第三百五十七話 無事に帰ってきました
コンスタン将軍は東宮殿下と内親王に、無言のままじっと視線を向け続けている。これは、明らかに怒っている雰囲気だ。
まあ、それはそうだろう。娘婿の許に、自分の目の前で関係を持ちたいと迫るのだ。将軍の心中は察して余りあるものがある。
興覚めしてしまったのか、東宮殿下は両手を広げ、ヤレヤレと言わんばかりに首を左右に振った。
「やれやれ、オージは相変わらず固いねぇ。まあ、今回は仕方がないな。ソフィア、今回は引き上げるとしよう」
ソフィア内親王はさも不満ありげな表情を浮かべたが、立ち上がった東宮殿下に促される形で、彼女も不承不承ながら立ち上がった。
「ただ……君とは友好な関係を築いていきたいというのは、僕の本心だ。それだけは、忘れないでくれ給え」
彼はそう言い残して部屋を後にしていった。
◆ ◆ ◆
「……で?」
部屋に帰って、事の顛末を聞いたヴァッシュが、鬼の形相で睨んでいる。……怖い。こんなヴァッシュは初めて見た。思わず、隣に座るコンスタン将軍に視線を向ける。
「同じだ。何も、ない」
彼は一切表情を変えぬままそう呟く。ヴァッシュはなおも納得いかないのか、足を組み、腕を組みながら俺たちを睨みつけている。
それはそうだろう、と心の中で呟く。俺が逆の立場なら、同じように怒る。ただ、俺の場合は、ヴァッシュではなく、篭絡しようとした奴らに怒りを向ける。だが、今の彼女は、どちらに怒りの矛先が向いているのかがわからない。そんなところにホイホイと付いて行ってしまったことに怒っているようにも見える。
「まあ、ご領主が無事に戻って、何よりじゃった」
ハウオウルが助け舟を出してくれる。彼は心から安心したような表情を浮かべている。
「ご領主に儂らから離れるなとお願いしておったにもかかわらず、ご領主から目を離してしまったことを許してくだされ」
「いえ……。そんな……」
「儂はてっきり、シューレス公爵の娘に篭絡されたと思っておったが、まさか、東宮殿下とその妹御であったとは。コンスタン将軍を前にして、このようなことを言うのは気が引けるが、公爵の娘でなくて、よかったの」
ハウオウルの言葉に、将軍は表情を変えずに無言を貫いている。そんな彼を一瞥したハウオウルは、俺に視線を向け直した。
「まあ、おそらく、じゃが、内親王様は、男と女が何をするのかを知らずに言っておるのかもしれぬな」
「え? どういうことです?」
「おそらく、じゃが、シューレス公爵嬢の受け売りじゃな」
「はぁぁぁぁ……」
「将軍も、それがわかっていたからこそ、お話を止められたのでは、ないかの?」
ハウオウルがそう言ってコンスタン将軍に視線を向ける。彼は目を閉じて、小刻みに頷いた。
「まあ、こうしてご領主も無事に戻られたのじゃ。今宵はゆっくりと休んで、明日、ラッツ村に戻ろうではないか、のう?」
ハウオウルは機嫌のよさそうな笑みを浮かべていたが、その言葉には、これ以上俺たちに何かを仕掛けてきてくれるなという雰囲気が見て取れた。その言葉を聞いたコンスタン将軍は、無言のまま立ち上がり、そのまま階段を降りて行ってしまった。
夕食まで時間があるため、俺は部屋で休ませてもらうことにした。ワオンと遊んでやりたかったが、ちょっとそんな気分にはなれず、一刻も早くベッドで休みたかった。俺は、ワオンを抱っこしてしばらくの間抱きしめていたが、やがて彼女をパルテックに託すと、部屋に向かった。
後ろからヴァッシュもついてきた。もしかして、部屋に入っても、先ほどのことを根掘り葉掘り聞かれるのかと覚悟を決めていたが、彼女は部屋に入るなり俺に抱き着いてきた。
「……ヴァッシュ?」
呼びかけてみるが、反応はない。それどころか、俺を抱きしめる腕の力が強くなっていく。
……心配していてくれたんだな。
聞けば、彼女は俺が東宮殿下たちと話をしている部屋に向かおうとしていたらしい。彼女が来たら来たで、色々とややこしい状況になっただろうが、それでも、そうして実際に行動に起こそうとしてくれたことが嬉しい。俺は彼女をやさしく抱きしめると、しばらくその態勢のまま、じっとしていた。
どのくらいそうしていただろう。突然ヴァッシュの腕の力が緩んだ。と同時に、彼女が俺の腕からすり抜けた。
「やっぱり、少し顔色が悪いわ。しばらくの間、ベッドに横になった方がいいわ。何かあれば、呼んでちょうだい」
そう言って彼女は部屋を後にした。そこには、いつものヴァッシュがいた。
どかりとベッドに大の字になって寝転がる。正直、今回はちょっと危なかった。一瞬だけだが、あの内親王殿下の歌声に心を奪われてしまったのは事実だ。ただ、あんな風にエロさを前面に出して迫られたおかげで、目が覚めた。俺はどうも、「胸を貸してやるから、一番、ぶつかり稽古だ、来い!」というような横綱相撲を挑んでくる女性はどうも苦手だ。
いつしか神様が言っていた、色々な誘惑の一つがあれだろうか。これから先、どんな誘惑があるのか……考えるだけでげんなりしてしまう。そんなことを考えていると、いつしか俺はまどろみの中に落ちていった。




