第六十一話 峠は越えた?
「フム、もうこれで、大丈夫じゃろう」
いつになく真剣な表情を浮かべているのは、ハウオウルだ。彼の前には、昏々と眠るレークの姿があった。
俺の屋敷に帰って来て、タンラの実を数個とおもゆを飲んだ直後に、彼女は倒れた。ちょうど折よくクレイリーファラーズが帰ってきたところであり、俺は彼女と共に俺の部屋のベッドにレークを運んだ。額に手を当てると、ものすごい熱で、俺は慌てて濡れタオルを彼女の頭に当て、緊急の処置を行った。
加えて彼女は、全身が濡れており、足元などは泥だらけだった。短時間とはいえ馬車の中では特に暖を取ることもしなかった。毛布をかぶっていたとはいえ、かなり寒かったのではないか? そんなことが俺の頭を駆け巡った。
「まずは……この子を着替えさせないといけませんね」
クレイリーファラーズのその言葉で我に返る。彼女は俺に部屋から出るように促し、何か必要があれば呼びますと言って、一人でレークの世話を買って出た。まだ子供とはいえ女性だ。見ず知らずの俺に世話をされるのは、彼女自身も望まないだろう。そう考えた俺は、クレイリーファラーズの言葉に甘えて、部屋を後にした。
その後、クレイリーファラーズは何度か部屋とキッチンを往復していたが、ものの一時間も経たないうちにレークの汚れを落としてきれいにし、きちんと着替えさせていた。やればできる人なのだ。
気が付けば、窓から朝日が差し込んでいた。一睡もしていないが、眠気は全くない。取り敢えず食事にしようと俺は、キッチンに立っていつもの朝食を拵える。そのついでに、サツマイモを使ったスープも作り始める。これはクレイリーファラーズに食べさせるのもあるが、レークが目を覚ましたときに食べさせるためでもあった。ほどなくして出来上がった朝食とスープを、クレイリーファラーズはただ無言で食べた。
その後、彼女はレークの看病をすると言って、俺の部屋に入っていった。俺も中に入って様子を見たが、レークははあはあと荒い息をしながら、熱にうなされているようだった。これは早く医者を呼んだ方がいいかもしれない。いや、もしかして、ヴィーニに病気を治す薬が入っているかもしれない。そう考えた俺は、クレイリーファラーズに薬のことを尋ねた。
「ありますが……あれは子供が飲むと、逆に毒になりますね。薬の効果を弱めなければなりませんが……それには、かなり時間がかかってしまいます」
「え? 薬の調合に時間がかかるって、どういうこと?」
「……忘れちゃったからです」
「は?」
「材料はわかるのですが、配分を忘れました。思い出しながらですから、時間が……。あ、この子の場合はおそらく、回復魔法で何とかなると思います。ですから……」
「……ポンコツ野郎」
「何ですって!?」
「お言葉ですがクレイリーファラーズさん、瀕死の重傷を負ってしまった子供が目の前にいたら、どうするつもりだったのですか? 私、薬の配合忘れちゃったんだよね、てへぺろ……って言うつもりだったのですか? そんなことしたら、その親にぶん殴られるどころか、下手をすると命まで取られますよ?」
「ううう……」
そんなことを言っていると、屋敷の扉をノックする音が聞こえてきた。俺は部屋を出てダイニングに向かう。
「ンきゅ」
ワオンが俺を振り返りながら頷いている。どうやら俺に危害を加える人物ではなさそうだ。俺はハイハイ、と言いながら扉を開ける。何とそこには、ハウオウルが立っていた。
「先生……どうされました!?」
「いや、今日は畑にお見えにならんかったからの。何かあったのかと思って、ちょっと寄ったのじゃ」
「ありがとうございます。先生、いい所に来てくれました。高熱を出している女の子がいるのです。……ええ、村長の所にいたレークです。すみませんが、回復魔法をかけていただけませんか?」
俺の言葉にハウオウルは驚きながらも、二つ返事で引き受けてくれた。そして早速、彼はブツブツと詠唱を行い、やがて真っ白い光がレークの体を包んだかと思うと、彼女は先ほどまでとは打って変わって、スヤスヤと寝息を立て始めた。
「おそらく疲労とカゼじゃろうな。もう峠はこえたようじゃな。それにしても、かなり高熱が出ておったようじゃが……」
俺は昨日までのことを話す。彼は目を見開き、呆れたような表情を浮かべながら口を開いた。
「ほぼ二日間……いや、三日間か? 森の中で一人でいて、魔物にも襲われず帰ってくるとは……この子はよくよく運がいいのう……」
彼はそう言いながらふと、何かに気が付いたような怪訝な表情を浮かべながら、ゆっくりとレークの体に顔を近づけた。
「……なるほど、魔よけのブレスレットか。どうりで。フッフッフ」
「どうしたのです?」
「この子の左手首を見なされ。紐のようなものが結び付けられておるじゃろう? これはサミガという草を乾燥させて編んだものじゃ。これを身に付けておると、低ランクの魔物は寄ってこなくなると言われておる。旅をする者の必須アイテムじゃな」
「……村長が与えたのでしょうか?」
「いや、あの男が、奴隷なぞに物を与えるとは思えんな。きっと……この子の親が持たせたのじゃろうて」
俺たちはしばし、レークを見つめたまま無言になる。クレイリーファラーズはいつの間にか消えていた。だが、しばらくすると、ゆっくりと扉が開き、その間からクレイリーファラーズがにょっきりと首を出した。
「あの……」
「何です? そんなところから首を出していないで、部屋に入ったらどうです?」
「大変です。先ほど、本家からの手紙が届きました。……本家の使者がこの村に遣わされるとのことです」
本家からの使者……? 一体何事だ? 俺は思考が追い付かず、遠い目をしながらしばし、現実逃避に浸ろうとした……。




