第三百八十八話 メリット
ドルトムントが王都へ送還する命令が出たとの報告は、すぐさま王都に伝えられた。宰相メゾ・クレールは懸念を露わにした。
だが、その彼を説得したのは、誰でもない、ノスヤの兄であるシーズだった。彼は全権を弟に預けたのであれば、彼の判断に従うべきであると主張した。そして、
「宰相様も、我が弟の人格はよくご存じのはずです。あの、気弱で優しい男が強制送還を命じたのです。相当のことが起こったのだと推測します。いま、我々はドルトムント殿の報告しか手元にありません。もし、ご懸念があれば、ノスヤに命じて今回の顛末を報告させるべきです」
彼の言葉には一切の曇りもなかった。その言葉を聞いて宰相メゾ・クレールはいつもの笑みを浮かべて、大きく頷いたのだった。
◆ ◆ ◆
ドルトムントが悪態の限りと尽くしてその場を去ってすぐ、俺たちは王女様の部屋に向かった。相変わらずベッドにはカーテンがかかったままだ。
「王女様、よろしいでしょうか」
「……」
「これから出発いたします。出発いたしますが、ドルトムントはおりません。ご安心ください」
ベッドの中からは相変わらず返事がない。俺はそのまま言葉を続ける。
「それともう一つ。王女様がこれからラッツ村まで旅をするにあたり、こうした貴族のお屋敷には泊まりません。その点、ご了承ください。数日の間は、町の宿屋で宿泊する予定です。むろん、宿の状況や安全性には十分注意を払いますので、その点はご安心ください」
「……」
「なぜ、庶民の町に宿泊するのか、疑問をお持ちでしょうか? 一つ、大きな理由としましては、町の宿の方が都合がよいからです。王女様の顔を知る者は誰一人としていないからです」
「……」
「従いまして、ドルトムントのように、王女様に対して、やれ国の未来だの、国家がどうのなどとプレッシャーをかけてくる者はおりません。どうぞ、これからの旅は、そうしたことを忘れて、一人の女性としてこの国を、旅を、お楽しみください」
「妾は……」
「はい」
「妾は、何をすれば、よいのじゃ」
「何もする必要はございません。景色楽しみ、美味しい食事を召し上がっていただければよろしいのです」
「そんなことが……」
「大丈夫です。私が、すべての責任を、持ちます」
責任を持てるかどうかなんてわからない。シーズから王都に帰って来いと言われれば帰らなければならない。でも、俺は、いま、このときだけは、こういう言葉が必要だと確信していた。
「これから先のことは、私の妻であるヴァシュロンとパルテックがお世話をいたします。彼女のことは、ヴァッシュとお呼び捨てください」
「ノスヤ・ムロウス・ユーティンの妻、ヴァシュロンでございます。大丈夫でございます。これからは、私とパルテックが、王女様をお守りいたします」
そう言って彼女はスッと膝を折った。ベッドの中からは相変わらず言葉はないが、先ほどまでとは雰囲気が違っていた。どうやら、俺の言葉に戸惑っているようだが、悪い感情は抱いていないように見受けられた。
「では、出発の準備をしましょうか」
ヴァッシュはそう言ってパルテックに視線を向けた。彼女は心得たとばかりに部屋を出ていく。その様子を見た彼女は再び俺に視線を向け、小さな声で呟いた。
「お風呂にお湯を入れて欲しいの。少し、熱めで。できる?」
もちろんさ、と俺はバスルームに向かう。そこには大きな盥と、風呂桶のような小さな盥が数個が置かれていた。その大きな盥に熱めのお湯を注ぎ入れていく。
ヴァッシュが後ろから覗き込んでいる。こんなもんでいいかと視線を向けると、彼女は大きく頷いた。
「まずは、皆の準備を急いでちょうだい。こちらも、準備ができたら呼ぶわ。私が呼ぶまで、この部屋に入ってくるのは禁止ね」
そうして俺たちは、王女の部屋から閉め出された。
俺は自室に帰ると、出発の準備を始めた。特に大きな荷物はないので、準備はすぐに終わった。ヴァッシュの荷物はなくなっていた。恐らくパルテックが持っていったのだろう。そんなことを考えていると、扉がノックされ、クレイリファラーズが入ってきた。
「ちょっと相談があるんですけど」
「いまは、間に合っています」
「聞けよ、粗チン」
「俺が粗チンかどうかなんて、知らねぇだろうが」
「うるせぇ! 私の言うことを聞け!」
いつになくキレている。一体どうしたと言うんだ?
「これから先のことですけれど、私、あのジジイと一緒の馬車に乗るのは、絶対にイヤですから」
「何で。別にいいじゃん」
「絶対にあのジジイは一線を越えてきますよ! 逃げ場のないあの馬車の中で襲われたらひとたまりもありません。どうせあの小娘とババアは、ポンコツ王女の馬車に乗るんでしょ? だったら私はあなたの馬車に乗りますから。いいですね!」
「……あんまりそう言うこと言わない方がいいぞ? 王女様はあなたにとってもメリットがある方だから」
「私メリットぉ? あるわけないでしょ」
「そうかなぁ……。相手は王女様ですから、彼女の命令は基本的に俺は聞かなきゃいけません。もしあのお方がからあげを食べたいと言われれば作らなきゃいけませんし、スィートポテトが食べたいと言われれば作らなきゃいけません。王女様と仲良くなっておけば、メリットありません?」
俺の言葉にクレイリファラーズはなるほどと頷くと、ニヤリと下卑た笑みを浮かべた。
「そうですね……。調教してみるか」
……やめなさいよ、そんなこと。




