第三百五十一話 失敗?
よい踊りであったと褒めておいて、その舌の根も乾かぬうちに、あの踊りはいかん、などと言うとは、この将軍はどういう神経をしているのだろうか。もしかして、やっぱり俺のことを嫌いなんじゃないかと思ったそのとき、ヴァッシュが口を開いた。
「お父様、私たちの踊りの、何がいけないというのかしら?」
その声が少し怒気を帯びている。俺も同じ気持ちだ。さっきのダンスは、過去一の出来栄えだった。ミスは一切なかったはずだ。
将軍は小さなため息をつくと、まるで噛んで含めるような言い回しで口を開いた。
「あれが最上のものであると考えているのであれば、それは違う。特にヴァシュロン。お前は、マリア・クローゼの踊りを見ているはずだ。マリア・クローゼはあのような踊り方はしなかった。違うか?」
虚を突かれたのか、ヴァッシュは口を真一文字に結んで、じっと父親を眺め続けている。
「見ている側からすれば、お前たちの踊りは疲れる。あのように、全編を通して車輪で踊っては、見ているこちらは息を抜く間もない。マリア・クローゼは抜くべきところはサラサラと踊り、見せるべきところで車輪になって踊っていた。だからこそ、見終わったときに余韻が残る。よい踊りであったと噛みしめることができるのだ」
……何か、難しいことを言っている。抜くべきところはサラサラと踊る? そんなことをすれば、二人の踊りが揃わない。
そんなことを考えていると、将軍の隣に座っている妻のリエザがスッと右手を将軍の手に置いて、あなたと話しかけて宥めている。彼はチラリと妻に視線を向けたが、すぐに俺たちに視線を戻した。
「つまりは、私たちに、マリア・クローゼの踊りを目指せ、そう言いたいのね」
ヴァッシュの言葉に、将軍は無言で頷いた。
「……褒められたわよ」
ヴァッシュが小さな声で呟く。嬉しそうな笑みを浮かべている。
「お父様は褒めておいでだわ。私たちに、もっと高みを目指せ、その資質があると言っておいでなのよ」
そう言って彼女は満足そうに頷いた。正直、そんなことを言われても俺は、はいそうですか、うれしいな、とはならない。そういうことは直接的に言って欲しいものだ。
と、舞台から音楽が奏でられた。全員の視線がステージに注がれる。何やらゆったりとした、バラードのような曲が演奏されている。
ステージ後ろの幕が開き、ドレスを纏った女性が静かに歩いてきた。何と、ものすごい美人だ。まるでお人形さんのようだと形容しても差し支えないくらいだ。年齢は……若い。俺と同世代なのかもしれない。ただこの人は……将軍が紹介した出席者の中にはいなかったんじゃないのか?
「本日はこのようなパーティにご招待いただき、歓喜の念に堪えません。悪声をお聞かせしまして恐縮ですが、リリレイス、インダークの友好が長きにわたりますよう、心を込めて歌います」
そう言って女性は歌い始めた。
ビックリした。マジでビックリした。どこが悪声なんだ。めちゃめちゃきれいな声じゃないか。ビブラートというのか? 声の振るわせ方が上手い。正直俺は彼女の歌に感動してしまった。歌を聞いて体が震えたのは初めての経験だった。
そのあまりの歌の上手さのためか、歌い終わっても拍手が起こらない。女性が静かに頭を下げて、ニコリと微笑んだそことき、まるで夢から覚めたように皆が手を叩いた。
まさにプロの歌手なのだろう。心から満足した笑みを浮かべながら彼女はゆっくりと一礼した。そして顔を上げると、俺に視線を向け、再びニッコリと微笑んだ。思わずドキリとした。
女性はスッと踵を返すと、スタスタとステージ奥に消えていった。隣のヴァッシュにあの人は誰かと聞いてみたが、彼女は知らない人だと言う。将軍に視線を向けてみたが、彼はステージに視線を向けたままこちらを向かない。何やら、話しかけてくれるなと言わんばかりの雰囲気が醸し出されているために、俺は彼に話しかけることができなかった。
その女性はその後は姿を見せなかった。単に、このパーティに歌うためだけに呼ばれたのかもしれない。その後は酒が振舞われ、将軍の乾杯の発声から、立食パーティに移った。俺たちの傍には常に将軍夫婦がいて、そこに絶妙な間で、インダーク側の参加者が話しかけてきた。ハウオウルたちはいわゆる放置プレイだ。ハウオウルとパルテックはワオンを挟みながら打ち解けている。こうして見ると二人は夫婦に見えなくもない。何とも微笑ましい光景だ。クレイリーファラーズは……。思いっきり食事をしている。まあ、これはいつものことなので特に何とも思わない。
ほとんど食事が摂れぬまま、パーティは進んでいく。その間ずっと、ステージ上では色んな楽曲が演奏されていた。何だかんだで、あの楽隊の人たちが一番仕事をしているような気がする。
特に込み入った話をすることはなく、ほとんど世間話だけでパーティは終了した。俺はほっと安心しながら武官に案内されながら二階の部屋に戻る。こちらに来たときは俺とヴァッシュが先頭に立って歩いてきたが、帰りはハウオウルたちが先頭に立って歩いている。
と、後ろで俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。俺は立ち止まって振り返った……。
◆ ◆ ◆
「あれ? ご領主様は?」
二階に上がって来てすぐにパルテックがノスヤがいないことに気づいた。ヴァシュロンもキョロキョロと周囲を見廻して、夫の姿を探している。
「しまったっ! 何たることかっ! この儂が付いていながら……」
突然ハウオウルが大声を上げた。皆、一様に驚いた表情を浮かべながら、彼に視線を向けた……。




