第四十話 おかえり、先生!
抜けるような青空の下、一人の老人がゆっくりと歩いていた。その足取りは軽く、まるでピクニックに行くかのような雰囲気だ。彼は柔和な笑みを湛えながら、緩やかな坂道を登っていく。
「……」
彼が到着したのは、山の中にある村だ。村に入るための門を潜り、ふと空を見上げると、そこに広がっていたのは驚愕の光景だった。彼はしばらく絶句したまま、そこに立ち尽くす。
「ああ、あれは数か月前にできたものさ。神様からの賜りものなんだと」
門番の兵士が無表情に口を開いている。どうやら、この村に訪れる人に毎回説明しているらしい。面倒くさいという感情がありありと見て取れる。
「フ……フフフ……ホッホッホッホ。やはり、使徒様であったか、あのご領主は」
誰に言うともなく呟いているのは、ハウオウルだ。彼は目をキラキラ輝かせながら、丘の上にそびえたつ巨木を横目に、歩き始めた。
「本当……に、よく戻って来てくれました」
もしかしたら、もう二度と会えないかもと思っていたハウオウルに会えたのだ。俺の喜びは尋常ではない。一方で、クレイリーファラーズは、腕を組みながら彼を睨みつけている。まあ、彼女にとってみれば、天敵以外の何物でもないだろうから、当然と言えば当然か。
「しかしご領主、しばらく見ぬ間に、変わられたのう」
人懐っこい笑顔を見せながら、彼は口を開く。俺はハウオウルの言う、変わったという意味がよく呑み込めず、無言で彼を見つめる。
「いやなに、裏庭の巨木に、ほれ、その膝の上の……」
「ええ、色々ありましてね」
俺の膝の上には、ワオンがちょこんと座っている。一見するとぬいぐるみを抱いているように見えるが、ゆらゆらと首と耳を動かしているので、初めて見る人は少し驚くだろうか。
「まさか、ドラゴン、しかも仔竜を傍に置かれているとは……想像もしなかったぞい」
そんなことを言いながら、ハウオウルはゆっくりと俺の側に近づいてきて、ワオンをまじまじと見ている。自分と同じ真っ白い毛、もっともハウオウルは髭だが、それをワオンはじっと見ている。
「この仔竜は、メスじゃな」
「え?」
「メスじゃ」
まさかハウオウルがこの仔竜の性別を当てるとは思わなかった。クレイリーファラーズからば、竜の性別、特に仔竜の性別を見分けるのはとても難しいと聞いていたからだ。
「あの……どうやって見分けたのですか?」
「なに、簡単じゃよ。仔竜の目を見なされ。目玉に少し赤みが差しているのがわかろう? メスは赤みが差すのじゃよ。逆にオスは青みが差す。ずいぶん昔に覚えたことじゃが、まさかここで役立とうとは思いも寄らなんだぞい」
そういって彼はカッカッカと大笑いした。聞けば、彼は長い間、冒険者をやってきている。世界中を旅する中で、時としてドラゴンと対峙することもあり、そのときはオスかメスかで戦い方が変わってくるのだという。
「オスはどちらかというと力技で押してくることが多い。逆に、メスはあまり好戦的でないものが多い。だが、仔竜がいる時などは、オスとは比べ物にならぬ力で攻めてくる。どこの世界でも、母親は強いんじゃな」
そんなことを話しながら彼は、竜のことについて色々と教えてくれた。
この生物は基本的には口呼吸であり、よく口を開けながら体を上下させているのは、呼吸をしているからなのだそうだ。従って、竜は体が動かなくなると呼吸ができずに死んでしまう。逆に鼻から息を吸い込むときは、ブレスを吐くときであり、竜がしばらくの間、口を閉じていたら要注意なのだという。また、竜の排泄物は、畑にとってとてもいい養分になるのだという。そういえば、ワオンはいつもタンラの木の下で用を足すが、それだけ養分のある肥料をやっているにもかかわらず、木に全く変化は見られない。ちょっと注意して見ておくことにしよう。
「ところで先生は、またすぐに旅立たれるのですか?」
俺の問いかけに、彼はニコリと微笑みながら、ゆっくりと口を開く。
「いや、しばらくはこの村にいようと思っておる。少なくとも、雪が解けて春になるまでは、この村で厄介になろうと思っておるぞい」
「ああ、それはよかった……。よければ、この屋敷に住みませんか? 二階の部屋が空いているのです」
俺の言葉に彼は、ホッホッホと笑い声を漏らす。それと同時に、クレイリーファラーズが俺の背中を突いている。くすぐったい。
「話はありがたいがの、ご領主、さすがにそれはそこの天……いや、お嬢さんが嫌がるじゃろうて。儂はまた、あの宿屋に世話になるつもりじゃ。幸い、宿屋の親父は部屋は空いていると言うていたしの。まあ、気を使わんでくれ」
「わかりました。また、よければ魔法を教えてください」
「おお、それは喜んで」
「それにしても、いいタイミングでいらしてくれました。ちょうど明日から収穫が始まるのです」
「ほう、そうか。うむうむ。こちらに来るまでに村の畑を見てきたが、どこもよく作物が育っておった。今年も、大豊作だの」
「ええ、そうなのです。ですから今年は、収穫祭をしようと考えているのです」
「収穫祭?」
「この屋敷に蓄えてある肉を無料で提供して、皆で焼き肉をして楽しむのです。もちろん、野菜もありますし、お酒も出します。全て無料なので、好きなだけ飲んで食ってください」
「それはまた、気前のええことじゃのう」
「まあ、俺もそういうことが好きなので」
「うむ、では、楽しみにしてるぞい」
ハウオウルはそんなことを言いながら、屋敷を後にした。クレイリーファラーズは彼が屋敷を出るまで睨みつけていた。パンツを見られたのが、余程イヤだったらしい。
「あのジジイは、金輪際、屋敷に近づけないでください! 見たでしょう? あの、私を見る目! 絶対に私の体を狙っていますよ!」
「逆に、あの先生に襲われたら、俺が祝儀を出しますよ。毎日おイモを食べさせてあげますよ」
「どういう意味ですか!」
「んきゅ」
「ほら、ワオンもその通りだと言っていますよ?」
クレイリーファラーズはプリプリと怒っている。そんな彼女も、明日の収穫は楽しみで仕方がないのだ。何といっても、とれたてのイモが食べられる。その期待感で胸がいっぱいなのだ。別にヴィーニに入っているイモを食べればいいのだが、彼女はなぜか、とれたてのイモにこだわっている。
「明日は、おイモが届いたらすぐに、天ぷらにしてくださいね! 私は焼き芋を作りますから! 楽しみだわ~。とれたてのおイモ。おイモ~♪ おおおおおイモ~♪ イモぉ~♪」
彼女の不気味な歌が屋敷に響き渡る。俺はワオンを抱っこしたまま、その場を後にし、自分の部屋に向かうのだった。




