第五十四話 臭いものに蓋を
……ザッ、……ザッ、……ザッ。
真っ暗な闇の中、足音だけが響き渡っている。言うまでもなくこれは、俺とクレイリーファラーズの足音だ。
俺は今、神の腕を片手に持ち、もう片方の手でワオンを抱きながら、漆黒の闇の中を歩いている。行先は、村長のあの畑だ。
おそらく、あの畑の腐ったジャガイモを全て掘り起こすには、途方もない時間がかかるだろう。そうなればこの村は、あの悪臭に支配され続けることになる。きっと、村人たちに健康被害が出てくるだろう。そうなる前に、この畑を何とかしようと考えたのだ。
「ううっ……臭い……この臭いが服についてしまいます~」
ブツブツと文句を言いながらクレイリーファラーズが付いて来る。おそらく彼女は、もっと言いたいことがあるはずだ。だが、この臭いのお蔭で、いつもより言葉少なげになっている。これはこれで、俺としては助かっている。
「うわっ」
村長の畑に着いた瞬間、ものすごい臭気に思わず声が漏れる。だが、それ以上は呼吸をするのも困難なほどの臭いのために、言葉を続けることができない。これはアカン。今は風がない状態なので、この臭いはこの畑だけで済んでいるが、いつ村に向かって風が吹くかもわからない。そうなると村がえらいことになる。
俺は息を止めたままワオンを地面に置く。彼女はこの臭気は平気なようだ。俺はディガロを両手に構え、まずは風魔法を発動させようと魔力を込める。
ゴボォ~~~~~!! ゴォォォォ~~~~!!
……すみません、台風並みの風が起こってしまいました。クレイリーファラーズの髪型がえらいことになっている。おかしいな、徐々に風力を上げていくつもりだったんだが。だが、そのお陰か、臭いがかなり飛んだ気がする。
「よしっ!」
俺はディガロを地面につけ、今度は火魔法を発動させる。少しずつ、少しずつゆっくりと魔力を込め、同時に、その火魔法を注意深く土の中に広げていく。
村長の畑は広大で、一体どのくらいの広さなのか想像もつかない。かなりの広範囲に火魔法を行き渡らせたが、果たして全ての畑に行き届いているのかは疑問だ。だが俺は、一旦範囲を広げるのを止めて、魔力が行き渡っている部分の温度を上げていく。すぐにあの、硫黄の臭いが充満してきたが、俺は構わず温度を上げ続ける。
「ボーン」
何かが爆発するような音がした。思わず目を開けて見てみると、何と畑が火に包まれて、凄まじい業火が天を焦がしていた。俺は思わずワオンを抱いてその場を離れる。クレイリーファラーズは……いた。さすがに逃げ足だけは速い人だ。
「ちょ……これ……マズイですよね」
「マズイでしょう! 森の中の鳥たちが……騒ぎ始めています……って、あれ?」
凄まじい業火が一瞬にして消えていた。だが、土は所々が真っ赤に焼けている。そのせいもあって、地平線の彼方までぼんやりと明かりが灯っているようになっていて、地獄とはこのような風景なのかも知れないという考えが頭をよぎる。それにしても、一体、何があったのだろうか?
「とりあえず……くっ」
畑に向かおうとしたのだが、足が動かない。ガクガクと震えてしまって、歩くことができない。俺は膝から崩れ落ちるようにして、その場に蹲る。
「きゅーきゅーきゅー」
ワオンが心配そうな表情で俺を見つめている。俺は心配ないよと言おうとしたそのとき、いきなり髪の毛を掴まれて、乱暴に顔を上げさせられた。
「なっ……」
すぐ目の前に、クレイリーファラーズの顔があった。あと数センチ近づかれると、唇が触れてしまう。際どい、際どすぎる。
彼女は眉間に皺を寄せ、憤怒の表情を浮かべている。あまりの顔に俺は言葉を失う。
「あ……」
「動かないでっ!」
しばらくの間、沈黙が流れる。ふと頭が軽くなった。どうやら彼女が掴んでいた髪の毛を放してくれたようだ。頭が軽くなった。
「MPの大半が無くなっています。そりゃ、そうなりますよ」
彼女は呆れた表情を浮かべながら、目頭を押さえている。そう言えば、天巫女の能力で人のスキルを見ることができるが、彼女の場合は神様のせいで、かなりその能力が軽減されていて、至近距離まで近づかなければ見えないことを思い出した。
「今のあなたのMPは500を切っています。それでも通常の人間では有り得ない数値で、百戦錬磨のS級冒険者クラスですけれど、元々あったMPが100分の1に減っているのです。そりゃ、体がおかしくなりますよ」
「あの……俺は、どうすれば……」
「寝ましょう」
「ハッ?」
「MP回復薬を飲むという手もありますが、あなたの場合は回復力もありますから、一晩寝れば十分回復すると思います。ですから、寝てください?」
「畑は? 畑はどうするのです!?」
「明日でいいでしょ。どうやらあの火柱は、あなたが魔力を込め過ぎて、土から火柱が上がっていたみたいですね。ほどほどにしませんと~。それに、今のところ焦げた臭いはしますけれど、あの臭いはしていませんから、一晩くらい放っておいても大丈夫でしょう。畑のことは明日考えましょう。さ、帰りましょう」
「あの……俺……動けないんですけれど……」
俺の声を聞いたクレイリーファラーズは、ニヤリと悪そうな笑みを漏らす。
「肩を~貸してぇ~あげてもぉ~いいですけれどぉ~代償はぁ~高くつきますよぉ~」
「一応、聞いておきましょうか」
「毎日、大学芋を作ること!」
「……よかろう」
「うふふ、それでいいのですよ。ではでは、天巫女ちゃんが肩を貸してあげますね~」
彼女はルンルンで俺に肩を貸して立ち上がらせ、そして、屋敷まで運んでくれたのだった。俺は彼女の意外と筋肉質な肩につかまりながら、毎日大学芋を作れと言われたが、食べさせろとは言わなかったよな? ということは、俺が食べても構わないよな……などと考えながら、必死で笑顔を隠していたのだった。
お陰様で、一晩寝るとMPは回復したらしく、俺は元の通り動くことができるようになっていた。だが、これは、これから続く大事件の単なる始まりでしかなかった。俺は、その日、驚愕の事実を知ることになるのだった……。




