第五十九話 森の中の少女
「……寒い……お腹が……すいた」
木陰で膝を抱えながら呟いているのは、レークだった。彼女はガタガタと体を震わせながら、体を小さくするために、さらに蹲る。だが、降り続く雨は彼女の体を濡らし、容赦なくその体温を奪っていく。森の中、彼女には右も左も全く分からない場所で、彼女は震えながら死を待っていた。
深夜に突然、村長が生気を失った表情で帰宅したかと思うと、すぐさま、荷物をまとめるように命じられた。一体、何が何だかわからずに、指示されるまま村長の荷物をまとめていった彼女は、着の身着のままの姿で、背中に背負えるだけの荷物を持って、村長の家を後にした。
どこをどう歩いているのかもわからない。彼女は必死に村長の背中を追いかけた。その村長は全く歩く速さを緩めることなく、足早に森の中を進んでいく。この森の中は、少ないとはいえ魔物が出る。ここで村長とはぐれるのは即ち、死を意味していた。彼女は幼い足で、両手に重い荷物を持ちながら、必死に村長に付いて行ったのだった。
だが、そんな彼女にはやがて、体力の限界がやってきた。思わず村長の名を呼び、休ませてくださいと懇願する。彼は忌々しそうにその歩みを止め、彼女の許にやってきた。そして、呪文を唱えて小さなライトを出すと、彼女が背中に背負っている布袋をひったくるようにして奪い、中を検め始めた。その様子を彼女は茫然と眺めていたのだった。
レークの荷物を確認し、自分の荷物を確認した村長は、再び歩き始めた。当然、レークの体力は回復していない。だが、彼女はそれでも必死で村長の後を追いかけた。だが、しばらく歩いたところで彼女は何か硬いものに躓き、前のめりに倒れてしまった。
倒れる際に発した彼女の短い悲鳴を聞きつけた村長は、足早に彼女の所にやってきた。レークは何とか立ち上がろうとするが、その疲労はピークに達しており、体が言うことを聞かなかった。
「立て! 立たないか! 急ぐのだ! 早くしろ!」
「申し訳ありません……もう……歩けません……」
そのとき、彼女の頭に衝撃が走った。覚えているのはそこまでで、気が付けば彼女は森の中で倒れていたのだ。顔や体のあちこちがズキズキと痛む。てっきり自分は谷に落ちたのではないかと思ったが、暗がりの中、目を凝らしていると、どうやらそこは平地のようであり、彼女は太い幹を背にして座り込んだ。そして、そのまま深い眠りに落ちた。
気が付くと、森の中はすでに明るくなっていた。キョロキョロと辺りを見廻すと、すぐ先に、村長の荷物の一部と思われる紙が散らばっていた。字の読めないレークはそれが何だかわからなかったが、本能的にそれは大事なものであると察して、それらを集めてポケットにねじ込んだ。そして、体中の痛みと戦いながら、少しずつ森の中の道を進んでいったのだった。
だが、行けども行けども森の出口は見えない。時おり、頭上に大きな鳥が飛んできたり、目の前をバカでかいウサギの魔物が走り抜けたりすることがあり、その都度彼女は木々の間に自分の身を隠していった。そんな恐ろしい時間を過ごすこと丸一日、精も根も尽き果てた彼女は、倒れるようにして大木の下に蹲り、やがて眠りに落ちたのだった。
そして次の日、頭を打つ雨で目を覚ました彼女は、その場所から動くことができなくなっていた。足がパンパンに張り、歩くと激痛が走るのだ。彼女にはもはや、木の下でじっと雨をしのぐしか術は残されていなかった。
その雨はやむ気配はなく、丸一日降り続いた。木の下で雨露をしのぐことはできていたが、それも限界があった。いつしか彼女はずぶ濡れになり、寒さに震えながら時を過ごしていた。おそらく助けは来ないだろう。自分はこのまま死ぬしかない……そんなことを考えながら彼女は雨に打たれ続けた。
一体、どのくらいの時間が経ったのだろう。ふと気が付くと、森の中は再び闇に覆われていた。自分は眠ってしまったのか、さもなくば、気を失ってしまったのか、そんなことをぼんやりと考えながら、眠りから覚めなければよかったのに……などと考える。そんな彼女の様子が気になるのか、鳥の羽音が頭上で聞こえる。きっと鳥たちも私が死ぬのを待っているのだ……。そんなことを考えていると、鳥たちが飛び立つ音が聞こえ、その瞬間、彼女の頭上に大きな水滴が落ちてきた。
「……ッ! まだ……死ぬなってこと?」
レークの目に涙が溜まっていく。生まれたときはとても幸せだった。優しい父と母、そして、弟と妹……。この幸せがずっと続くものだと思っていた。だが、6歳のとき、未曽有の不作が国を襲った。その日食べるものにも事欠く日々が続いた。そのときに、レークは自分で志願して奴隷として自らを売ったのだった。幸い、奴隷商が父の知り合いということもあり、ラッツ村の村長の下女という好条件を世話してくれたのだ。それから彼女は必死で働いた。大好きな父と母のために、そして、かわいい弟と妹のために。気が付けば4年の歳月が経ち、村長の屋敷での仕事も慣れた頃だった。一生懸命に働いてお金を返し、奴隷の身分から解放されて再び両親の許に戻ることが夢だった。だが、今の自分には、それは叶わないだろう。この森の中で、死んでしまうのだろう……。そう思ったそのとき、彼女の目にユラユラと動く二つの赤い光が見えた。
「ああ、魔物に、食べられる……」
覚悟はしていたが、いざ、自分が死ぬとなると、やはり怖かった。レークは湧き上がる恐怖心を抑えることができずに、ガタガタと体を震わせた。叫んで助けを呼びたかったが、声は出ない。はあーはあーと嗚咽のような声を漏らしながら、近づいて来る赤い光を見つめるしかなかったのだった……。




