第三百八十六話 宿泊
馬車は町の宿屋に止まるのかと思いきやそこを通り過ぎてしまった。一体どこに連れて行くのかと不安になったが、向かったのは大きなお屋敷だった。聞けばこのあたりの領主の館だそうで、なるほど確かに王女を宿泊させるのに、町の宿屋というのはいかにもない話だなと苦笑いしてしまった。
馬車は正面玄関の前で止まった。馭者が扉を開けてくれたのでワオンを抱っこしながら降りる。ハウオウルらも降りてきた。
「ユーティン侯爵閣下、お待ちしておりました。私は、ザエル領領主、カサルク・フィン・ザエルと申します。以後お見知りおきを」
初老の男性が待っていて、両手を広げて俺たちを迎えてくれた。その後ろには赤いじゅうたんが敷かれ、メイドたちが両サイドに並んで控えていた。
だが、王女の馬車からは誰も降りてこない。と、ドルムントが馬車か降りてきて、領主の傍に近づくと、何やら耳打ちをした。領主は驚いた表情を浮かべたが、やがてメイドたちを連れてすごすごと屋敷に入ってしまった。
「王女様には裏口からお入りいただきます」
ドルトムントはそう言うと、王女の馬車に何やら指示を出し、自分も今乗ってきた馬車に乗り込んだ。とりあえず俺たちも馬車に乗り込んで、その後ろをついていく。
裏口というのは、玄関からそう遠くないところにあった。扉は開け放たれているが、誰もいない。何とも珍しい光景だなと思いながら馬車を降りると、ドルトムントはすでに王女の馬車の前に立ち、扉を開けるところだった。
王女に向かって何かを言っているが、中から反応らしきものはない。チラリと耳に入ったが、ドルトムントの言葉はやや高圧的だ。何もそんな言い方をしなくてもいいだろうにと思いながら傍に近づくと、彼は俺から少し距離を取って控えた。
「王女様が降りて来られません」
……でしょうね、という言葉を飲み込む。そんな言い方じゃ、怖いよと心の中で呟きながら馬車の前に立つ。そこは大きな分厚いカーテンで覆われていた。
「姫様、本日の宿に到着しました。大丈夫です。俺たちの他に、人はいません」
しばらくすると、カーテンの隙間からスッと指が見えた。これは……姫の指、か? あれ? 爪は……切ったのか?
ゆっくりとカーテンが開く。長い金髪で顔を隠している。海外版の〇子だ。そんなことを心の中で呟く。
王女が馬車のタラップに足を乗せて、ゆっくりとその姿を現した。キョロキョロと周囲を見ている。ふと、俺を見て動きが止まった。どうやらヴァッシュらのことを観察しているようだ。
ふと、臭気が鼻をくすぐる。服は何とか王女らしい服に改めているが、風呂には入っていないらしい。何とも言えぬニオイが鼻についてきた。
「んきゅう」
俺に抱かれているワオンが思わず顔を背ける。俺に抱き着いてきて、俺の胸に顔をうずめている。
「うわっ!」
王女が思わず声を上げた。それはそうだ。俺は無詠唱でクリーンの魔法を彼女にかけていた。ちょっと魔力を込めすぎたので、結構な光が出てしまった。驚かせてしまったのは悪かったが、お蔭でニオイは消えた。
「さあ、姫様、中へ!」
ドルトムントが苛立ちを隠しきれずに口を開く。彼はそのまま裏口から中に入っていった。
「さ、姫様、ご案内します。ここにいる者たちは、みな俺の仲間です。安心してください。あ、そうでない者も、いますれどね」
そう言って俺は勝手口に視線を向ける。王女からプッという音が聞こえる。どうやら笑っているようだが……。クレイリファラーズが何故か俺から視線を逸らせた。まさかアンタ今、オナラをしたんじゃないだろうな。
そんなことを考えながら、ドルトムントの後を追う。王女も静々と後ろをついてくるが、相変わらず顔を隠したまま黙っている。その彼女の後ろからヴァッシュらも付いて来る。廊下には誰もいない。さっきの侍女さんたちはどこに行ったのだろうか。廊下を曲がると、ドルトムントが部屋の扉を開けて待っていた。どうやらそこが王女の部屋であるらしかった。
俺たちは促されるままに部屋に入る。応接室のような部屋だ。奥に扉がある。どうやらあの向こうに寝室があるらしい。この世界の貴族の部屋というのはどうもこういう作りが一般的なのだなと思っていると、ドルトムントが出し抜けに口を開いた。
「この奥が王女様のお部屋になります。どうぞ」
そう言って扉を開けると、そこには部屋の真ん中に天蓋付きの大きなベッドが設えられていた。周囲はカーテンで囲われている。王女はスタスタとそこに向かうと、ベッドの中に入ってしまい、その姿を隠してしまった。
「よろしいですか。この隣の部屋。すなわち、あちらの扉からお手洗いとバスルームがございます。ご自由にお使いください。それに、食事は先ほどの部屋に届けさせますので、お好きな時にお召し上がりください。私は翌朝、食事が終わった頃に検診に参ります。では」
そう言って彼は踵を返して、部屋を出て行ってしまった。先ほどまでとは打って変わって、シンとした静寂が訪れていた……。
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