【完結御礼】追加エピソード ダイエット
物語は完結しましたが、コミックのSS用に作成した原稿が見つかりましたので、御礼も兼ねて掲載します。楽しんで読んでいただければ幸いです!
クレイリーファラーズは一見すると、不機嫌の絶頂にあるような表情を浮かべていた。確かに、今の彼女は不快の頂点にはあったが、それ以上に、心の動揺が抑えられずにいた。
その視線の先には、まるで引きちぎられたかのようにビリビリに裂けたベルトがあった。いつも彼女が着用しているもので、それなりに強い皮で作られている。それがこのように裂けるとは、相当の力が加えられたと言ってよかった。
どうしてこのようなことになったのか。それは、クレイリーファラーズが大きなくしゃみをした際に、ブチッという不快な音がした。気がつくと、腰のベルトがこのような形になっていたのだ。
認めたくはないが、認めざるを得なかった。……太った、という事実を。
彼女は大きなため息をつくと、力なく椅子に腰を下ろした。薄々感づいてはいたのだが、気のせいだと思っていた。だが、どうやらそれは、気のせいではないらしい。
絶望に打ちひしがれていたそのとき、キッチンからノスヤが現れた。彼は嬉しそうな表情を浮かべながら口を開いた。
「クレイリーさん、成功しました! 大成功ですよ! 我ながら美味くできました。ちょっと食べてみてください。タンラの実で作ったジャムです」
彼はそう言ってテーブルの上に壺を置いた。中からは甘い香りが漂っている。クレイリーファラーズは勧められるまま、壺の中のジャムを指で掬って口の中に入れた。
……上品な甘さだ。嫌いではない。むしろ、ドストライクの甘さだ。焼いたパンにつけて食べると、絶品の味になる。彼女はそんなことを考えていたが、ふと、我に帰ると、力強く首を左右に振った。
「あれ? 気に入りませんか? そんなことはないでしょ? クレイリーさんの大好きな甘さだと思いますけれど」
「……その甘さが問題なのです。これって、砂糖を使っていませんか?」
「ええ、使っています。ジャムですから」
「それって、ひとさじ、ふたさじくらいの量ですか?」
「そんなわけないでしょ。ジャムですから、結構な量の砂糖を使いました。あれ? 甘さが足りませんでしたか?」
「そうじゃない! 大事なところはそこじゃない!」
突然、怒りを爆発させたクレイリーファラーズに驚いたのか、ノスヤは若干慄いている。
「いりません、こんなジャム。すぐに捨ててください」
「ええっ!? 捨てろだなんて……。一体どうしたのです?」
予想もしていなかった言葉に戸惑っているのか、ノスヤは目を白黒させている。そんな彼にクレイリーファラーズは沈痛な面持ちで口を開く。
「あの……。正直に答えてもらっていいですか? 正直に、です」
「……何でしょう」
「オホン。気のせいかもしれませんけれども、いや、たぶん、おそらく、きっと、気のせいだと思うのですけれども。……私って、少し、太りました?」
「……ええ。かなり」
「言葉オブラートに包めやぁ!」
「正直に言えって言ったじゃないですか!」
「言い方ってものがあるでしょう! 天巫女ちゃんに、女性に、そんなことを言うなんて、あなたどれだけデリカシーがないのですか! どんな教育を受けて来たのですか!」
「やかましいわ! 正直に言えっていっておいて、何だその言い草は! そりゃ太るだろう。運動もせずに毎日食っちゃ寝をしやがって。それだけならまだしも、俺の食べる分まで食べるし、挙句の果てには、ワオンのエサにまで手を出そうとしているじゃないか! それだけ食べりゃ誰だって太るよ!」
「わかりました。そこまで言うのならわかりました。では、明日から体重が減る食事にしてください。ただし、私のお腹が減らないように。味も薄味にせずに、今まで通りにしてください」
「……無理だな。諦めろ。痩せたきゃ体を動かせよ。毎日走るとか、歩くとか」
「激しい運動は無理です」
「……ヴィヴィトさんの手伝いをするとか」
「だから、体を動かすのは無理ですって。筋を痛めちゃいますから」
