第三百四十六話 いきなり都会
それは突然のことだった。それまではポツリポツリと人家がある程度だったのが、橋を渡るといきなり景色が一変した。それまで田舎のひなびた風景だったのが、一瞬にして都会のそれに変わったのだ。
その橋は長く、まあまあの距離だった。あまり整備もされていないのか、右に左にとよく揺れた。俺は結構大きな川なんだなと、ぼんやりと景色を眺めていた。すると、一瞬だけ車内が暗くなった。トンネルのような場所に入ったなと感じたそのとき、車窓の景色が都会に変わったのだ。目の前にはびっしりと並んだ建物とその前を行き交う多くの人々の姿があった。
あまりの予想外の出来事に、しばらくの間ポカンと口を開けたままになってしまった。ふとヴァッシュに視線を向けてみるが彼女は俺とは反対の窓に視線を向けたままだった。足を組み、頬杖をつきながら、懐かしそうな表情を浮かべている。やはり、自分が育った街に戻ってくることができて嬉しいのだろう。俺は彼女の心中を察して、声をかけるのを止めた。
俺の膝に抱かれていたワオンも、見慣れない景色に興味があるのか、前足を乗せて外を見ている。彼女も口を開けている。どうやら俺と同じように驚いているようだ。
そういえば、地面は石が敷き詰められているにもかかわらず、馬車がほとんど揺れていないことに気がついた。リリレイス王国の王都では、石畳の上を通るとき、結構揺れてお尻が痛かったのだ。
「馬車、揺れないね」
思わずヴァッシュに話しかけしまった。彼女はスッと俺に視線を向けると、ニコリと微笑んだ。
「馬車専用の道を作ってあるのよ。ここは上り専用。ほら、私の見ている方向に、下り用の轍があるわよ」
そう言われて席を移動して見てみる。なるほど、馬車用の道として、二本の地面にくりぬかれたような細い道が走っている。
「まるで電車みたいだ」
「電車?」
「ああ、いや。インダークの帝都はすごいなと思って。馬車専用の道なんて、リリレイスの王都にはなかったからね」
「何を言っているのよ。ここは帝都なんかじゃないわよ。ここはオーディーマよ」
「あっ、ああ。そうだったね」
……そうだったんだな。ラッツ村のこと以外ほとんど興味がなかったというか、インダークからの侵攻が云々と言っていた割には、インダークの帝都はおろか、村の隣にある都市すらも把握できていなかったことに愕然とする。これは色々とヤバイな。そういう意味でクレイリーファラーズを連れてきて正解だった。あとでインダーク帝国のことを彼女から詳しく聞いておこう。というより、そういうことは早く教えなさいよ。
そんなことを考えていたそのとき、馬車が停まった。目の前には太い柱のようなものが見えている。
突然扉が開いた。軍服を着用した精悍そうな青年が立っていた。彼の胸には勲章のようなものが付いている。
「ユーティン候、お待ち申し上げておりました。どうぞこちらに」
俺は促されるまま馬車から降りた。
「なに、ここ?」
思わず声が漏れた。足元には赤いじゅうたんがひかれ、すぐ目の前には大きな玄関があった。その奥にはデカいシャンデリアが釣られていて、お屋敷と言うより、どこかの省庁のような印象を受ける建物だった。
いわゆる車寄せ、というのだろう。馬車が停まる場所が作られていた。テレビなどで見た、高級ホテルの入り口などにあるようなあれだ。高級ホテルに行ったことがないから、本当のところは知らないけれど。でも、まあ、そんな感じの建物だ。
「それではご案内します」
俺の動揺を知ってか知らずか、目の前の青年はそう言って歩き出した。いやいや、ハウオウルたちの到着がまだなのだが。そう言おうとしたそのとき、ヴァッシュが俺の腕を組んで歩き始めた。仕方なく、男の後を付いて行くことにする。
「……ここがヴァッシュの実家なの?」
「正確に言うと違うけれど、まあ、半分実家みたいなものね。ここは軍の司令部の中にある総司令官の公邸よ。お父様普段、ここに住んでいらっしゃるの」
「公邸……」
後で聞いてわかることだが、この場所は総司令官のプライベート地域であり、許可された人間以外は入ることが許されない場所だった。プライベート地域とはいえ、その規模はバカでかい。俺の屋敷が一体何個入るのだろう。そのくらいの広さと大きさだった。
「あの……ハウオウル先生たちがまだだったけれど……」
「大丈夫よ。ちゃんと後から案内してくれるわ」
長い廊下を進み、右に曲がる。確かにプライベートの空間だけあって、人影が全く見当たらない。これだけ大きな建物の中で人気がないというのもかなり不気味なことではあるが。
廊下を曲がる際、左側に扉が見えた。ヴァッシュ曰く、あの扉が総司令部に通じていて、コンスタン将軍は毎朝、あの扉を通って公務に向かうのだそうだ。幼い頃、彼女はパルテックに連れられてよく、この扉の前までコンスタン将軍をお見送りに来たのだそうだ。
再び長い廊下を歩く。ふと、右側に通路が見えた。そこがいわゆる家族の部屋であるらしいが、青年はそこを曲がらずに、真っすぐ突き当りの部屋に俺たちを案内した。
「どうやらお父様の執務室に向かうみたい」
執務室か……。何だろうな、この、イヤな予感は……。




