とんでもない人生を歩むことになるのだが……。俺がそのことを知るのは、これからずいぶんと後のことだった。