「……バードウォッチングは? 森の中を歩いて鳥を観察する。趣味と実益を兼ねて一石二鳥では?」
「動いたら鳥が逃げちゃうでしょ? わかってないなぁ」
「……では、食べたいものを食べたいだけ食べて痩せる、というのは?」
「いいね、それ。詳しくお願いします」
「甘いもの、油もの、あなたの好きなものを毎日好きなだけ食べるのです」
「ふんふん、それで?」
「それを毎日続けると、おそらく体を悪くするでしょう。食欲がなくなるくらいに体を悪くすれば、自然と痩せるようになりますよ」
「そんなことをしたら死んじゃうじゃないですか!」
「ほう、天巫女ってのは、死んじゃうものなのか?」
「この野郎、言わせておけば調子に乗りやがって!」
クレイリーファラーズの怒りは頂点に達していた。本気でこの青年を殴ろうとした。握りこぶしを振り上げようとしたその瞬間、屋敷の扉が開いて、ハウオウルが入室してきた。
「ご領主、おいでかの? ……一体、何をしておるんじゃな?」
彼の目の前には、拳を振り上げた女性と、それを避けようとしている青年、そして、口を大きく開けて今にも飛びかからんとする仔竜の姿があった。
「ああ、先生。いらっしゃい」
ノスヤがハウオウルに気がついて彼の傍に向かう。ワオンもそれに倣ってノスヤについてきたが、彼女はそのままハウオウルを通り過ぎて屋敷の外に出て行った。
「あの仔竜は……大丈夫じゃろうか」
「ええ、心配いりません。きっと、気を利かして外してくれたのでしょう。ところで、今日はどうされましたか?」
「いやなに、散歩をしておったら、お屋敷から女性の怒鳴り声が聞こえてきたので、何事かと思って来てみたのじゃ」
「それは……すみませんでした。実はですね……」
ノスヤから事のあらましを聞いたハウオウルは、顎髭を撫でながら何度も頷いた。
「なるほど。痩せたいが動くのはイヤじゃと。うむ、じゃが、ご領主の言われる通り、病になって、患って痩せるというのも一つの手段じゃ」
その言葉に、クレイリーファラーズは殺意を込めた目で老魔導士を睨みつけた。
「まあ、聞きなされ。何も本当にお嬢ちゃんの体を悪くして、寿命を縮めてまで痩せろとは言わん。言わばほれ、恋煩いじゃ。好きな男を作りなされ。そうすれば食事も喉を通らなくなる。痩せるし、恋をすると女性はキレイにもなると言うじゃろう。一挙両得じゃぞ」
「……つまんねぇこと言ってんじゃねぇよ、ジジイ」
「何か、言ったかの?」
「なんでもありません」
クレイリーファラーズはそう言うとフンとそっぽを向いた。ハウオウルはノスヤと顔を見合わせると、両手を挙げて首をすくめた。
「にゅー」
不意にワオンが戻ってきた。見ると口に草を咥えている。ハウオウルはそれを手に取ると、じっと見つめた。
「これは……リラリル草ではないか。ほほう、この仔竜はやはり賢いな。ご領主との話を理解しておったのだ。お嬢ちゃん喜べ、この草を舐めれば、間違いなく痩せられるぞい」
クレイリーファラーズは訝りながらも、リラリル草と呼ばれるものを受け取った。一見するとどこにでも生えている雑草のようなものだが、すこし黄色がかっている。
「……毒じゃないでしょうね」
「毒ではない。嘘だと思うなら、ひとつ、舐めてみなされ」
クレイリーファラーズは恐る恐るその草を舌で舐めた。
「……何の味もしない」
「ホッホッホ。これで、痩せられるの。よかったの、お嬢ちゃん」
後でわかることだが、この草は味覚を失わせる効果があり、クレイリーファラーズはその日から二週間、味のない生活を送った。そのお陰で、彼女の食欲は見る間に減っていき、味覚が戻るころには、元の体型を取り戻していた。
「今度は失敗しませんから。さて、この間食べ損ねた、アレを出してください?」
「ああ、タンラの実のジャムですか? とっくに食べてしまいましたよ。めちゃくちゃ美味しかったですよ。な、ワオン?」
「きゅー」
「……今すぐ作ってよ」
「もうタンラの実が残っていないですよ。来年まで待ってください」
クレイリーファラーズの顔が蒼白になっていた。それを見たノスヤは、ワオンを抱いて素早く部屋を出て行った。その脇には、小さな壺を抱えていた……。




