第三百八十三話 じゅんけん
馬車の車窓から外を眺めていると、色々な発見があって、意外と楽しかった。前回、ニタクの屋敷を訪問したときと同じルートを通っているはずなのに、初めて通る道の感覚がしてならなかった。
ニタクの屋敷は、貴族の居住区域の中でもかなり端っこの方にある。これはつまり、身分の高い者が城に近い場所に住むよう定められているため、子爵たるユーティン家は必然的に城から離れた場所に住居が定められている。ちなみに、公爵たるシーズの屋敷は、城とは目と鼻の先にある。ここは、彼が公爵に叙せられる前から住んでいるので、かなり以前からこの王国の中で高い地位を占めていたようだ。それにしてもあの男はどうやってあそこまでのし上がったのだろうか。単に優秀だったからというわけではないだろう。色々と墓場まで持っていかねばならないことも多く抱えていることだろう。彼の半生はもしかすると、小説のモデルになる程、ドラマチックなものなのかもしれない。
この貴族の居住区は意外に道が狭い。前回もここを通っているはずだが、そのときは道の狭さなど感じなかった。それだけ余裕がなかったのだろう。まあ、今でも十分余裕はないのだが。
見たところ、道は馬車一台が通ることができる程度の広さしかない。逆方向から馬車が来たらどうするのか。やはり、身分の高い者が優先されて、身分の低い貴族は道を変えるか、下手をすれば今来た道を戻らねばならないのだろうか。道自体も一本道ではなく、何度も曲がらねばならい。別の馬車とぶつかるとかなり大変なことになるな、などと考える。
こうして道を複雑にし、狭くしているのはつまるところ、敵の侵入を防ぐためであることは理解できた。こうしておくことで大軍が攻め寄せてきても城に近づきにくくしているのだ。まあ、町全体が焼き払われてしまえば、その努力は無駄になってしまうのだが。
後で聞いた話だが、貴族の居住区閣は基本的に一方通行なのだそうで、余程間抜けなことをしない限りは、馬車同士が正面でぶつかり合うことはないのだそうだ。例外的に、シーズの屋敷周辺は道路も広く、一方通行ということはない。おそらくこれは、ここに軍勢を集結させるつもりでこんな作りにしたのだろう。つまりは、あの屋敷が王宮防衛の最終ラインというわけだ。
馬車は一旦貴族区域を出て、一般市民が住む居住区に向かう。そうした方が道も広いために、ニタクの屋敷に早く着くことができるからだ。貴族の居住区を離れるとすぐに周囲がやかましくなる。車窓からはいわゆる喧噪ともいうべき光景が広がっている。
多くの人が行き交い、色々な店が並んで実に賑やかだ。美味そうな肉を焼いている露店などもある。人ごみは苦手だが、見ている分には大いに楽しめる。ワオンも俺の傍で前足を窓にかけて外を眺めている。尻尾を振って、実に楽しそうだ。
程なくして馬車は再び貴族の居住区に入る。すると再び、先ほどの騒々しさが嘘のように消えて、辺りは不気味な程の静寂に包まれる。そうしているうちに、馬車はニタクの屋敷に着いた。
「どれ、儂が先ぶれをしてこようかの」
ハウオウルがそう言って門の前に立つ。すぐに扉が開き、中から女性が顔を出す。ハウオウルはその女性に何かを伝えている。
「……じゅんけん、と言えばいいです」
突然、クレイリファラーズが小さな声で話しかけてきた。ヴァッシュとパルテックは俺の前に控えていて、この天巫女の動きに気づいていない。俺は二人に気づかれないように、小さな声で呟く。
「じゅんけん、ってなに?」
「面倒臭くなったら、じゅんけんである、と言えばいいです。それですべてが解決します」
彼女はそう言うと、スタスタとハウオウルの許に歩いて行った。
程なくして俺たちは屋敷の中に通された。先ほど門前で応対した女性が先導している。この間来たときには見なかった人だ。途中、この家の執事長のギルガが出迎えてくれた。言葉は発することなく、ただ神妙に彼は頭を下げただけだった。
前回は応接室に通されたのだが、この日はそこを通り過ぎて、さらに奥の部屋に向かった。こんなところにも部屋があったのだな、などと妙に感心してしまう。
「失礼します」
女性はそう言って扉を開けた。そこは意外と広い部屋で、その奥には少し大きい暖炉があり、一脚のロッキングチェアが置かれていた。そこには、長いひげを蓄えた、頭の禿げあがった小柄な老人がゆっくりと揺られていた。着ている赤のガウンが何ともまぶしい感じがする。
その左隣にはニタクが立っていて、俺たちを睨んでいた。そうそう、こういう感じの人だった。あまり関わり合いを持ちたいと思う人ではない。ということは、この小柄な老人が、ノスヤの父上ということか……。
「旦那様、西キョウス地区統監、ノスヤ・ムロウス・ユーティン侯爵閣下がお見えになりました」
女性がそう言って頭を下げる。
誰も言葉を発しないので、妙な沈黙が訪れる。俺も何と答えてよいのかわからずにキョロキョロしていると、突然老人が口を開いた。
「何を持って参った」
「え? 何を?」
「土産じゃ」
「土産……?」
「まさかお前は手ぶらで来たのではあるまいな? ……その様子では図星か。全く……昔からグズなのは変わっておらんな。父に会いに来るというに、何も持って来んとは。……ああ、今すぐ帰れ。帰って土産を持ってこい。お前のようなグズには何をもってこればよいのかもわからんだろう。とりあえず、金貨だ。金貨をあるだけ持ってこい。最低でも百枚は持ってこい。なければシーズや他の貴族から用立ててもらえ。統監の地位にあればそのくらいすぐに集まるはずだ。すぐに行け、このウスノロが」
……久しぶりに会う息子に言う言葉ではない。……面倒くさいな、この爺さんは。
「本日は、じゅんけん、で、ある」
思わずそんな言葉が口をついて出た。ああ。クレイリーが言っていた言葉を早くも使ってしまった。えらいことを行ってしまったなと思ったそのとき、老人とニタクの顔色がサッと変わった。
「うううう」
老人が言葉にならない声を出しながら椅子から立ち上がり、俺たちに向かって深々と一礼した。これは、一体、何が起きたんだ?




