第三百九十話 大丈夫という確信
翌日は、結構早くに目覚めてしまった。
いつも隣にいるヴァッシュの姿はない。彼女は王女様と同じ部屋で寝泊まりしている。大きく空いた左側には、ワオンが静かな寝息を立てている。
王女様にはヴァッシュの他にパルテックも付いている。この宿で一番広い部屋なのだが、ベッドは二つしかない。一台に王女様に寝ていただき、もう一つのベッドにヴァッシュとパルテックが寝るのだそうで、きっとヴァッシュとパルテックは十分な睡眠をとれていないかもしれないな、などと考える。きっと、王女様も同じである可能性もある。
「きゅぅぅぅん」
ワオンが目を覚ましてかわいい鳴き声を上げる。俺の腕に頭をすりすりして甘えてくる。彼女の頭をなでてやると、嬉しそうな鳴き声を上げている。こうして見ていると、ドラゴンではなく、猫のような感覚を覚える。こんなにかわいいワオンが将来、ドラゴンに成長するなどとは想像もできない。
しばらくワオンと戯れていると、目が覚めてしまった。窓から外を見ると、それなりに明るくなってきている。朝食でも食べに行くかと服を着替えて外に出た。すると、どういうタイミングのよさだろうか、ハウオウル、ヴァッシュ、パルテック、王女様も同じように部屋から出てきた。思わず笑い声をあげてしまった。
王女は相変わらず片目を髪の毛で隠している。特に違和感はない。冒険者の女性でもこんな感じの人がいる。あ、クレイリーファラーズもこんな感じと言えばこんな感じだ。
と、そのポンコツ天巫女がいないことに気がつく。きっと、部屋で爆睡しているのだろう。あのひとは、いつでもどこでも眠ることができてしまう。これはある意味ですごい才能だと思う。
どやどやとみんなで階段を降りる。てっきり食堂に向かうのかと思っていたら、ヴァッシュはそのまま宿の外に出てしまった。一体どうしたことだと思いながらも、彼女の後ろについていく。
宿の外は喧噪に包まれていた。
まだ明け方だと言うのに、色々な人々が行き交い、馬車や荷車なども通り過ぎていく。これから広場ではじまる市に出る人だろうか、一生懸命荷車を引いている人がゆっくりと俺たちの前を通り過ぎていく。
ヴァッシュはゆっくりと振り向くと、王女に向けて口を開く。
「ね。誰も私たちを見る者はおりませんでしょ?」
彼女が何を言おうとしているのか俺にはわからなかったが、黙ってその話に耳を傾ける。
「この町にいる者たちは、私たちのことに一切関心がありません。それはそうです。みんな、私たちのことを知らないのですから。ですから王女様も、人の目を気にすることはございません。あなた様は、私どもといる間は、あなた様らしく生きればよろしいのです」
彼女の言葉に、王女はゆっくりと頷くと、顔の半分を覆っていた髪の毛をスッとたくし上げた。その様子を見たヴァッシュは、満足そうに大きく頷いた。
「さ、朝食にしましょう」
彼女はそう言って中に入っていく。その彼女の後に続いた王女の顔は、実に穏やかなものだった。
◆ ◆ ◆
ヴァッシュは、この町の人々は私たちに関心はないと言っていたが、そんなことはない。王女が醸し出す上品さがハンパではなく、一見してただ者ではない雰囲気を纏っていた。だが、ヴァッシュと並ぶと、二人は良家のお嬢様のように見えたし、なにより、傍にパルテックとハウオウルがいるお蔭で、この二人が爺やと婆やのように見えて違和感が無くなっていた。どうも俺自身が浮いているように思えてならないが、きっと俺はこの二人のお嬢様の従者のように見られているのだろう。
王女は積極的に喋りはしないが、聞かれたことに対しては頷いたり、短く返事をしたりするなどして反応を示した。出された食事もきちんと食べているのを見て俺は、この女性はもう大丈夫だろうと確信した。
常に人の目に晒され続け、期待され続けて、あの城の中では居場所がなかったのだろう。王女に生まれてしまったばっかりに、やりたいこともやれず、言いたいことも言えず、食べたいものも食べられなかったのではないか。特にプライバシーは全くなかったのは容易に想像ができる。心無い言葉を浴びせられたことも、一度や二度ではなかっただろう。そんな環境であるにもかかわらず、後宮には多くの女官がいるが、心を許せる人は一人もいなかったのではないか。彼女が部屋にひきこもり続けたのは、そうした環境へのせめてもの抵抗だったのではないか。俺は彼女を見ながらそんなことを考えていた。
俺なんかよりはるかに辛い状況の中で生きてきた方だ。何とか、俺たちと一緒にいる間は楽しい時間を過ごして欲しいなとは思うが、そのうち彼女は城に戻らねばならない。そうなったときに、元の木阿弥にならないように対策を立てる必要がある。そこは、シーズに一度、相談してみることにしよう。
食事が終わると、出発するために荷造りをしなければならない。皆で集合時間を決めて部屋に戻る。だが、相変わらずクレイリーファラーズの姿は見えない。ハウオウルが部屋の前で心配している。倒れているんじゃないかと言う彼に対して、俺は心配ないでしょと言うが、彼はやはり心配らしい。
「部屋を覗くわけにもいかんからの。パルテック殿に……」
「確かめる方法が一つあります」
「ほう」
「オホン、ちょっとごめんください……。い~しや~きイモぉ~。おイモぉ~」
「おイモぉ?」
部屋の扉が勢いよく開かれ、寝癖だらけのクレイリーファラーズが姿を見せた。




