第三百七十八話 お召し②
車寄せに馬車は止まる。その直後、扉が開かれて、シーズはサッとそこから降りていく。俺も彼の後に続く。兵士たちが直立不動の姿勢でシーズに挙手の礼を取っていた。シーズはその兵士たちに右手を挙げて応えながら王宮に入っていく。
誰の案内も受けずにシーズはスタスタと長い廊下を歩いて行く。途中、数人の兵士たちとすれ違うが、皆、驚いた表情を浮かべながら直立不動の姿勢を取る。それほどまでにこの男が怖いのだろうか。まあ、確かにそうなのかもしれない。この男の機嫌を損ねると、色々ややこしいことになりそうなのは、この俺でもわかることだ。
相変わらず王宮内は迷路のような作りで、右へ左へと曲がっていく。もうすでに俺は一体ここがどこなのかがわからなくなっている。程なくして、見覚えのある場所に出てきた。そうだ。後宮の入り口だ。
シーズが到着すると、大門の隣にある小さな門が開き、あの初老の女性が出てきた。まるで打ち合わせをしていたかのような、無駄のない動きだ。いや、きっと、門のどこかに穴があって、そこから覗いていたのだろう。
シーズと女性は何やら話をしているが、小声のため聞こえない。まあ、俺を連れてきたと言っているのだろう。
女性が俺の前に歩いて来て、スッと腰を折った。俺も慌ててお辞儀をする。顔を上げると、女性の姿はそこにはなく、小さな門をくぐって中に入るところだった。
「後で報告に来い」
シーズがすれ違いざまに小声でそんなことを言った。イヤだと腹の中で呟くが、イヤとはいえない。俺は無言のまま小門をくぐった。
相変わらず女性は喋らない。ゆっくりと廊下を歩いて行く。俺も無言のまま彼女に付いて行く。ほどなくして、廊下の突き当りに扉が見えた。あの、お姫様の部屋だ。
「王女様。西キョウス地区統監、ノスヤ・ヒーム・ユーティン様がお見えになりました」
女性は扉の前でそう言うと、ノックもせずに扉を開けた。ガチャリとノブを廻す音が腹にズンとくるような重みがある。そのまま中に入ると、もう一枚の扉がある。女性はその前で立ち止まると。しばらくの間動かなくなった。
五秒間くらいそうしていただろうか。どうしましたと声をかけようとしたそのとき、女性はトントンと扉をノックした。中から返答はない。だが女性はそのまま部屋の扉を開けた。
部屋の正面の窓から朝日が差し込んでいてまぶしい。前回訪れたときは、窓にはカーテンがかかっていて、薄暗かったし、俺もテンパっていて、部屋の中を見る余裕はなかったが、今回は二回目ということもあり、部屋を見廻す余裕も出てきた。
一見して、女性の部屋には到底思えなかった。左手に天蓋付きのベッドがあり、右手に机と鑑と椅子。その隣には、クローゼットだろうか。バカでかい家具が置かれていた。ただし、それらには金で見事な細工をされていて、それが朝日に反射して、何とも言えぬ雰囲気を醸し出していた。それは不気味でもあり、神々しくもあった。
ベッドには薄いレースのようなカーテンがかかっていて、中の様子を知ることはできなかった。そのとき、女性が口を開いた。
「お見えになりました」
いかにも事務的な、一切感情のない言い方だった。俺がここに来たことに関して、不安も期待も、何にもないと言わんばかりの態度だ。
女性は一礼すると踵を返し、スタスタとその場を後にしてしまった。俺の後ろでパタンと扉が閉まる音がする。
……シンとした不気味な静寂が訪れる。きっとあのベッドの上に王女はいるのだろう。きっと、そこから俺を眺めて観察しているはずだ。呼んだはいいが、どう声をかけていいのかわからないのではないか。こういう場合、俺だったどうするだろうか。
「そなた……」
ベッドの中から声が聞こえた。小さくはあるが、確かに、女性の声だ。俺は一言も聞き漏らすまいと、耳に精神を集中させる。
「大丈夫、だと、申した、な」
「……はっ、はい。申しました」
「どうする」
確かに王女は今、どうする、と聞いた。俺にはそう聞こえた。その意味がよくわからずに、一瞬狼狽える。いや、ここは間違ってもいいから全力で答えを返すべきだと自分に言い聞かせて、勇気を奮い立たせた。
「そ、外に、出るといいですよ。俺も同じような状況でしたけれど、ラッツ村に行って、農地を見て廻り、農家の方と話をして、町の人たちと話をして、美味しいものを食べると、気持ちが、本当に、楽になります。今の状況は難しいかもしれませんが、朝は太陽の光を浴びて深呼吸する、それだけでも違います。よかったら、ラッツ村にいらっしゃいませんか。いいところです。人もいい人ばっかりです」
自分で言っておいて何だが、何を言っているんだろう、俺は。王女にラッツ村に来いと言ってしまった。荒唐無稽な話だ。そんなことができるわけがない。ああ、ヤバイ。シーズに怒られる。いや、それどころか、もっとドえらいことになるかもしれない。ああ……お腹が痛くなってきた……。
「キャハハハハハハハハハ~」
突然ベッドの中から、頓狂な笑い声が聞こえてきた。これは……どうしたことだ?




