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第三百七十五話 かける言葉なし

絶句したまま、何も言えない俺の隣で、女性は大きなため息をついた。もう、何度もこうしたやり取りが繰り返されてきたのだろう。この女性の心境も、俺には痛いほどよくわかった。


「さ、姫様、おいであそばしませ」


ただ、言葉を発しているだけで、何の感情もない。ベッドの下からは一切の物音がしない。息を殺して、彼女と俺が諦めて立ち去るのを待っているのだろう。その気持ちも、俺には痛いほどよくわかる。俺が彼女の立場ならそうするし、実際、前世のときにはそうしていた。俺の部屋の前にいろいろな人たちがやってきては、いろいろなことを言った。だが俺は部屋に鍵をかけ、扉が開けられぬように必死で扉を抑えていた。外ではやれ、人生がどうのこうの、これから先のことがどうのと言っていたが、そんな話を聞くたびに、俺はこの扉を開けたら最後、死ぬしかないとまで考えていた。


きっと彼女もそう思っているに違いない。もしかすると、力づくで引き出されたこともあるかもしれない。そして、死ぬの何のと大騒ぎしたこともあったのかもしれない。


「さ、姫様」


女性がゆっくりと座り、ランプをベッドの下に持っていこうとした。


「やめてください」


思わず声が出た。まさか、そんなところで声を掛けられるとは思わなかったのだろう。女性は意外だと言わんばかりの表情を浮かべた。


「もう、大丈夫です。大丈夫です」


女性は無表情のまま立ち上がると、スタスタと部屋を出ていこうとした。どうやら俺の言葉を、この状況から離れたいと解釈したようだ。


「あの……失礼を顧みずに部屋に入ってしまいました。すみません」


女性の足が止まる。ゆっくりとこちらを振り返っている気配がしているが、俺は目の前のベッドに視線を向けたままだ。


「気持ち……わかります。俺には、よくわかります。辛い……ですよね……。何とかしたい、ですよね。でも、自分ひとりの力じゃどうにもならないですよね……。その気持ち、わかります。俺も同じ状態だったので、わかります。俺なんかより、はるかに辛い状況だと思いますけれど……。その辛さは、俺は、わかります」


「恐れ入りますが……」


女性が口を開いたが、途中で絶句した。てっきり早く部屋を出て行ってくれと言われると思っていたのだが、どうして言葉を途中でやめたのか。不思議に思って振り返ってみると、なんと、後ろに控えていたクレイリーファラーズがその女性を睨んでいた。いや、睨んでいるというのは語弊がある。ただ、じっと彼女を眺めているだけなのだが、その雰囲気は思わず息をのむ迫力があった。


「あの……でも、大丈夫です。根拠はないのですけれども、大丈夫です。きっと、大丈夫です。思ったほど、捨てたものじゃないですよ。だから、大丈夫です。大丈夫です」


伝わるかどうかはわからない。ただ、俺がひきこもっていたときにこんな風に声をかけてもらえたら不安が少しは軽減されると思う言葉を話してみた。これで、彼女の心が少しは楽になればいいのだけれど……。


「とりあえず、俺たちは下がります。突然押しかけて、申し訳ありませんでした」


そう言って俺は振り返る。そこには、さも迷惑そうな表情を浮かべた女性と、ヤレヤレと安心した表情を浮かべたクレイリーファラーズの姿があった。


早々にここを出ましょうという素振りを見せながら、その場を後にする。部屋を出たところでふと立ち止まる。さっきまで俺たちを案内してくれた、あの女性の姿がない。どこへ行ったのかとあたりを見回していると、クレイリーファラーズが部屋の中を指さしている。見てみると、あの女性はランプを掲げたまま、お姫様の部屋の前で立ち尽くしていた。


一体どうしたのかと、彼女の傍まで行くと、何やら奇妙な音が聞こえる。一体、何の音だと耳を澄ますと、思わずあっ、という声が出そうになった。


……それは、女性の鳴き声だった。声を殺して泣いているのだが、それでも、殺しきれない声が漏れていた。ふと見ると、その女性も、ランプを手に持ったまま、頬に涙が伝っていた。


「……とりあえず、出ましょう」


そう言って俺は女性を促す。彼女は涙をぬぐいながら、黙って踵を返した。


女性はずっと無言のまま廊下を歩き続けた。俺も、クレイリーファラーズも、彼女には声をかけなかった。いや、少なくとも俺には、かける言葉がなかった。


お姫さまも苦しんだだろうが、この女性も、お姫様と同じくらい、いや、下手をしたらそれ以上に苦しんできたのかもしれない。きっと彼女は彼女で、自分ひとりの力でお姫様を元に戻したいと思っていたのかもしれない。そんな中で、他人に土足に踏み込まれるようにして部屋までやってこられるのはさぞ、迷惑だっただろうし、今もきっとそう思っているだろう。


結局、女性は最後まで言葉を発しなかった。後宮から俺たちが出るときも、ただ黙って頭を下げただけだった。果たして俺がやったことは、余計なことだったのだろうか。一瞬でも、俺が何とかできるんじゃないかと思ってしまったことを、少しだけ悔いた……。

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